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いつも通り

最終回

先日、ブラタモリが最終回を迎えました。しかも最終回という予告もなく。予告もなければ番組内でも最終回らしさはなく、いつも通りでした。

唯一の最終回らしさといえば、司会の野口さんが涙ぐみながら花をもってタモリさんと2ショットになっていることくらいです。

放送終了後に、ホームページで終了のお知らせがあるのみ。いかにもタモリさんらしいというかなんというか(タモリさんにお会いしたことないんですけどね笑)。

肩の力が抜けていて、自然体。力を入れないからこそ、すべてを受け入れられる。そんな感じ。本当に大好きです。

ブラタモリの内容にもその感じは出ていて、普通に専門家よりも先に答えを言っちゃうし、草なぎ君をSMAP解散後もナレーターで使い続けるし、急に進行と関係ないボケも言っちゃうし。

さらに、無理に笑顔も作らないし、テンションを上げたりしないし、周りもそんなに盛り上げない。解説はお笑い芸人でも何でもない、シンプルに専門家(時に大丈夫かという人も見受けられたり笑)。

番組だからとか、テレビカメラがあるからという面がまったく見えません。いつものタモリさんを知りませんが、きっといつも通りです。

また、魅力はタモリさんだけではありません。番組自体の構成も素晴らしく、理科や社会の授業の究極系だと私は思います。

お題があり、出題者は極力その答えを言わず、タモリさんに言わせます。そして、一つの気づきを得ると、また新たな問いに気付く。そして、またその問いを解くために現地に行く。最後に一つ一つの気づきがつながり、お題が判明していく。

これほどシンプルで分かりやすく実感の伴う授業があるだろうか。それほど洗練されている気がします。さすがはNHK。

しかし、タモリさんもさすがに年齢は重ねます。78歳だそう。番組の終了は、きっとタモリさんのお体の状態も考慮されてのことだと思います。

好きだった番組が見られなくなるのは寂しいですが、何事もいずれ終わるもの。そのこともタモリさんを見習って潔く受け入れたいと思います。

卒業式

同じ週、私が勤務する中学校の卒業式がありました。教室にいる生徒は卒業式練習や送る会などで終わりを意識した日々を過ごします。それゆえ、終わりも徐々に実感し、終わりに向けて心も受け入れる準備が少しずつ行われます。

しかし、私は居場所づくり支援員。卒業式が近づこうとも、変わらぬ日々を生徒と過ごしました。挨拶し、雑談し、トランプやウノをする。そして、見送る。その繰り返しです。

1週間前だからとか、最後の〇〇だからとか、1日前だからとか、特別な何かはしません。卒業式に関する確認事項をする以外は普段と変わらぬ日々を心がけました。

そこには私の居場所づくり支援員としての信念がゆえです。

「何気ない日々こそ、一番の安心感につながり、一番大切なものであり、それこそが人生である。」

大きなイベントの方が思い出しやすいです。卒業文集はだいたい大きなイベントを書く子が多いのもそのためです。そして、思い出として語りやすいです。

一方、何気ない日々というのは、変化がありません。変化がないものはつまらなく感じます。飽きも感じます。思い出としても語りにくいです。そのためあまり重要視されません。

しかし、何気ない日々があるからこそ、たまにあるイベントが楽しく思えるともいえます。大きなイベントの存在を輝かせているのは、何気ない日々の積み重ねがあるからなのです。

教室に入ることができない子にとっては、多くの子の何気ない日々と感じているものが、何気なくありません。家にいるときは、親や兄弟からのプレッシャーや「学校に通っていない」と責める自分の声。同級生が登下校する時間帯は外に行くことすら・・・。

家の外に出れるときでも、億劫な気持ちを押し殺し、何もないといいなという不安を抱き、ドキドキしながら移動するのです。全然何気なくありませんよね。

何気ない日々がないからこそ、特別なイベントがあっても「つらい」「苦しい」「嫌だな」という気持ちになるだけなのです。

だからこそ、私はとにかく変わらぬ日々を過ごすことを目指します。そう、いつも通りといえる、いつもをつくるのです。いつも同じ服、いつも同じ場所、いつも同じ感じで生徒と関わります。いつも通りに生徒を迎え、いつも通りに見送ります。それは卒業式当日であっても同じ。

それを積み重ねることにより、生徒に学校でいつも通り過ごせたという思い出が残ります。それでいい。それがいい。そう思います。

子どもにとって

私は2児の父でもあります。ですから、当然毎日息子たちと過ごします。毎日だからこそ分かることもありますが、毎日だからこそ見えにくいこともあるのです。

毎日関わっていると昨日と今日は同じように感じます。身長だと分かりやすいかも知れません。昨日と今日は変わっている気がしない。でも、一年で比べると必ず大きくなっていますよね。

人間の中身だってそうだと思うのです。昨日と今日の主体性は変わっているでしょうか。他者への優しさは変わっているでしょうか。そんなに変わっているかとは思いませんよね。

でも、小学生1年生のときと小学6年生のときって主体性や他者への優しさは同じでしょうか。性格的な要素が強いことも変わってくると思います。

それは何気ないと思っている中にも、様々な出来事があるからです。いいことも悪いことも。いつも通りって同じ日々の繰り返しのように感じますが、実は少しずつ日々に適応したり成長したりしていると私は思います。

恥ずかしがり屋でだれとも話せず休み時間は一人で本を読んでいた長男も、今は数人と話をしたり、ドッジボールに混ざったり、おにごっこをしたりしているそうです。特に何か仲良くなる大きなきっかけがあったわけではありません。

同じくこだわりが強かった周りの人に興味を示さなかった次男も、保育園、発達支援施設の友達や先生の名前を覚え、挨拶ができるようになっています。これも特におおきなきっかけがあったわけではありません。

インパクトの大きいイベントや出来事は思い出として残りやすいです。しかし、実はつまらなさそうな何気ない日々の積み重ねこそが一番成長につながっていると思います。

そう、いつも通り。派手さのない地味なことが大切です。ということで、今日も私はいつも通りの1日を過ごしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

p.s.来年度から勤務先が変わり、職種も変わることになりました。学校現場にはいますが、居場所づくり支援員ではない新たな役割です。また、息子の学校のPTA執行部にも入ることになりました。

ブラタモリにならい、振り返りもまとめもまったくしないいつも通りのnote記事で一旦の区切りとします。今までありがとうございました。

ごくたまに更新するかも知れません。そのときはまた見てやってください。

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