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「持続させるという方法」へっぽこ編集者、森博嗣先生に教わる【7・最終回】

こんにちは。へっぽこ編集Yです。お楽しみいただいた(かどうかは読者数が少ないのでよくわからない)連載も今回で最後。最後の回の質問は、ある日、追加でメールをお送りしたものです。

というのは、これまでの質問について「本質というのは、文章化ができないものですね」というお返事をいただいたから! えっ? いままでの質問、文章化できないじゃん(多分そういう意味じゃない)と早合点するへっぽこ。ちなみに、最初の質問と最後の質問は2ヶ月くらい空いていて、その間にもいろんな人に聞いて集めたのが、この最後のくだりなのでした。

『アンチ整理術』第6章「本書の編集者との問答」より(最終回)

持続させるという方法

編集者Y(以下、Y)「私、先生のブログが毎日更新されることが本当に不思議で、あれも、毎日なにかを考えている、というご様子ですね。よく毎日あれだけの量を書かれますよね」

森博嗣(以下、森)「仕事ですからね。もう二十年間、毎日続けてきました。今年くらいで卒業しようかと考えていますけれど」

「え、そうなんですか……。多くの人は、仕事だけど続けられない、仕事で必要な勉強であっても続かない、と挫折(ざせつ)するように思います。勉強することと続けることに因果関係はない気もしますが、でもやはり、天才ではない人間は、毎日積み重ねることで知識や技能を得る面もある気がします。森先生は続けることについてどうお考えでしょうか? 三日坊主体質の私としては、なにか答があると嬉しいのですが」

「僕も、小さい頃は、三日坊主でなにも続けられない子供でした。すぐに厭(あ)きてしまうので、よく叱られましたよ。だから、大人になって、ものごとを継続する姿勢みたいなものへの憧れから、自分がなにかを続けられると、自分で自分が誇らしく思えて、褒めてあげたくなります。僕は、基本的に人から褒められても、なんとも思わない人間ですから、自分に褒められるためにすべての行動をしている感じですね。人から貶(けな)されるほど、続けたくなりますしね。研究者の素質としても、コンピュータの前に十時間くらい毎日座っていられることは条件といえます。続けることで、自分の能力を増幅できるわけですから、こんなに簡単な方法はほかにありませんよ。あ、これは珍しく『方法』ですね。そう、たしかに、ほとんどのものに適用できますね。こつこつと続けることで、ほとんどのことは実現します。自身をコントロールする能力が養われますしね」

片づけない、という方法

「勉強法や整理法などについて、会う人会う人に質問してきました。この本を読んでくれそうな二十代なかばから四十代前半くらいまでにきいています。そうしたら、だいたいみんなが、『忙しいけれど学びたい。どうすれば効率良く学べますか』といっていました」

「それで、今までの質問がそうだったのですね。もう、ほぼ答えたと思います。皆さんにいえることは、人にきくまえに、自分で考えましょう、だと思います」

「でも、『効率』はキーワードかな、と思いました。整理をするのも、効率のためですよね?」

「一般的には、そうですね」

「でも一方で、最近『レッジョ・エミリア』という教育法が注目されているらしいのですが、その教育法の特徴の一つに、『その日が終わっても片づけない』ことがあるそうです。子供が作りかけた工作や絵を、そのまま置いておいて、翌日続きをやっても良いし、一カ月後に再び作り始めても良い、みたいな方法らしいです。これは、森先生が実践されていることと同じですね。『整理しない』に近いものがあるとも感じました」

「素直に考えたら、そうなるというだけです。片づけることに、今まで拘りすぎていただけですよ。実際、そのままにしておいた方が、翌日作業が始めやすい。場所さえ充分にあるなら、全部やりっ放しで良いのです。スペースがなくなるという以外のデメリットは、特にありませんから」

散らかした方が効率が良い?

「森先生は、ご自分の専門に無関係な雑誌をよく読まれていますね。ガレージにも雑多なガラクタが集まっているそうです。それらは、効率のためですか? 効率と雑多に集めることに関係性はありますか?」

「効率という言葉が、何の作業かによって違います。工場の流れ作業のように、同じことを繰り返す労働なのか、それとも新しいものを発想する作業なのかで、全然違うでしょう? 僕は、創作的な作業をしている人間なので、どれくらい多くを思いつけるか、突飛な発想、新しい発想が、どれだけ頻繁にできるか、が効率なのです。そうなると、雑多なデータの中にいて、つぎつぎと目移りして、どんどん別の作業へシフトしていく、そういう分散型のやり方が適しています。だから、自ずと散らかるわけです。散らかっている方が、明らかに効率的です。片づけようと思っても、ものが多すぎるし、捨てられないし、なにより時間が惜しいから、できません」

「片づけないというのは、普通は非効率的なイメージです。学校でも、まずは『片づけろ』『整理しろ』みたいなことを教えられますが、好きなものを集めて並べることから勉強が始まるのでは? とも思います」

「学校は、大勢が共有するスペースですから、片づけないといけませんね。同じ場所を多数の人が使うための効率が目的です。でも、自分の部屋は、自分が使うだけですから、自分の好きなものを沢山散らかせば良いと思います。散らかすというより、飾っておく、ディスプレィする、といえばだいぶ良い」

効率的である必要は?

「効率的に学ぶには、なにか違うアプローチがあるのか、と考えてきましたけれど、結局、一度は好きなものを集めてみるのが、効率的に学ぶ近道なのでは、と思ったり……。まとまりませんが、そもそも『効率的に学ぶ』ことが可能なのか、と迷ったりしてきました」

「時間制限があるときには、効率が問題になる、というだけです。明日がテストだったら、効率的に学ぶ方法は有効でしょうけれど、普段は、もっと大事なことがあるように思います。効率的に学ぶと、効率的に忘れていくかもしれませんよ」

「あ、それは、あると思います」

「結局、効率なんてものは、その程度のものだということです」

(『アンチ整理術』第6章「本書の編集者との問答」より)

後記。「方法」よりも「やってみること」なのだった

最後の最後にしゃしゃり出てすいません。編集Yです。へっぽこなりのまとめ、なんてものを。

この問答を通しての私の発見は、私は自分のことを「決して馬鹿ではない」「結果を出す方法がわからないだけだ」と思っていたんですけど、「結果を出す方法なんかなくて、悩んで、考えて、やってみるしかない」し、「方法方法言っているうちは、私は馬鹿だ」ということに気づいたことです。

へっぽこがいきなり人類代表みたいな顔をしますけども、「方法さえわかれば」と思っている人、私以外にも多いのではないでしょうか。それって実は、誤解です。大事なのはやってみること。やってみて、体験を積み重ねて、自分で自分を磨き上げること。

『アンチ整理術』は全編通して、効率や方法を学ぶためではない、本当に知的に自由に生きる、働く、結果を出すために大切なこと書かれています。 ぜひご高覧ください!

(了)

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