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英語のswallowと漢語の嚥・燕のフェイク語源・字源を医療関係者が拡散している

  1. 英語の動詞 $${swallow}$$ 「飲み込む」と名詞 $${swallow}$$ 「ツバメ」は語源的にも字源的にも関係がない。この2つの単語はもともと異なる発音と異なる綴りを持っていたが、歴史的変化によって偶然同じ発音と同じ綴りになった。

  2. 漢語の 嚥 $${yàn}$$ 「飲み込む」と 燕 $${yàn}$$ 「ツバメ」は語源的にも字源的にも関係がない。この2つの単語はもともと異なる発音と異なる綴りを持っていたが、歴史的変化によって偶然同じ発音と(部分的に)同じ綴りになった。

  3. 英語の動詞 $${swallow}$$ 「飲み込む」は名詞 $${swallow}$$ 「ツバメ」に由来するとか、漢語の 嚥 $${yàn}$$ 「飲み込む」は 燕 $${yàn}$$ 「ツバメ」に由来するとかいった誤った語源・字源説が存在する。このフェイク語源は特に医療関係者によって拡散されている。

フェイク語源・字源の紹介

インターネットで「swallow 嚥 語源」とかで検索すれば簡単にフェイク語源に遭遇する。検索で上の方に出てくるものを適当に紹介しよう。

例えば次のようなものである。これは茨城県立医療大学付属病院というところの広報紙のようだ。

嚥下は,日常会話ではあまり使わない言葉ですが,飲み下す,飲み込む,などの意味があります。嚥下の「嚥」は,「口」と「燕」を組み合わせた不思議な字です。これは,天敵を避け,人家の軒先に巣作りする習性のある燕の子育て-ヒナが大きく口を開けてえさを貰い,ゴックンと飲み下す様子-を見て古代の中国で作られた字だそうです。英語で燕を表すswallowには,飲み込むという意味もありますが,これも燕の子育ての観察に由来するそうです。洋の東西で,古人が同じ感性で発想した言葉が,現在まで使われているのですね。

https://www.hosp.ipu.ac.jp/cms/wp-content/uploads/2021/03/27.pdf

次の例は日医工株式会社という製薬会社のサイトの記述である。「監修:浜松市リハビリテーション病院 病院長 藤島一郎」とある。

「嚥」という難しい漢字が使われていますが、ツバメの子が口を大きく開けて親鳥からエサをもらい、飲みこむ様子※から作られました。口へんに燕(つばめ)と書いて「飲み込む」という意味の動詞になったのです。
※ツバメは人間に近い所で巣を作るため、給餌の様子がよく観察できました。

また、嚥下は英語でswallowと言います。言語は違いますが、名詞の「ツバメ」と、動詞の「飲み込む」として使われています。

https://www.nichiiko.co.jp/medicine/swallow/swallow26.php

次の例は、新潟リハビリテーション大学というところの学長のブログのようだ。

嚥下の嚥の字は、口ヘンにツバメ(燕)です。さらには、英語ではツバメも嚥下も同じ ”Swallow” です! この「一致」について、嚥下領域に従事している方ならご存知の方も多いと思いますが、ツバメのヒナが親ツバメからエサをもらっている姿は、洋の東西を問わず、飲み込む動作を連想させるものがあるのでしょう。

https://nur.ac.jp/president_blog/edu/21/

次のように、英語の語源が偽りであることを認識していながら、漢語あるいは漢字については関係があると記述するような例もある。これは東京医療保健大学のサイトで、「医療保健学部 医療栄養学科 小城 明子」という人が書いたらしい。

嚥下の「嚥」の字は、くちへんに燕(ツバメ)と書くように、ツバメの子が餌を丸呑みする様子から作られた漢字といわれています。一方、英語で“飲み込む”ことをswallowといいます。これは動詞ですが、swallowは名詞ではツバメ。語源は違うそうですが、おもしろい偶然です。

https://www.thcu.ac.jp/research/column/detail.html?id=114

英語のswallowの語源

上で引用したような医療関係者が語源には自由に想像して主張する余地があると考えているのとは裏腹に、語源はそれを専門とする学者によって科学的によく研究されている。特に英単語はそうで、今回の例の場合は、ある程度信頼できる英単語の語源辞典(多数存在する)に頼って文献記録を遡ったり言語間比較を行うだけでツバメの子云々がフェイクだとわかるだろう。

現代英語の動詞 $${swallow}$$ 「飲み込む」は古英語 $${swelgan}$$ に遡る。オランダ語 $${zwelgen}$$、ドイツ語 $${schwelgen}$$ に対応する。

現代英語の名詞 $${swallow}$$ 「ツバメ」は古英語 $${swealwe}$$ に遡る。オランダ語 $${zwaluw}$$、ドイツ語 $${Schwalbe}$$ に対応する。

古英語・オランダ語・ドイツ語で形が一致しないので、現代英語で形が一致するのは英語の歴史的変化がもたらした偶然だとわかる。

古英語 $${swelgan}$$ と古英語 $${swealwe}$$ の語源を関連付けたいという欲求を抱くかもしれないが、そもそも動詞 $${swallow}$$ 「飲み込む」と名詞 $${swallow}$$ 「ツバメ」の語源を関連付けようとする試み自体は現代英語で綴りが一致することだけに基づいていたはずだ。形が一致しない単語同士を語源的に関連付けようとする理由はもはや医療関係者にはないだろうし(あるとすれば、一度フェイク語源を口に出した自分自身をどうにかして間違っていなかったことにしたいということくらいか)、それを説明するのは彼らが考えている以上に難しいことである。今回のケースでは、例えば最初の母音が動詞は $${e}$$ で名詞は $${a}$$ であり、語幹の最後の子音が動詞は $${g}$$ で名詞は $${w}$$ であるが、こうした違いをどのように説明するかが問題である。

