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1972 小倉

物心ついてから小1が終わるまで、小倉の城野団地というところに住んでいました。1993年、2008年の2回再訪しました。2013年はいかなかったかな。記憶が飛んでいます。

17号棟。多分101号。間違いなく17号棟で一番おぼっちゃまでした。今から50年位前。まだオート三輪が走り、アイスクリームは1本10円、紙芝居のおじさんが公園にやってきて、15円だか25円で水飴を買う時代でした。5円玉の記憶があるんで、多分。よく覚えていませんが、同じ団地で夜逃げがあったりして同級生が突然いなくなったりもしました。

母は、結局、九州を出た後、2度と小倉を訪れませんでした。あまりいい思い出がないのでしょう。

セカンドプレスですね、2000円盤。

20歳前後から突然、よしだたくろう(この時はひらがな)さんの「元気です。」の曲たちが、私の小倉時代と重なりだしました。とても(大人の)歌詞の意味を理解できない幼年期だったのに、どうして何だろうと今でも思います。夏休み、まにあうかもしれない、春だったね、たどり着いたらいつも雨降り、せんこう花火、素敵な曲がたくさん入っています。そして、ライナーノーツの拓郎さんの可愛らしい筆跡も素敵。

小倉時代の私を知っている人、今でももしかしたら一人だけいるかもしれません。彼は中学生の時に、なぜか1度手紙をくれました。ギターをやっているというような手紙でした。私も返事を書きました。今でも彼は何年かに一度は私を思い出すでしょうか?

今、私も彼しか覚えていません。名前といつもなぜか優しくしてくれたこと、彼のお母さんも私に優しくしてくれたこと、たった一人の友達だったのに小学校のクラスが彼と違っちゃったこと。このくらいしか私も思い出せないです。もう他の人はみんな忘れてしまいました。でもみんな元気なんでしょうか。

この夏、もう一度小倉に行ってこようと思っています。本当は去年行くつもりでした。私のルーツ、小倉。そして多分、これで人生で見納めです。時のながれだけしか感じないんだろうな、とは思いますが。

シンシア、「元気です。」には入っていなけどね。



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