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プロとアマ

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さて、プロとアマの話しが出てきました。

アスリートにも"プロ"と"アマ"の話は良く出てきていますが、実際にその線引きをするのは困難です。

スポンサーが付いていればパフォーマンスが低くても"プロ"?
どれだけスゴイ選手でも、例えば学生なら"アマ"?
他人が認めれば"プロ"?自分で名乗れば"プロ"?
アピール上手、人気があるから?

さっぱり解りません。

だけど、上記の投稿から考えるに、「技術」にスポットを当てると一つの部分では定義が出来るかもしれない。

パフォーマンス、知見、ノウハウ、説得力などの様々なスキルや能力・・・

それらも当然あったとして、今回は「経験・場数」で考えてみようか、と。


★例えば、指導者なら★

年齢はどの世代も居ます。そしてなろうと思えば誰でもなれます(名乗れます)が、実際に指導経験を有している、そしてその中身を問うてみると様々な人が居るのが解ってきます。

指導者でも立場が違います。監督、コーチをはじめ、様々な役職、立場があります。対象世代も違います。そして現場でどれだけ選手と接してきたか?何人と、何年どれくらいのレベルと。

全く一様ではありません。

評価をしたりする時は徹底的に評価していくなら別ですが、大抵はなんとなくのイメージでしか考えていません。

しかし指導者を自分が選択する立場になると、その人のキャリアや何やらが気になるはずです。例えば業界内でも格付けがあったり、互いに評価しあう仕組みがあったりもします。

そこで始めて本格的な「プロ」なのか「アマ」なのか指導者を考えることとなります。

上記にも挙げた評価基準を何個も上げて、一つでも多くクリアしている人が「プロ」としての価値が高い。それはただ指導対象の結果、パフォーマンスだけで決定できるものでもありません。

かといってニーズがある。つまりあちこちから誘いが入るからプロとして、価値が高いとも言いかねる。

関りの深さはどうか?
どんな立場で関わってきたか?
幅はどうか?
場数や経験、体験はどうか?

様々に、本当にキリがないほど指標や考察点を掲げられます。

言葉を操る能力、指導者自らの学習、研究意欲はどうか?
新しいものに対する感性や受容能力は高いか?

プロフェッショナルは専門家でもあるが、時代の要請やニーズにも合致していかないと結果を残せず、"プロ"としての存在感も示せないでしょう。

"アマ"は趣味で、好きなようにやっていても特段、誰かに何かを言われる必要もない。が、"プロ"はそういう訳にもいかない。

期待感などはどうか?

こうやって考えていくと本当にキリがない。流石に延々と考え、書き続けるとどこまで続くか解らないのでこの辺で止めておきます。

一人での考察でもどこまでもいけるのですから、「プロ論」の議論や対談はそれは幾らでも出てくる。それが面白くもある。


本稿、冒頭の深津さんの「プロとアマの差が縮まった」のは「サイクルの短さ」を考えると、プロ側に立つ人はその立場を活用し、どんどん場数を踏み、質量で圧倒すれば差をむしろ拡げられるのではないか?

アマ側には依頼がなければ、「プロ」になるハードルが高かったのが障壁は減ってきている。チャンスでもあるけど、垣根が減った分、プロと比較した瞬間、参入した瞬間に基準、水準、評価が大きく異なるものだということを自覚しなければキツイと思う。

生半可な"プロ"は時代に飲み込まれる。どっちに属しているか。立場はどうかを超え、何を実現したいかを行動基準に、勝負していくなら、どんどん挑戦していく必要がある。

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