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ふたりたび

一人旅が好きだけど、「ふたりたび」もまた違った魅力がある。
ただ、結局のところ、「ふたりたび」が楽しいものになるかどうかは、価値観の一致や興味の幅、お互いの信頼関係によるのかもしれない。
今回はそんな「ふたりたび」に関するお話。

旅先での出会い、気の向くままにふらっと訪れられる感覚、遠方の友人に声をかけ、フラッと会って飲みに行ける感覚。基本的に単独、旅先で複数人が僕の旅のスタイルだった。予定は決めるけどその場に応じて変化するもの。自分自身がかなりマイペースなのもあるけど、これが友人同伴だと、友人が疲れちゃうだろうな、と思っていた。

ただ、そんな僕にも「ふたりたび」をする機会ができた。

先日、だいたい500キロほど離れた場所に住んでいるパートナーが、今僕が住んでいる場所に来てくれた。これまでは2時間ほどご飯食べに行くことが多く、長い時でも1日行動を共にするくらい。でも今回は観光も兼ねて、2泊3日で滞在してくれることになり、これは実質3日間ほぼ二人で行動することを意味する。

もちろん、それが楽しみだったし、忙しい人だからかなり貴重な機会であることは間違いなかった。が、いくつか不安もあった。

僕自身話下手なので、沈黙が気まずくならないかとか。
マイペース過ぎて疲れさせちゃわないかとか。
一人の時間がない自分は、どこかで疲れちゃうんじゃないかとか。

そんな期待8、不安2の心情で当日を迎えた。

待ち合わせ場所に集合した後、レンタサイクルを借りて、このご時世なので密にならない空間や穴場スポット、生活感のある場所を中心に回った。

回る場所は事前にざっくりと決めていたものの、あくまでも「最低限行きたい場所」程度のものだった。たまたま見つけた標識や寺社、ちょっとした路地や趣あるカフェなど、結局目的の場所に行くまでの過程もうろうろと楽しめたのは、2人ともに共通するフッ軽とマイペースさ、「行きたい!」「気になる!」に「いいね!」といえる関係性が根底にあるのだろう。

宿についてからはほっと一息。このあたりで疲れたり話が尽きたりして各自スマホを触る時間になるかとも思っていた。
が、実際には自転車移動中、さほど広い道路を走らなかったこと、また僕の声もあまり大きくないことから信号待ちぐらいでしか話す機会がなかったため、スマホをだらだらと触ることもなく、話題に事欠かなかった。話題が尽きても、何気ないことで笑顔になれるようなタイプだったからか、沈黙に困ることもなかった。

これがバス移動や電車移動になっていたとしたらどうだったのだろう。今のご時世的にあまり車内で話せる気がしない。それはそれで話下手にはよいのかもしれないが、ちょっと気まずくなる気もする。今回はひたすら漕ぎながら時々話すことができる、自転車を選んで正解だったと思う。

そんなこんなでいつの間にか3日間が過ぎた。

3日とも単調に過ぎたのではなく、電動自転車で絶景を見に山道を登りひたすら自転車を漕ぐ時もあれば近場を軽くおさんぽする時もあり、公園でひとやすみしたりちょっと話したりと変化に満ちた3日間だった。

ただ初日の「過程を楽しむスタンス」は一貫していて、そのおかげかまったく気疲れはなかった。パートナーも楽しんでくれてたみたいで一安心。
3日間の最後には普段ドライな自分でもちょっと重くなるくらいには寂しさを感じていた。新幹線の乗り場まで手を引いて、しんみりとその場を去った。

これほど自宅へ向かう自転車の足取りが重かった日は過去になかった。

今回の「ふたりたび」を終えて気づいたこと。それは、相手との信頼性や相性によって楽しさも居心地も変化するということだった。

以前別の友人とこうした「ふたりたび」をしたことは何回かあったが、うち1回がちょっとしたトラウマになっていたためにこうした不安が湧出してきた。ただ今回の場合、こうした不安もばれていて、それも含めて受け入れてくれていた。またそれは僕も然りだった。

夜に各々のMTG入れてたり、ゆっくりしたり。自由な面もありつつも、お互いの時間も大事にする。時に沈黙を味わい、また時にお互いの思いをシェアする。それくらい信頼できる関係なら、「ふたりたび」が一人旅の何倍も楽しくなる気がする。

そういえば友人も東北から車で日本横断旅をしていた。あのときも「二人」だった。三人以上になると我慢する要素が増えるため、自分には「ふたりたび」が心地よく感じる。

また時間作ってふたりたびがしたい。今度はどこに行こうかな。
そんな余韻に浸りつつ、今回の筆を置きたい。

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