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デスノートがあったら...

フリーランスの庭師です。

最近はイラつく出来事が多いなと感じています。もちろん私の脳が老いてきているとも言えるのですが。

例えば、小さな子供が赤信号で待っている横から信号無視をするお爺さん。

「いい歳をしてるんだから子供の手本になれよ!」と思ってしまいます。

左右も確認せず凄いスピードで脇道から自転車で出てくる若者。

「車は急には止まれないんだよ!死にたいのか?」と思ってしまいます。

平日昼時の混雑している料理屋で、4人席に一人で座りビールを飲んでいるお爺さん。

「そりゃどこに座ろうが何を食べようが自由だけど、少しは空気を読めよ!」と思ってしまいます。

狭い道を3人横並びで話ながら歩いている女子中学生。

「君たちのせいで渋滞してるって気づかない?それに危ないだろ!」と思ってしまいます。

電動自転車に子供を乗せ、反対車線を物凄いスペードで走り抜ける若いお母さん。

「忙しくて急いでいるのは分かるけど、何かあったらあなたの子供が危険なんだよ!」と思ってしまいます。

自分ファースト。つまり利己主義。自分が良ければ他人は関係ないと考える人が増えたのでしょうか?

この程度の事で「デスノートに名前を書いちゃうぞ。」とは思いませんが、かなり心がざわつきます。周りを気にしすぎて鬱病になっても困りますが、もう少し周りの迷惑を考えて欲しいと思います。

デスノートに名前を書きたくなるのは、本当の悪人ですね。

善良なお年寄りからお金を奪う詐欺集団。無関係な人を捲き込んでの無差別殺人。心が無いとしか思えない児童虐待。身勝手で執拗なあおり運転。薬を使っての姓暴力。これらは情状酌量の余地は見当たりません。

私は昭和のウルトラマンや仮面ライダーなどのヒーロー物で育った世代なので、善くも悪くも『悪を倒す正義の味方』的な感覚が身体に染み付いています。

なので、このような悪い人間のニュースを観ると、「デスノートがあったらこいつらの名前をみんな書いてやるのに…。」と思ってしまいます。

ですが、もしもデスノートを持っていたとして、それを使うことは正義なのだろうか…。

デスノートは直接手を下さないので、警察がデスノートの存在を認めない限り『完全犯罪』です。

ですが、デスノートを使うというのは、時代劇の『必殺仕事人』に依頼するのと同じです。デスノートとは悪魔に殺人を依頼することですから。

そう考えると、やはり殺人ですね。
殺人は許されないです。

イラつく事があったり、悪い人間のニュースを観たりした時は、「デスノートを持ってたら名前を書き込んでやるのに。」と思いながら心を落ち着かせる。きっとその程度が良いのでしょうね。
ちと暗いですが。(^_^;)

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