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自分が指導する意味

エントリー読者想定と自分の経験でも触れた自分が書く理由。これと同じような話で、次は「自分が指導する理由」を考えてみます。

指導者として取り組み続け、学び続けた経験。現役時代の経験などもありますが、そのあたりまではある程度の指導者なら共通点が多いと思います。

しかし、囲碁(囲碁を通じて、人生のベースとなった考え方について)や自分の今までの取り組みや、読書・・・なんでも良いのですが、体験、経験を通じて出てきた「何か」は人とは全く異なります。全く同じ人は居ないと思いますし、神屋ならではの特徴はかなり違う部分があります。

発信に関しても同じで、自分の考えを伝えていくこともずっとやってきています。(twitterやこのnoteを是非巡回、読んで頂ければ幸いです)


自分ならではというのがあり、他の人とは違う部分が出てくる。マネジメントもそうですし、学生たちへの伝え方などに特徴が出てきます。そのあたりはAIがいくら発達しても、人間ならではの部分には勝てないところだと思っています。

人が、自分が指導する意味はそこにある、と。


また、創造していく部分、他と違う部分で理解されないこともありますが、だからこそ自分が取り組む意味もあろうと考えます。「〇〇はこうであるべき」だけで時代を切り開いていけるか?適応できるか?と感じています。

競技でもマネジメントでも、周りがどんどん変化していく中、土台となる知識や旧来の取り組みも大切ながら、どんどん新しい工夫や取り組み、知見を必要とします。そのあたりも融合したり、取捨選択しながら伝えていく必要があるでしょう。

様々な部分で「結果」「実績」を残していくことが大切ですが、上記のような指導や取り組みを知って頂き、沢山の人に入部して頂いたり、依頼して頂ければありがたく思います。

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