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10/6 架空の大人

今と比べて子供の頃の私はとにかく大人が嫌いだった。

何故嫌いだったかと聞かれれば理由は幾つかある。

一つは、大人は子供を馬鹿にしている、下に見ていると思っていたからだ。たとえ褒められても「こんな簡単なことができたくらいで褒めるなんて馬鹿にしやがって…」と思っていたレベルだ。某京大芸人じゃないが、褒められても「できるに決まってるやん」とばかり考えていたわけだ。

他にもいろいろあるのだが、それらの理由の根本はやはり私自身が大人というものを美化しすぎていたせいだろう。

そのころの私は小説がとにかく好きだった。小学生の読むような小説に出てくる、「少年少女を導く多くを語らないかっこいい大人」こそが大人というものだと理想を抱いていた。読書感想文に「大人は子供を違う生き物だと思っているから嫌いだ」なんて書いたこともあるが、違う生き物だと思っていたのはこちらも同じだったと、今になって思う。

その後音楽やお笑いにハマり、私の考える理想の大人像もまた変化していくこととなる。

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中学生になり、しっかりと反抗期だった私は、尖った大人こそがかっこいい大人だと考え始める。

そういった尖った大人という存在は、当時人見知りで愛想良くすることが下手くそだった私にとっては救いでもあったのだ。

しかしその後、小学生の頃憧れていた完璧な大人や、中学生の頃の救いだった尖った大人は架空の存在であったと知ることとなる。同時に私も人見知りをやめることを決意した。残念ながら、世の中は愛想良くしていた方が生きやすいのだ。

とはいえ、未だにかっこいい大人への憧れはあるわけで、小学生の自分が今の自分を見たらどう思うだろうと考えずにはいられないのだ。私の嫌いな大人になっていないかと。

ところで最近、万年筆を買ったりウイスキーを飲んだり一人でおしゃれなレストランに行ったりしている。形から入るタイプなので。

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