Vol.01「偶然の美」
はじめに
僕はナカジマユウトです。京都工芸繊維大学で現代美術と僕たちの在り方について研究しています。
このnoteは最近僕の感じたことを飾らず、そのまま記録していく日記のような記事、その名も「ナカジのつれづれ草」です。現代美術というフィールドから一歩引いたときに見えてくる、世界への新たな切り口、といえば大袈裟でしょうが、小さな発見を皆さんに共有できれば幸いです。
さて記念すべき第一号に際して、最近の発見や驚き、そういったものを回想してみましたが、どうも言葉に起こそうとすると難しいものです。僕自身かなりの物書きであると自負はしていますが、やはり人間は書く生き物ではないんですね。いざ原稿用紙を前に言葉を書き連ねようとするとこれがなかなかうまくいかない。
よく建築家やデザイナーは「Build to Think」という言葉を使います。要は「考えるために作れ」、夢想するだけではアイデアは閃かないということです。空想の中にいつまでもいるのではなく、考えるための材料として何らかの試作をすべきなのです。
では小説家や批評家、言葉の作家はどうBuildすべきなのでしょうか。僕自身は別にプロの作家ではないので不確かではあるのですが、僕は喋ったり雑に書いたりすることで、ものを考えるのかなと感じます。
思い浮かんで羅列した言葉がそのまま、完成された文章にはなりえません。しかしとにかく思ったものをぱっと言葉にする、それは音なり文字なりにして。それらを推敲して編集する作業を何度も繰り返すことで、言葉は力を強め、作品になるのかもしれません。
何だか格好いいことを書いてしまいましたが、僕はさっき「最近何があったっけなー」とぶつぶつ呟いていました。それもたった一人、学校の木の下でアイスを食べながら。本当は深夜の暗がりに読書灯を点けて、書斎なんかで淡々と原稿用紙を埋めていきたいのですが、どうやら僕は言葉のプロフェッショナルにはなれないみたいですね。
偶然の美
さて最近ね、良いことありました。
日曜日の部活が終わった帰り道、僕のいつも使っている路線で人身事故がありました。事故が発生したのはもう二時間も前なので、もしかしたら動いているかもしれませんが、万が一まだ止まっていたり遅れていたりすると嫌だなと思い、別の線を使って帰ることにしました。お金も時間もかかるし嫌だけど、二時間前に勇気を振り絞って飛び降りた幽霊が、すぐそこに居たら何だか呪われそうだなと思ったのでネガティブな言葉は吐かないようにしました。
そして京都駅で降り、高速バスに乗車しました。いつもと違う帰り道、何だか旅行気分でうきうきしてスマホは触らずに、外の風景を眺めていました。
乗り慣れないバスに揺られていると、宇治のあたりでしょうか。あたり一面に田んぼが広がっていて他には何もなくて、その田の水面が夏を前にして澄み切った青空をたたえていたのです。前日の雨雲も午前中の風が全て吹き飛ばしていて、空には青しかありませんでした。
この時期、田植えをしたばかりでまだ苗は伸びておらず小さくて、その分空いているところから光がいっぱい降り注ぎます。その結果美しい青空が田んぼに映るのです。このような田のことを「早苗田」と呼び、また美しくみずみずしいこの様子は「玉苗」という季語で表現するようです。
同じように水面に反射する青空としては南米にウユニ塩湖という有名な観光スポットがありますが、僕が見たのは名もない田んぼです。しかしながら何か特別なものではなく、ごく日常的な風景の中にきれいだなと思える瞬間が顕れてくるとき、何か偶然的で、「出会えた」という思いになってしまいます。
美しいもの、綺麗なものって実は永遠不滅で、意図的に作られたような完全体ではないと僕は思うのです。不老不死の人間って美しいでしょうか。美しいかもしれませんが、自然の摂理に反した存在であり、少なくとも僕は怖いし、受け入れられません。
本当に美しいものは不完全な変化の中に現れるわずかばかりの秩序なのです。桜の花は一年のうちで数日しか咲きません。その一瞬のうちに美をたたえるから、人はお花見するのではないでしょうか。散ってしまう儚さがあるからこそ、ひととき咲き誇る桜のその様に息吹を感じるのです。
日本人の中にある美意識とはこういった非対称性、不完全さにあると僕は思います。日本文学者であるドナルド・キーン氏も以下のように述べています。
いつもと違う選択を取ることで偶然出会えた美しい宇治の玉苗、そうさせてくれた幽霊に冥福を祈りつつ、感謝を申しておきました。
計画がなくたっていい。いつもと違う選択を取ることで出会える何かを楽しむ余裕、揺らぎを日常に持ちたいですね。
おわりに
本記事で引用したドナルド・キーン氏の『日本人の美意識』(中央公論社)は僕が高校生のときに読みました。四年前、この本を読み進めていたときにキーン氏の訃報を聞き、かなり深いショックを受けたことは記憶に新しいです。ぜひ書店に足を運んでみてください。
またこのnoteは架空の雑誌『Breath』の記念すべき創刊号を制作するにあたり、友人のデザイナーであり編集者の鳥越さんに声をかけていただき、執筆するに至ったものです。このような試みをするきっかけを与えてくれた彼女に、ここで改めて御礼申し上げます。
次号からも読者の皆さんをいつもと違う、世界にご招待できればと思います。
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