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「メモを取ることについて」へっぽこ編集者、森博嗣先生に教わる【4】

編集者の本分に目覚める

ここまで自分の悩みを大作家に聞くことに終始徹底していたヘッポコ編集Yこと私ですが、急に編集者としての本分を思い出しまして。「森先生の仕事術について聞かなきゃ」と覚醒。メモは取らない、工作室は片づけないなど、ユニークな森先生の仕事術に踏み込んでみることに。

「しかたがなくやり始める」「苦手なことは苦手だと言ってみる」など、多くのビジネスパーソンの心の支えになりそうな考え方が披露される第4回。お楽しみください。

『アンチ整理術』第6章「本書の編集者との問答」より(第4回)

メモを取ることについて

編集者Y(以下、Y)「先生は、ノートやメモをお取りにならないそうですね?」

森博嗣(以下、森)「ええ、メモは取りません。ノートというのは、工作のスケッチをするときに使いますが、文字は書きませんね。絵です。ちょっとした思いつきは、封筒とか広告などの裏を使って描きますね。これも絵ですが」

「文字を書くメモは、まったく取らないのですか? パソコンにも、でしょうか?」

「パソコンのカレンダに予定は入れます。何日に何文字書くかとか。それに従って、いやいや仕事をしています。あとは、来年や再来年に出す予定の本も、パソコンに忘れないように書いてあります。その程度のメモはありますよ」

「メモを取ったもの、あるいはデータなどは、どのように管理されていますか?」

「管理していません。仕事が終わったら消します。知合いの住所だって、早く消した方が安全ですよね。余計な情報を管理しないように、仕事をきっちりと終えることにしています」

「小説のプロットなどは?」

「全然。なにもありません。書く予定の作品は、タイトルだけはメモがありますけれど、決まったら、そのメモは消します。中身を執筆したら、できた本がデータですから、もう自分が書いたデータはいりません。過去の作品は、ほとんど残っていません。残す意味もありませんしね。大学を辞めたときに、沢山の資料を自宅へ持ち帰りましたが、数年だけ保存したあと、すべて廃棄しました。工学において、古いデータはほとんど価値はないからです。そうそう、僕は、自分で撮った写真も保存しません。写真のデータをブログなどに使ったら、消去しています。最近では、使わない写真は撮りさえしません。整理・整頓が苦手な人間なので、整理しなければならないような状況にしない、ということですね」

マルチタスクの仕事術?

「工作などでは、作りかけのものを出しっ放しにして、ほかのことを始める、と書かれていました。それはどうしてですか?」

「片づけたら、また出さないといけないじゃないですか。無駄なことをしたくないからです。やりかけのままにしておくと、最も良いコンディションから始められます」

「でも、散らかりますよね」

「そうですね。そうやって、店を広げたままにしたものが、何箇所も、あちらこちらにあるわけです。それらを毎日渡り歩いて、少しずつ進めます。そういうやり方が、自分には合っているようです。集中力がないのでしょう」

「パソコンの画面も、いろいろウィンドウが開いたままの状態だとか……」

「そうです。二十四インチのモニタを二機並べていますが、両方で十ずつくらいはウィンドウが常に開いていて、一部では動画が動いていたりします。その動画の上で小説を書いたり、エッセィを書いたりします。途中でメールも読むし、ウェブも回るし、ぐるぐるとウィンドウを巡ります。一つのことに長く集中できません。文章は五分も書いたら、ほかの作業へ移ります。パソコンは、終了したことがありません。つけっ放しで、スリープするだけ」

「片づいた場所で、一つのことに集中するのが仕事術だと思っていましたが」

「そういう人もいるでしょう。いろいろだと思いますよ。自分に合った方法を探すことが大事なのではないでしょうか」

学んでおくべきことは?

「職種に限らず、学んでおくべきことがあったりするでしょうか? 最低限、これだけは共通して学んでおくべきだ。学んでいないなら、学び直すべきだ、ということなどがないでしょうか?」

「うーん、なにも思いつきません。事前に学ぶことはないと思います。いつでも学べるのです。問題が起こってから、仕事で直面したこと、必要なことを学べば良いのではないでしょうか。ただ、切迫した仕事だと、そうもいっていられないでしょうから、ある程度は、必要な基礎的なものがあるとは思います。それを、日本では高校までの授業で習っているはずです。まあ、そうですね。国語や英語なら文法ですし、数学なら代数、理科なら物理でしょうね。基礎的なことは知っていた方が、安全だと思います」

「安全というのは?」

「生きていくうえで安全だ、という文字どおりの意味です。放射線とは何かを知っていなければ、原発事故でどうしたら良いのかわからないと思います。でも、これも、事故が起こってから勉強しても、充分に間に合いますね。問題は、数字の計算方法や単位の扱い方でしょうか」

しかたなくやり始める

「できるけれど、やりたくないときは、どうなさっていますか? 私は、これが凄く多くて、たぶん始めたらすぐ片づくけど、とわかっていても、なかなかできません。たとえば経費の精算などは、決まったフォーマットに書くだけなのですが、書き間違えそうで面倒だな、という気持ちで、なかなか取りかかれません。森先生はそういうことはありますか? そういう場合にはどうなさっていますか?」

「僕は、ほとんどいつもそうです。まず、文章を書くことが嫌いです。小説もエッセィも書きたくありません。面倒だし、書いてもわかってもらえないし、書いているときに楽しいわけでもありません。でも、仕事だからいやいややっています。工作は趣味ですが、好きでやっている趣味でさえ、面倒だと思えて億劫になることが頻繁です。そういうときは、しかたがないな、と腰を上げるのです。この『しかたがない』が究極のツールだと思います。いやいや、しかたなくやれば良いのです。やれば、多少はあとで良いことがあるでしょう。小説だったら印税がもらえますし、工作も出来上がると嬉しいものです」

苦手な作業を始めるには?

「苦手だからやりたくなくて、取りかかれない場合も、同じですか?」

「しかたなくやります。苦手でも得意でも、関係なくやるだけですよ」

「たとえば、私は、タイトルや、帯のネームなどの、キャッチコピィ周りが苦手で、ずっと頭の中ではぼんやり考えているのですが、紙に書いて上司に相談することが凄く苦手です。『こいつ、またいけてないコピィ持ってきた』と思われるのが嫌だからです。そういうとき、どうすれば良いのでしょうか? 勉強して力をつけるしかないのでしょうか?」

「いけていないコピィを考える天才だ、と上司に認識してもらえば良いのでは?」

「冗談ですよね、それ」

「つまり、上司に対する見栄が原因だということです」

「なるほど、そうですか……」

「苦手なんです、といってみるとか」

(『アンチ整理術』第6章「本書の編集者との問答」より)

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