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帰宅部のスローガン、「一帰入魂」

 

 4月、帰宅部に入部した。
 入学した高校は軽音楽部がない高校で、ずっと音楽をやっていた俺はどうしてもバンドがやりたくて、自分たちの力で「軽音楽部」を立ち上げようと入学してからの1ヶ月ぐらい、いろんな先生に交渉しに行ったりしていたが、なんだかんだで結局叶わず、いつしか周りの友達も現実を見て、部活に入り始めていた。中学はソフトテニス部で、運動はまあ嫌いじゃなかったけどたいして魅力を感じる部活もなかったので部活に入ることはなく、「ギターが弾けて謎に体力だけがある、という変な帰宅部」として君臨することになった。
 入学した高校は「文武両道」を掲げるいわゆる自称進学校で、先生には「部活やってきたやつは受験期に引退してからの追い上げがすごい」的なことも毎日のように言われていた。文武両道を掲げる自称進学校ではよくある文句なんだろうけど正直これが刺さって、まあまあ葛藤を生み出してた。

「帰宅部だしお前らにはできない何かでっかいことしてやるぞ~」という気持ちが心のどこかにあったにもかかわらず文化祭のライブ以外は特に何もできないまま、高校3年間が過ぎてしまった。何かしら結果を残したりしている周りの人間に対するコンプレックスから一回なぜかYouTuberになろうとしたこともあった。あといきなり坊主頭にもなった。

 幸い帰宅部の俺にも部活をやっているみんなのように仲のいい友達ができて、俺の個性が認められて、受け入れられる場があって、それなりの毎日を送ることができてたものの、部活をやっていればまた違う人生を送ってるのか...なんて思うこともある。

 「帰宅部」の別の表現として、「無所属」がある。こっちはひどく機械的で冷たくて、部活に所属していない学生を見放しているようなニュアンスを当時は感じていた。対して、「帰宅部」には人の営みが感じられ、中高生の軽くてばかばかしいユーモアを感じることができるから好きだ。帰宅部という一種の居場所を提供することで帰宅部の人たちへ「帰宅部」としての生き方を積極的に肯定する言葉でもある。「帰宅部」っていう言葉自体考えてみると学生時代に部活に所属しない、周りから見て少し異端な存在であることをむしろ誇っているようにも思える言葉だ。なんか、”帰宅部らしさ”というか、変な意地みたいなものが表れていて愛くるしささえ感じる。そもそも部活動っていう概念が浸透してる日本でしか生まれない言葉だしそもそも実体のないコミュニティに属してるかのように言ってるの面白すぎる。

 各々部活でいろいろ活躍して、"青春の日々"を送る周りの人間に対するギャップ、ある種の羨ましさ(?)からくる「帰宅部のエース」、「俺、帰宅部部長だからw」「今日部活だりぃ~w」等の地味な帰宅部特有ユーモアも俺を形作ってきたものの中の一要素であることは間違いない。「帰宅部」という言葉は、そんなかつてのユーモア、高校時代の痛々しさをすぐそこにあるもののように思い出させてくれる、大事にしていきたい言葉である。

 俺には高校時代を帰宅部として過ごす中で隣に音楽があったわけだが、そうでない人はどんな感じだったのかすごく気になる。全国の帰宅部が巨大ドームに集まる、帰宅部全国大会を開いてくれ。

そんなわけで今日も、いつものように日本中の帰宅部はどこかへ帰っていくのだろう。
            2023.9.10 ニトロ川涼介



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