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「情報をセーブすべきか?」へっぽこ編集者、森博嗣先生に教わる【5】

noteをご覧の皆さんは、SNS疲れとかなさらないんですか? いきなり質問してすみません。編集Yです。私は「ジェンダー差」とか「仕事論」とか、もうありとあらゆる情報に翻弄され続ける毎日です。さて、そんな紋切り型の質問したらどうなるんだろう? という純粋な好奇心から情報について、性差についてなど質問してみた編集Yは、例により森博嗣先生の返り討ち(合戦か)に遭うのでした……。

だんだんイライラしている森先生と、何も気づいていない編集Y。(周りの人が)ハラハラドキドキの第5回、どうぞお楽しみください。

『アンチ整理術』第6章「本書の編集者との問答」より(第5回)

情報をセーブすべきか?

編集者Y(以下、Y)「ところで、情報は沢山取りにいくべきですか? 取捨選択すべきですか? 今は情報過多な時代ともいわれていますが、自分の仕事に必要だと思われる情報は、積極的に取りにいくべきでしょうか? それとも情報過多の時代だからこそ、あえて情報を減らす方が良いのでしょうか?」

森博嗣(以下、森)「そのように量を調整することは、どうでも良くて、問題は情報の深さとか、広さだと思います。情報過多といっているわりに、みんな薄っぺらい情報しか見ていないし、深く追求もしません。情報と情報の関連性も考えません。これも、やはりインプットだけではなく、アウトプットすることが大切です。つまり、情報について考えること。情報というのは死んだデータです。もう変化しないものです。考えなかったら、情報は死んだままですが、考えることで、初めて情報が生きます。情報を生かせば、自分のものになるし、応用が効きます」

男女の差について

「男性と女性で、勉強のし方や必要な知性は異なりますか? 一緒ですか?」

「個人差の方が大きいので、意味がありませんが、平均すれば差はあるし、違いはありますね」

「総合職だと仮定すると、私は男女差はない、と思っていました。長い間。でも、女性は仕事を続ける過程で、結婚とか出産とかすると、仕事にかけられる時間がどうしても減るので、男性みたいに『二十四時間働けますか』状態になれない時期があるのではないかと思いました。そういう時期がある女性は、どのように勉強していけば良いのだろうか、などと考えてしまいました」

「よく出産の有無が男女差のシンボルとして語られるのですが、個人が抱えている環境の差、能力の差、あるいは生き方の差などの方がずっとばらついていると思います。個人によって違うから、一般論では片づけられないということです。制度としては、なんらかの線引きをする必要があるので、問題になるわけですけれどね」

知性の獲得方法のサイクル

「読者が求めるのが、どんな知性・知力であれ、共通する獲得方法があったりしませんか? たとえば、『調べる→集める→取捨選択する』みたいなサイクルは共通しているとか」

「ありませんね。僕は、調べる、集める、取捨選択するなんて、意識したことは一度もありません。知性や知力を獲得する、と考えたこともありません。ただ、知りたいから知ろうとする、わからないから考えるというだけです。知りたいこと、考えたいことがさきにあるのです。そのために、いろいろな方法があるというだけです。研究のスタンダードな手順というのは、『発想する→考える→確かめる→やり直す→ほとんどが無駄になる』かな。これの繰返しですね」

するべきことができない人は?

「この本を読んで、『やるべきだとわかってるけれど、できない問題』が解消すると良い、と思うのですが、森先生は『やるべきだとわかっているけれど、できない』などというときがありますか?」

「そんなのしょっちゅうですよ。トイレにはいかないといけないし、食事もしなければならない、毎日何時間も寝ないといけません。やるべきことがあっても、それらをペンディングにして、トイレにいき、食事をし、寝ているのです。でも、いずれはしないといけない。問題は消えないのですから」

「森先生にはないような気がしていたのですが、そうでもないのですね。では、いずれはしなければならないことを、しない人はどうすれば良いでしょうか?」

「どうしようもないと思います。そのままです。問題は解決しないし、前進しません。それだけのことです。一つアドバイスしたいのは、時間的な余裕を持つことです。ペンディングできる時間を持つことです。そうすれば、トイレにもいけるし、食事もできます。ぐっすりと寝られるのです。自分がどれくらい、ものごとを先延ばしにしがちか、を把握して、それを見越して予定を立てることです」

自分を良く見せるのは得か?

「それでは、仕事にならない人もいます。雇ってもらえないかもしれません」

「それはそれで、しかたがありません。背伸びをして、自分を良く見せようとするから、どこかで無理が生じる、ということです。最初から、自分を低く見せる、『仕事ができない人間』だと思い込ませた方が、安全側です」

「先生は、そうしてこられたのですか?」

「はい、そうしてきました。親父から教わったのです。一所懸命になるなって」

「その価値観が、かなり珍しいと思います。損をした気分になりませんか?」

「どうして損なのですか? 人に良く見られたら得ですか? 僕は損だと感じますが」

好きなことを仕事にすると危険

「好きなことなら寝る間を惜しんでやった、と先生のエッセィにも何度か、それと似たようなことが書かれていたと思います。また、『「やりがいのある仕事」という幻想』(朝日新書)には、"仕事は基本的に自分の得意な分野であるはずだ”という文章がありました。仕事が好きなら、寝る間を惜しんでやれ、ということですか?」

「全然違います。まず、得意なことは好きなことではありません。たまたま一致していると、働きすぎて、健康を害することになります。若いうちは良いかもしれませんが、ストレスにはなると思います。好きだから、ストレスになるのです。得意なものを、いやいややっているのが理想的です。時間が来たら、たちまち中断できます。僕の作家の仕事がこれですね。嫌でしかたがありません」

(『アンチ整理術』第6章「本書の編集者との問答」より)

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