見出し画像

日舞のはなし

先日、日本舞踊の演目に関する記事を書き、その中で日本舞踊を習っていると書いたので、せっかくなので日舞に関するおはなしをば。

日舞を習い始めたのは小学校2年生の頃で、そう言うと「そんな小さい時からすごい!」とよく言われるのだが、きっかけは非常に単純である。
同じマンションに住む友達がやってたから。
その光景は今でもよく覚えているのだが、ある時、友人の家に遊びに行ったら、お扇子を開けたり閉めたりしていた。新しいお扇子は固いので、開け閉めしやすいようにならしていたのだ。
お扇子の可憐な模様にすっかり魅了された私は、私もこれを持って踊りたい!と思ったのだ。

こうしてマンションの集会場で教えていた今の先生の元へ通うことになった。
因みにその時まで習っていたバレエはさっさと辞めた。

私の最大の幸運は、とてもいい先生に巡り合えたことだと思う。
日本舞踊の先生というと、厳格で近寄りがたいイメージがあるかもしれないが(偏見も入るだろうけど)、その先生はまったくそんなことなく、面白くてお稽古熱心だった。
お稽古になると厳しくなる時もあるけれども、いつもにこにこしてチャーミング。子どもだった私たちを膝にのせてくれることもあった。

ところで、日本舞踊というとお値段が高いイメージがあるかもしれない。
実際のところでいうと、超有名な先生でない限り、月謝自体はそんなに高くない。
高いのは舞台に立つとき、名前を取る時(これは流派によるかも)である。
大きな舞台に立つとなると、出演料自体も高ければ、かつら・衣装・化粧代も最低限かかるし、オプションがつけばどんどんプラスになる。
しかもそういうオプションは、基本料金プラス御礼になる。
そして最後には先生への御礼もかかる。

とまぁ、舞台に出たいとなるとお金がちゃりんちゃりん出ていくわけだが、先生によっては舞台に出るのが半ば強制的であったり、出演料も先生の言い値になるので不透明さはぬぐい去れない。
今の先生は舞台に出なさいとは決して言わないし、出る場合も出演料は明朗会計。どれくらいかかるのか大体も教えてくれる。
そういう点でも良い先生に巡り合えたなと思っている。

お金の件も含めて、なんとなく敷居が高いと思われがちな日舞。
私はそれを感じる前に始めたので個人的には既に生活の一部になってしまった感はあるだが、ここでなんで小学校2年生で始めて、途中で休んでいた時もありつつも、飽きもせずに続けているのかを挙げてみようと思う。

今続けている最大の理由はずばり「運動になるから」。
日舞はなんとなくゆったりとしたイメージがあるかもしれないが、どころがどっこい、結構動いているのだ。しかも中腰で!
ずっと浅いスクワットのように腰を落として動いていると考えてもらえれば、そのしんどさが分かるかと思う。
しかも立ったり座ったりもまあまあある。
演目によってはめちゃくちゃ激しいのもあるし、ゆっくりしているのはそれはそれでじっとスクワット体制はしんどい。
ということで、運動不足になりがちな私にとっては1週間に1回のお稽古は、貴重な運動の時間なのだ。

運動ならジムに行けば?という話かもしれないが、そこは踊りならではの楽しさがある。
機械的ではなく、音に合わせて緩急のせて動くのはそれだけで楽しいものである。
更に、ただ楽しいだけではなく、ちょっとチャレンジングなところもあるのでそういう刺激もある。
振りを覚えたり、今までやったことがない動きをマスターしたり、お扇子の扱いが難しかったりと、日舞ならではの困難がある。
もっと言えば、先生のようにきれいな形、きれいな動きというのは一朝一夕では会得できない。
今の自分よりもちょっとでも上に行こうと頑張るのは、日常生活ではなかなか味わえないことだと思う。

最後に、日舞の踊りはありとあらゆる種類があって、踊り尽くすことがないというのがある。もしかしたらこれが最大の飽きない理由かもしれない。
女性でも男の踊りをするし、逆も然り。
侍、姫、鳶頭、芸者、娘…とありとあらゆる身分の踊りもあれば、たぬきやうさぎといった人外まである。
先日紹介した「吉野山」のようなしっかりとした物語があるものもあれば、お祭りの様子を踊りにしたようなものもある。
30分くらいある長い踊りもあれば、3分くらいの短い踊りもある。
この豊かなバラエティのおかげで、歳をとっても踊りを続けられるのだ。

そんなわけで今日もお稽古に行き、たくさん注意され、なんなら先週できてたところを間違えて退化も見えないこともないけれども、それでも少しはできるようになったことがあって楽しく、でもへとへとになって帰ってきた。

最後の最後に、もし万が一、日舞に興味があって、大阪のお稽古場に興味がある方いらっしゃったらと思い宣伝を↓

見学はいつでも受付けています!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?