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理解のある家庭環境で良かったと改めて思った話

たまたま吉田類を見るつもりで滅多に見ないテレビを見ていたら、IQ188の青年の話がメインらしく、いかに能力が高いかをやっていた。しかし、後半に入り彼が今何をやっているのかという話に及ぶと、高校卒業後大学に進学しようとしたが両親の理解を得られず断念、専門学校に進んでプログラミングを学んであっさりと習得し中退。その後国内でコンピュータ系の会社に就職するものの学歴が高卒のためコールセンターに回され、次に海外に就職口を求めるもこれまた高卒という事がネックになり就職できず。結局国内に戻り現在大学進学のため受験勉強中という話で、なんだかやるせない気分になった。

自分を省みてみると両親は特に学歴などは無かったが、どうにか大学に行かせてくれたし、学習用の本や小説なども比較的買ってくれていた。時代的に早かった(1980年代)と思われるマイコンも買い与えてくれたのでコンピュータというものに早い時期から馴染むことが出来た。思い返すと非常に恵まれた家庭環境であったと思う。

結局それぐらいの時期に親に投資してもらったコンピュータ、英語、文字でどうにかメシを食えている。親に後々聞いてみるとそこまで深くは考えていた無かったようだが、それでもこういったものを与えてくれる親と家庭環境のおかげで今日の自分の半分ぐらいは出来ているかな、と思う。物事への接し方や考え方など含めたらもっとか。いずれも大人になってしばらくしてから気づいたことではあるが、気づいた瞬間とても感謝したことを覚えている(もちろん今でも感謝している)。

彼の場合、学歴だけでは無く様々な選択の結果こうなっているという部分もあると思われる。しかし家庭環境絡みで(IQの数値は別として)同様の類例を文献(格差や仕事絡みの本)で目にすることが最近多い気がする。

こういった才能を埋もれさせてしまわない社会・教育制度や啓蒙が必要だと思うし、それを下支えする教育機関へももっと投資をしていかないと将来的に国家の維持に禍根を残すことになるだろう(もうちらほら芽は見えてきている)。訳の分からぬ国家のプライドや拝金経済主体での下らない大規模イベントに金を使うより、こういった問題に投資した方が国家としては非常に有意義だと個人的に思う。

ギフテッドでも何も無い自分に理解を示し、愛情とお金を注いでくれた親に改めて感謝しなければと思った次第であった。

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