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南米の沖縄日系人が教えてくれたこと

 5ヶ月の中南米旅の間にブラジル、アルゼンチン、ボリビア、ペルーと沖縄にルーツをもつ人たちに会いに行った。自分でサイトやSNSから連絡先を見つけて連絡した。そこからどんどん輪が広がり、たくさんの沖縄日系人に会うことができた。忘年会、スポーツの集まり、伝統芸能の練習、記念式典、飲み会など。そして、初対面にも関わらずお家に泊まらせてくれる人たちもいた。
 今振り返ると、沖縄日系人たちに会わなかったら、中南米の一人旅はとても味気なく、寂しいものになっていたと思う。人恋しかったのだ。初めての地で長期間旅をする。言語、食べ物、生活環境が違う。そのなかで、同じルーツをもつ人たちに時折出会う。それがどれほど救いになっていたことか。彼らと出会うことで、一緒に楽しみ、励まされ、次の場所へと向かうエネルギーが湧いてきた。お家に1週間泊まらせてもらったブラジルの沖縄2世の方が「ちょーでーぐわー」と言ってくれた。これは、出会えばみんな兄弟のような意味だ。とても懐が深く、てきとうで、お酒好きなブラジルのおじぃ。ほとんどポルトガル語しか話せないけれど、両親からの料理や「ちょーでーぐわー」の精神は受け継いでいた。
 南米各地で出会った沖縄日系人は、沖縄の文化を大事にし、沖縄日系人であることを誇りに思っていた。そして、とても結びつきが強い。これは、沖縄という土地を離れたからだと思う。だからこそ、より故郷の島を想い、文化を守ってきた。
 自分のことを振り返っても、大学で沖縄県人会に入り、エイサーを踊り、県人会のゆるやかな雰囲気に元気をもらっていた。離れたからこそ、自分のアイデンティティを考え、故郷のことを想う気持ちは一層強くなる。
 現在、3世4世とどんどん世代が引き継がれて、沖縄の文化から離れる人たちも増えてきている。沖縄のことを考え、何かの活動に参加する沖縄日系人は少数派。けれど、1人でも沖縄のことを想い、活動を続ける人がいれば、文化は残り続ける。南米の地で沖縄の文化が失われることはないだろう。最近の変化としては、沖縄日系人以外の人も県人会に参加し活動している。何より快活に逞しく生きている沖縄日系人をたくさん見たので、むしろ沖縄にいる人たちのほうが気にかかる。自分も含めて、沖縄のことを考え、誇りに思っている人たちはどれだけいるだろうか。何を知っているのだろうか。「私たちはこうしている。では、あなたたちは?」沖縄日系人たちに会って、そう問いを突きつけられた気がした。
 この経験がどんな形で現れるのかわからないけれど、まずは沖縄日系人たちが沖縄に来たら、自分が南米でしてもらったのと同じように、温かく迎えてお酒を酌み交わしたい。

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