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世界に抗う異形と花 ラヴクラフト・花物語・キリスト教

“世界は私に対し、また私も世界に対して十字架につけられたのです。“
――ガラテヤの信徒への手紙

H・P・ラヴクラフトはアメリカの幻想怪奇作家であり、コズミックホラーと呼ばれる、独特の世界観を共有した一連の作品群“クトゥルフ神話”で広く知られている。クトゥルフ神話では、邪神などの異形の怪物たちが存在し、人間やその理性はあまりにも矮小な存在であるといった内容が描かれている。
一方、『花物語』とは吉屋信子によって書かれた一群の作品をまとめた連作集のタイトルである。繊細な心模様を数々の華に托した日本の少女小説の代表であり、少女同士の友愛関係、時には同性愛的な関係を描き出し、いわゆる現代の百合文化のルーツとされている。
一見無関係なこの二つに、書かれた時代以外の共通点が存在していることを今回の記事では指摘する。

ラヴクラフトのクトゥルフ神話に通底する価値観は世界への憎悪である。彼は理性を備えたあらゆる存在を震え上がらせる怪奇幻想を創造しようとした。恐ろしく不可解で人間ごときではその全容はおろか輪郭すらとらえることがかなわずに、狂気と死に飲み込まれるような宇宙的恐怖の数々、これらは社会不適合者であった彼の弱さからくる人間への、人生への、世界への憎悪である。彼はこの途方もない憎悪を作品へと昇華させることで、異形の作家として世界に抗い続けたのだ。そして彼は、キリスト教的な世界観に否を突きつけ、創造と想像の世界の中で死をもって勝利を収めた。ミシェル・ウエルベックのラヴクラフトについての論考、『世界と人生に抗って』の副題はまさにこのことを表現している。

一方、吉屋信子の『花物語』では、当時(あるいは現代でも)社会的弱者である女性は常に苦難にさらされる。しかし彼女らは神に帰依することで試練を乗り越え救われるというキリスト教的な価値観を持ち、決して手折られることなく気高く咲き誇ろうとする。そこにあるのは偉大な愛であり、正義である。彼女らはこの世界の不正、あらゆる不幸に対して(憎悪を持って抗ったラヴクラフトとは対照的に)、愛を持って抗うのである。これは千野帽子による解説のタイトル『花々は世界に抗する。』に端的にあらわされている。

そう、異形の邪神たちと気高く咲く花々の二つの共通点とは、世界への抵抗なのである。それがアンチキリスト的憎悪にまみれたものであったとしても、キリスト教的救済と愛に満ちたものであったとしても、その本質は不正に満ちたこの世界に対する弱者たちの抵抗なのだ。この弱者ゆえに世界に立ち向かわざるを得なかった二人の作家が、作品を通じて世界に対してキリスト教を介した思想的には正反対ながらもある種の勝利を収めたことは我々にとっても救いとなろう。憎悪であれ愛で我々は世界に抗し、勝利するのだ。

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