男のリプロダクティブライツは義務という左翼さん

男におけるリプロダクティブライツって東北大学の沼崎先生が(もう退官されていたのではないかと思うけれど)2000年に書かれた論考では「産ませる性としての義務」という視点になっているわけである。

いや、日本では日本国憲法の国民の諸権利の中に労働の義務や子供に(義務)教育を受けさせる義務や納税の義務が入っていたはずだから「権利とは義務のことである」という意見が何の矛盾もなく受け入れられているかもしれない。

つまり女性にとってはリプロダクティブライツは文字通り権利(ライツ)であり、子供を産むも産まないも女性の自由、中絶も配偶者の同意なしに勝手に胎児を殺す殺害の権利まであるのだということになるが、男は「産ませる性」という義務(duty)を強制されているということであろう。

普通に考えればそういう義務を背負うからこそ家父長制というシステムの中で女性を保護しなければならないという役目を男は押し付けられてきたわけである。だからこそ不妊の原因は男!ってフェミさんが絶叫して男がとにかく悪いのだ!女性を責めるな!男が半分責任を持て!と言い出すわけである。実際のところ、不妊の原因は女性だけというのが半分程度であって、男性因子だけというのは4分の1に過ぎない。後の4分の1は男女両方に原因があるとされている。そうであれば不妊の原因は男が半分!と叫ぶフェミさんには不妊の原因の4分の3は女性が原因ですよねというしかないのだが、当然ながらそんなことを言うとフェミさんのご機嫌が悪くなるのでこういう発言は検閲されることが多い。

まあフェミさんのリプロダクティブライツの世界では家父長の地位を喪失した男達はひたすら女性の下僕となって(男本人は命をかけて女性を守るキリスト教の騎士の気分になって)女性にお仕えするということになるだろう。おそらくは沼崎先生はご自分では家父長制を否定されておられると思うけれど、キリスト教の騎士のレディファーストって男である騎士が自分が完全に上位である、つまり家父長であるという認識のもとに女性を先にやって敵が奇襲した時の盾代わりにしたり食事の毒味役にしたわけであろう。それは別に女性を尊重したわけではないのである。

昭和の時代にはど真ん中の家父長制があってその中で女性は一定の自由を許されて生きていたわけである。それが平成時代には沼崎先生のような学生運動の生き残りが現実離れした無意識には家父長制を引きずっているけれど、空想的なレディファーストを目指したわけであろう。そこではテルアビブで銃の乱射事件を起こすような行動力のある女性を崇拝していたのかもしれないが(大阪で潜伏していた彼女は捕まって刑を受けて出所した後、左派達は彼女を英雄扱いしたわけである)一方ではあさま山荘事件でリンチして殺害もしているわけである。

いずれにせよ彼らの共産主義への郷愁は今のフェミニズムには色濃く流れ込んだということは言える。フェミニスト達にしてみれば「打倒すべきブルジョア」は家父長制を維持する男どもだということになったということであろう。それで家父長制のエッセンスすなわち男の家族を養う性役割は厳然と残したまま、ちょっと女性が働くことで共働きだと言い出したわけであろう。だからこその上昇婚ということである。日本の女性は自分より収入の多い男性を結婚相手に選ぶ傾向が強いわけである。それは男性に対する依存心の表れであり、リスクを家父長に背負ってもらいたいという自立心の欠如を示しているとも言える。

沼崎先生の「男のリプロダクティブライツ」は、なので家父長制を表面上は廃止した上で男は騎士として男は家父長として女性を守る義務があるというある意味女性に迎合した理屈ということになる。

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