仁月

短編小説や小説日記などを不定期に投稿してます

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最近の記事

ひとりの夏

 噎せぶ程の暑さに降参を告げ、扇風機とうちわで涼を取る。それでも汗腺は休むことなく働き続け、額から頬へと流れる雫が首筋まで伝い落ちる。  独り暮らしのこのアパートの一室は、私の両親の年齢くらいの築年数であり、当然クーラーなどという文明の利器はない。だからこうして夏の間は掃き出し窓を開けて我慢するしかないのだけれど、これがまた中々どうして辛いものがある。  網戸越しに差し込む陽光も熱を帯びていて、そのあまりの眩しさに私は目を細めた。皮膚をちりちりと焦がすような感覚に耐え切れ

    • 水は不思議だ。 日常の中に当たり前のように存在するそれは、 ひと時も同じ場所に止まらないのだ。 桶に溜めた水は静止しているようで、そうでない。 あれらは人々が歩み、自動車が走る地の振動を吸い込み、僅かに波紋を広げるのである。 それが、いつからか、私には面白くて仕方がなかった。 何故、水はとどまれないのか。 何故、水というのは数として数えられぬのか。 私はシンクに置かれた茶碗に溜まった水や雨上がりのアスファルトに浮かぶ水滴を見る度に考えたものだ。 この水達は、私が

      • 四角い箱

         狭まった私の世界はいつしか1DKの大きくも小さくもない四角い箱になっていた。  足の裏はもうすっかりフローリングの冷たさに馴れていたし、髪や皮膚を撫でる風なんてものはとうに感じなくなっていた。  眼は次第に陽光の煌々とした明るさに貫かれ、じくじくと膿むように痛み出す。痛い痛いと毎朝カーテンを開ける度に思うのだけれど、人間も植物と同じで日光を浴びないと死んでしまうらしいから仕方がない。  私はこの痛みにさえ慣れてしまっていて、その現状に少々嫌気を感じながらも結局いつもの

        • 鬼ヶ島

           むかし、むかし、大むかし、浩々たる海原に、大きくも小さくもない孤島がぽつんと浮かんでいた。  空から見下ろすと米粒のような形をしたその島は、東は断崖絶壁の岩山で、西は深い入江があった。名を鬼ヶ島という。  ご存知の通り、そこには鬼が棲んでいた。  鬼は元来、死者の怨霊やら伝説上の神やら妖怪やらと一緒くたにされた存在だが、ここではそんなことはどうでもよろしい。とにかく鬼がいたのだ。  鬼は皆一様に姿も性格も醜いという印象を持つ者も多いかもしれないが、そういう訳でも無い。  紅

          『出せない封筒』

          ―― ―――  私は数ヶ月に一度、断捨離をする。  それは洋服だったり本だったりするが、捨てるのにはなかなか勇気がいるものだ。  なんせ、汗水垂らして働いたお金で買った物だし、一度はそれに惹かれて手に取り、家に招き入れた物なのだから。  そんな物を簡単に捨てられるのはよっぽどの物好きか、もしくは「物は物だ」と割り切れる人くらいだろう。  私にはそのどちらも当てはまらないため、毎回悩んでしまうのだ。  チェストの中段を整理し終えると、今度は上段の引き出しに手を伸ばす。  そこ

          『出せない封筒』

          雨の蛾

          ——憂鬱な気分が更に沈んだ。 その日は珍しく外に出る予定があったにも関わらず、外の天気は雨だった。 それも土砂降りだ。 そんな日に外出するのは億劫だったが、今更、行きませんと出来ない予定を断るのも面倒で、結局行く事にした。 アスファルトは濡れて黒々として、まるで海の底のような色をしている。 傘を差しても、足元から水溜りにどんどん浸食されていくようで気持ち悪い。その上、イヤホンを忘れてしまって、目的地までの道のりがいつもより遠く感じた。 傘を持つ手に雨の振動が伝わっ

          雨の蛾

          嗚呼、この時のために私は

          —— ———  これ程良い時間は無い。  フツフツと水気を含んだ白米の炊けていく音。  排気口からゆらりと昇る誘惑の蒸気。そして、それを吸い込む度に感じる、お腹を空かせる香り……。嗚呼、もう我慢できない。  私は、キッチンカウンターの中段に鎮座している炊飯器の前で正座をしながらその時を待つ。  私を照らすのは大きな掃き出し窓から差し込む強い日差し。  聴こえるのは近くの森で囀る小鳥の朝礼。  でも、そんな事はどうだっていい。  今私が求めているのは、この目の前にある美味しそう

          嗚呼、この時のために私は

          外は憂鬱、心は晴れ

             電気マットを足元に敷かなくては寝れなかった。  昨晩は酷く足が冷えて、氷のように冷たかった。足先の出た靴下を履いても、温もりが戻って来ない。  二月以来使っていなかった足元用の電気マットを眠た目擦りながら引っ張り出して、やっと眠りについたのだった。  理由は起きてわかった。雨が降っているのだ。それも土砂降りだ。 「これは駄目だ」  布団から這い出てカーテンを開けると、外は一面真っ白で何も見えない。  雨雲に覆われて暗く重い空。そこから滝のような雨が落ちて、地面を叩いて

          外は憂鬱、心は晴れ

          ちょっと早すぎる朝は

          —— ———今日もいつも通り、自然と目が覚めた。窓の外は白み始めているがまだ暗い。  壁に掛けられた時計を見ると、四時を少し回ったところだった。まだ起きるには早いが、何度寝返りを打っても寝付けそうにない。 「お腹空いた……」  水面に浮上してくるように意識が覚醒すると同時に空腹を覚えた。毎朝、何時に起きても必ずこの時間にお腹がすくので困る。  仕方がないから、何か食べようかな。  私は季節外れの毛布から這い出し、ベッドを出た。  寒い。ぶるりと震えて腕をさすった。  ベッドか

          ちょっと早すぎる朝は