「一貫性がない一貫性」という信条から生み出される暴論の嵐。
性欲は悍しく不浄であるとされるけど、その概念自体が社会的抑圧の副産物としか思えない。だから本質的にピュアでありマリアである。
ショート動画や編集加工済動画はステハゲを信奉していることもあって、浅ましく醜いものだと思っているけど、YouTubeのアルゴリズム的に使わない手はないのが現状。
薄汚い権威だろうが使えるもんは使いたい。
「女の子とは話しているだけで面白い」か。なるほどねぇ。正直、性で分離する以前に人間としての評価っていう視点が先に来てたから全員退屈に感じるのかも。一回、ステレオタイプ貼りまくって見てみるか。
暗黙の共通基盤を理解していない貪欲に穢れたならず者たちが昔の「ぼっち系YouTuber」を殺した。くだらないね。反吐が出る。だけど彼らも自己闘争に励んでいたんだ。その結果、小さな悲劇を生んだ。『誰にも罪はないPAINのCHAIN』なのかもしれない。
小説も漫画もアニメもゲームも映画も学問も全て妄想に過ぎない。 妄想の世界での自慰行為。 中学生の頃、学校に馴染めないこともあって妄想に耽る日々を送っていた。 妄想の内容は本当にくだらない。 当時、韓流ドラマである『イ・サン』や『ホジュン』、『客主』に見入っていたのを覚えている。 恋愛要素も大いに含んでいたが兎に角アクションが派手で魅了されていた。 精神年齢が非常に幼いが、自分が王様や近衛兵だと思い、敵をばっさばっさ倒していくという中二病チックな妄想をしていた。
北朝鮮と南朝鮮の間で反復横跳びするか、ホワイトハウスを黄色に塗りたくるか。
無力感。無力感。無力感。やっぱり力があってなんぼだよなぁ。へずまりゅうがカッコよく感じるよ。
自分は未来に対して進むことができているのだろうか。 何もやっていない。何もやれていない。 周りの学生は勉強なりサークルなり恋愛なり、それが意味のあるものなのか価値のあるものなのか僕には分からないが、それでも進んでいる。 僕は二本足でこの世界に立っているのだろうか。もしかしたらプランクトンと同じで、流れに身を任せているだけなのではないだろうか。 時の流れの音を感じる。無慈悲に僕を置いていくあの嫌な音。 壊していかないと。殺していかないと。 今の自分が変わるためには死
再掲。3369字。 「なぜ?」が脳内を駆け巡る日々を送っておりました。 結果、微熱で体調を崩し、寝込みながらも、ある種の使命感に従い文章を綴ることにしました。 「幸せとは何か?」 そもそも幸せが必要かどうか、その幸せとは目的なのか手段なのか、この世界に幸せは存在するのかなど、土台を支える部分が不完全であるため、この問いに対する答えを見出そうとすること自体が無意味なのかもしれません。 加えて、知るということは無知を自覚することにも繋がります。ソクラテスが言うように無知
学ぶことって型にはまることなの?
拙文。射精。 前提として「闘う必要性があるのか」「そもそも闘うとは何か」といった問いが思考を遮ろうとするが、今の自分には答えを出すことができない。 足元が不確かすぎるのである。というか足元すらなく、浮遊しているだけなのではないかとも思う。 自分が何をやりたいのか、そしてどこを目指しているのかすら分からない。 強いて言うのであれば仲村さんになりたい。自分のことを仲村さんだと思っている節がある。 ただ、仲村さんの終着点が自分の求める理想であったかと問われると頷くことは難
敵と師の両立か。ニャルほど
「死にたい」より「殺してやりたい」が先に来るというか、いつもそっちが強い。なんで俺が死なんといかんねん。世界側が死ねばいいだろ。ふざけんなよ。
音楽→興味ない 映画→興味ない 学問→興味ない アニメ→興味ない 旅行→興味ない スポーツ→興味ない 小説→興味ない もう俺終わりだろ(笑)。義務感で行動してるだけ。目的がないとまともに動けない。だから「持つ者」の言葉なんて一銭の価値もないどころか害悪でしかない。