一度フェイク語源を口に出した自分自身をどうにかして間違っていなかったことにしたい人が最後に言いそうな(というか実際に言っている)ことは、古英語 $${swelgan}$$ と $${swealwe}$$ が語源的に関係ないことは認めるが、それらが現代英語でどちらも $${swallow}$$ に変化した事自体は、「飲み込む」と「ツバメ」を結びつける二次的な民間語源に由来するものだという主張である。しかし、古英語で $${swelgan}$$ や $${swealwe}$$ に似た形の単語を調べてその現代英語形を見ると大抵 $${swallow}$$ に似た形になっているので(後半部分だと $${fylgan→follow}$$、$${pylwe→pillow}$$ とか)、そのような民間語源が存在せずとも同音異義語になることが半ば運命づけられていたたとわかる。2つの同音異義語のそれぞれたどってきた道が完全に解明された今となっては、「飲み込む」と「ツバメ」を結びつける二次的な民間語源があったと考える証拠がないどころか、その仮定がなにかの謎を解明することもない。

漢語の嚥・燕の語源または字源

英単語の語源がよく研究されよく解明されているのと比較すれば、漢語の語源の研究は相当不十分であり、これまでに専門家の手によって出版された語源辞典は一冊しか無く、一般的に言って史上初の語源辞典はその後未来に出版されるどの語源辞典よりも解明されているものが少ない。ここで問題なのは、専門とする研究者がそれを解明できていないという事実を、専門としない者は「それについて自由に想像して主張する余地が自分達に与えられている」と受け取る傾向があるということである。

漢語と漢字にまつわる第二の問題は、それらを専門としない者は一般に言語たる漢語と文字体系たる漢字を区別できないことで、さらに日本人の場合は、ほとんどの漢字は少なくとも1000年以上前の漢語を表記するために作られたもので、中国から日本に輸入されたものであるという事実の認識が難しい。

そのような状況を見ると、ここは英単語よりもやや丁寧に説明する必要がある。まずは語源についての話をしよう。幸いにも、嚥 $${yàn}$$ 「飲み込む」の語源はほとんど解明されており、燕 $${yàn}$$ 「ツバメ」とは無関係であると簡単に示せることが判明した。

漢語には 嚥 $${yàn}$$ 「飲み込む」の声調違いの単語に 咽 $${yān}$$ 「喉」があり、後者の単語も日本に輸入されている(耳鼻咽喉科とか)。「飲み込む」という意味は、ツバメから連想された可能性よりも、「喉」から派生した可能性のほうが高いだろう。$${yàn}$$ と $${yān}$$ のような声調だけが異なるパターンは、古英語 $${swelgan}$$ vs. $${swealwe}$$ の違いのように乗り越えられない障害ではなく、妻 $${qī}$$ 「妻」から派生した 妻 $${qì}$$ 「嫁がせる」、枕 $${zhěn}$$ 「枕」から派生した 枕 $${zhèn}$$ 「寝る」のようによく見られるもので、派生の方向がその逆(「嫁がせる」から「妻」、「寝る」から「枕」)ではないこともよく知られている。要は、嚥 $${yàn}$$ 「飲み込む」は 咽 $${yān}$$ 「喉」の動詞化である。

文献記録を遡ると、かつては $${yān}$$ 「喉」と $${yàn}$$ 「飲み込む」はどちらも「咽」という文字で表記されており、「嚥」はそれより新しい文字だということがわかる。したがって英単語の時と同様に、フェイク語源の唯一のよりどころであった綴りの一致は、歴史を遡ると失われる。

さらに、$${yān}$$ 「喉」と $${yàn}$$ 「飲み込む」が上古漢語の時代から「咽」と表記されていることは、どちらの単語とも上古漢語では 因 $${yīn}$$ と同じように $${i}$$ のような母音を持っていたことを示唆している。この母音の一致は「飲み込む」は「喉」から派生したものだろうという仮説を強化している。それに対して、燕 $${yàn}$$ 「ツバメ」は上古漢語では $${e}$$ のような母音を持っていたことがわかっている。したがって英単語の時と同様に、「飲み込む」と「ツバメ」を語源的に関連付けたい場合には、この母音 $${i}$$ と $${e}$$ の違いをどのように説明するかが問題となる。

もともと上古漢語の時代には「咽」という文字で表記された $${yàn}$$ 「飲み込む」は、中古漢語に至ってその発音が変化した結果、因 $${yīn}$$ とは異なる母音を持つようになっただけでなく、偶然にも 燕 $${yàn}$$ 「ツバメ」と全く同じ発音になった。このように単語の歴史がわかると、次にする字源の話が理解しやすくなる。

中古漢語の時代の辞書で「燕」と同じ音を持つ文字を調べると「嚥」だけでなく、さらに「驠」「醼」「讌」「嬿」「㬫」「酀」などがある。ここからわかるように、これらの「燕」は単なる表音要素である。中古漢語の時代、燕 $${yàn}$$ 「ツバメ」の同音異義語はほとんどの場合、「燕」に意味要素を付加することで表記された。それは上古漢語の時代には「咽」という文字で表記されていた $${yàn}$$ 「飲み込む」も例外ではなく、もはや母音の一致しなくなった「因」は新しく同音となった「燕」に置き換えられて「嚥」という文字が誕生した。これは古英語で $${swelgan}$$ だったものが後の発音に合わせて「swallow」と表記されるのと同じことである。

ツバメの子云々は全てフェイクである。

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