「敗北のスポーツ学」第1章読書感想文。
Jリーガーのセカンドキャリアは不幸か?
第1章のタイトル。いきなりキラーパスである。章のタイトルは全てこのような問いの形を取っている。うん、すこ。
なるほどです。(急に敬語)
序章にて私は「日雇い労働している元Jリーガー」を見て「何とも言えない気持ちになってしまった」と書きました。筆者は本文の中では言わないものの、節のタイトルで言います。「頼むから静かにしてくれ」と。
(一応補足させて頂くとソレは「本人が決める、本人の物語」ですし、実際の本人にも「何とも言」っておりません。元Jリーガーと聴いて、ほえ〜スゲーとは言ったかも知れません。)
筆者は言います。「多くの人」は学校を出るとき「せ〜の」で大人になる通過儀礼(就活など)を経るがJリーガーは少年のままでいられる、だから大人になるのが少し困難なことがあるだけで君等となんら変わらない、満員電車に乗る死んだ目をした大人になる権利はアスリートにだってあるんだ(意訳)と。
「お前はキラキラしていれ」という、親が子に向けがちな期待を、押し付けるなと。
まあ、あの、僕も大人になれずに日雇いやってたわけで、その、一緒ですね。何とも言えないっす。
ふ〜〜〜〜〜む。
そうですよね。お前の物語はお前が決めろ。親の期待、それは呪いとも言えるもの。
僕の場合は逆に、夢なんか持つなと言われていたような子供時代でした。母親は公務員になって欲しかったようです。その期待はやはり大変窮屈で息苦しいものでしたが、逆に夢を持てなどと言われて親の夢を押し付けられる苦しさも同じ様なものなのでしょうね。
しかもアスリートならばその親は何千人も何万人もいる。
昨今、アスリートの鬱病などが記事で取り上げられるようにもなりましたが、これは考えさせられます。アスリートは「皆さんの声援が力になります」とリップサービス(それは本心もあるのでしょうが)してくれますが、あくまでもやっているのは本人。決めたのは本人。観てる我々からは他人の祭り…。
応援とはなにか。それは勝手な期待ではないか。子供が自分で決めた祭りを応援するべきじゃないか。お前はお前の祭りをやればいいのではないか。大人ってなんだろう?人生に期待するな、昔あの人が言ってた。お前の人生だお前が決めろ、親父の最期の問い。人には期待してしまう、猫がいい。……スポーツが好きか?
思考はこの辺にして次の節、読みます。
たしかに!
Jリーガーという職業、ぶっ飛んでなきゃ出来ない。
と筆者。続けてギャンブルに例えます。
み、耳が痛い!…いや、競馬は趣味なので……ほ、細々と続けていけたらば………(違う)
身を焦がすような、か。それが出来る「ぶっ飛んだ」プレイヤーはほんの一握り。そう、そうだよなぁ。
さらに筆者はこんな主旨のことを言います。
構造を責めるな、構造はそこにあった。
メチャメチャいいこと言う〜。これもどこの世界も同じだよね。ぶっ飛んだプレイヤーになれるか。なれる場所はどこか。「あいつなら何処でもやっていける」のは何故か?
次の節、いきます。
この残酷な世界にアイデン&ティティ。
なるほどココまでは他の世界でもありそうと思えたが、
……この描写に心が重く揺らされた。しかし読み進めているうちに、似たような現象は私達にもあるよなとなる。それは次の項で。
アイデンティティ、スティグマ、モラトリアム。
私は誤認識してました。アイデンティティって「俺はこうだ!」と自分さえ納得できればそれだよね?と思ってましたが、そうじゃなくて「自分像」と「社会からみた像」とを「同一化」したものだと。
え?そうなんだとググりながら、読んでたら心理学用語としてはそのようでココが分かり易かった。
筆者の解説は続きます。「アイデンティティの危機」に「統合失調症や自殺などのリスクが高ま」ると。
これ、ここまで読んだとき。それ、私達にもあるよなと。
仕事が嫌なら辞めればいいじゃんと私なんかは考えがちなんだけど、それはフラフラと暮らしてるから思えることで、最初の仕事を辞める時は(辞めたあとも)やはり辛かった。
世の中にはそういう「何故か辞められない」人は沢山いて、死ぬことを考えてしまったりする。辞められた私もそれから18年ずっとモラトリアムをやり続けて今に至っている。
あれ?「セカンドキャリアに苦悩するアスリートの構造的問題」を読んでるハズなのに、そうか私達と一緒ではないか。
うん。アスリートも、アイドルも、兵隊も政治家も、もしかしたらプーチンも。皆同じなんじゃないかなあ?という厨ニの考え、最近実感を帯びて来たんだよなあ。
構造を責めるな!構造はそこにあった!
しかしである。アイデンティティの概念を提唱した偉いおじさんの「アイデンティティは統合されなければならない」という仮説に疑問を呈する本として筆者が引用してくれた部分は興味深い。
自分の複雑性に尊厳を持て!闘え!
と筆者はこの節を結んでいる。朝になっちゃったので最後の節は寝てから読みます。
「何者ですか?」という問い。
私は会社員です、私は学生です、私はニートです、私はサッカー選手です。だいたいそう答えると思うのですが、筆者は言います。
人格形成にも絡んでいるサッカーと自分を切り離すことは、想像しがたい苦しみがあるのでしょう。
もしかしたら中学時代を弱小チームで育ち、高校大学プロと周りに上手いやつがいる環境にいた筆者はずっと覚悟していたのかも知れません。
それにしてもキャリアアップしてレギュラー定着、年俸大幅アップしてJ1も見えてくるタイミングの25歳で引退という意志決定は充分「ぶっ飛んでる」と思いますが、辞め時の理由を筆者はこう述べています。
「その時」はいつなのか。「その場所」はどこなのか。「構造を責めるな!」「感覚を研ぎ澄ませ!」と本が訴えかけてきます。
そして「何者ですか?」の問いに答えられるようになることを。
第1章、おわり。続きはまた。
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