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下手に書こうと思っても書けない

例えばピカソの絵とか、一見したら子供が書いたような絵だけど書こうとするとめちゃくちゃ難しい。

絵そのままのものを書くというよりも自分流に着色してある意味誇張して書くというのはそれなりの経験と技術が必要らしい。

だから下手に書くとかいうよりは、下手でもいいから書いてみるというのが正解らしい。

初めたての時はうまく書ける筈もなく、上手くなるために何かを始めるはずなのに、初めからうまく書けないとそれで挫折したりする。

下手なりに書いてみて、どうしたらうまく書けるのか?というのを模索して、苦しむことが大切だそう。

最初からできるからそれをやるというよりは、好きでやっていたら気づいたら今まで継続できていた。とかそういった具合。

あるプロ野球選手も、野球が好きでずっと続けていたらプロ野球選手になっていた。と言っていた。

どういう表現方法に自分の胸が打たれたのか、どういう方法が自分にとって表現しやすいのか、そこを知ることから始まる。

それを知るためには、人からの客観的視点が必要そう。

『これ向いてるんじゃない?』『こういう表現センスあるよね』
ふとしたそういう一言で、気づいたりする。
だから人との会話はとても重要。そしてそれを受け入れて飲み込むのもまた才能。いやいや自分なんて・・・・と謙遜してチャンスを逃しているのは勿体無いし、少しダサい。

謙虚さは大切だと思うけど、一歩踏み出す勇気がそれで失われるならもっとエゴイストであっても良さそう。

うちに秘めた熱というか、自分を信じて疑わない芯。
好きでやっていることに対して、否定的な意見を言われた時に折れない心。
そういう瞬間は必ず来る。その時にいかに強く保てるか。


下手でもいいから何か一つ表現するための方法を手に入れて、継続してみる。というのは意外と世界をガラッと変えるいいきっかけになるかもしれない。

もうすでに文章書いてる人なんて星の数ほどいるし、その人たちに勝てる気がしない・・・と思っていたとしても、やる。

勝ち負けはおそらく自分が決めるものじゃない。
それを見て刺さったとか、震えたとか、痺れたよ!と言ってくれる人が一人でもいるなら、ある意味それで勝ち。価値がある。

刺そうとするのではなくて、無で書いてたものが、たまたま刺さってくれた。ということ。

『悟性』

数ヶ月前に初めて聞いた言葉だけど、文章を書いててそれを感じる時がいくつかあった。

後から『どうやってこんな文章書いたんだろう?』と不思議に思った時があって、まさに悟性で書いてのかも?と実感。

そうなったら面白くなる。
また悟性で書こうと思ったらもう負け。その時点で悟性はないから。

でもそれが悟性と言えるのかもまだわかってない。

意識の外にあるものが大切なのかもしれない。
それもまだわかっていないけど。

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