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名前の漢字を間違える君へ

ああ、またか。
今日送られてきたメールを読んで思う。
もうこれは何度目なのだろう。まあどうせ言ってもきりないし。

1、名前を間違えられることについて

世の中には人名には似た漢字が多く使われている。

「斎藤」と「斉藤」と「齋藤」と「齊藤」
「〇太郎」と「〇太朗」などである。

そうした漢字は間違えられやすい。
そして間違えらえた人はその訂正をしないことも多い。

かくいう僕もその当事者である。
さすがに就職活動の際には企業側としても誤った漢字で送ってくることは少なかったが(注:なかったとは言っていない)、旅館の予約や資格試験の団体受験、プログラムの申し込みなど、いろいろな場面で漢字を間違われることが多い。

そしてその間違いに対していちいち指摘していればきりがないので、長期的な関係を結ばない相手に対しては特に、訂正することを「我慢」している。

当然だが、名前を間違えられることにいい思いをしていないし、むしろ不快に思うことが多い。しかし、それでも名前を間違う人は後を絶たない。

間違われやすい名前をつけてくる親が悪いのか?そんなことはない。当然、間違える側が悪いはずだ。

間違えてくる人はおそらく自分が間違われにくい名前であり、間違えられた経験がないからこそ、間違えていること自体に気付かないのであろう。いや、気付いても特に何も思わないのだろう。
しかしいつまでもそれを放置するのも納得いかない。
「我慢に代わる私の選択肢」として、まずは手の届く範囲から発信していこうと思う。

2、名前を間違えられた僕が感じること

世の中には名前を大幅に間違えてくる人もいる。
友人の中には、永田さんと長田さん、奈々子さんと菜々子さんなど、間違えられた経験のある人がいる。これらは音は同じであるが、漢字に共通する部分もなく、またどちらも漢字変換を一発で行えるほどのメジャーな名前であろう。一度も名前の漢字を見たことないなら仕方のないことだが(それならひらがなで書けばいいのにとは思う)、個人的な感想としては同情すらできないレベルだ。
さらに言えば、中田さんと中西さんのような「むしろ読み方も合ってないじゃん」という間違え方もあるが、これは呆れを通して逆に興味を持ってしまうほどだ。

こうした間違いをされる場合思うのは、以下のようなことだ。

①リスク管理が下手な人(肝要な部分のミスを見落としてしまうのでは)
②相手のことを考えていない人(相手がどんな気持ちになるかという想像力が欠如しているのでは)
③忙しくて余裕がない人(お疲れ様です。だけど非常時にも頼りにならなさそう)
④ミスがもたらす影響について考えられない人
⑤固定観念、思い込みが強い人(たしかこんな名前だったはず)
⑥結論として、100%信頼して任せられない人

ではそれに対し、冒頭のような「音が同じで、漢字も共通する部分があり、一見では間違える可能性のある字」を間違えてくる方に対しては、そうした思いを持たないのだろうか。いや持つに決まっているだろう。

多少の同情はするが、個人的には「この人は信頼できない」感を拭い去ることは難しい。継続的にかかわる可能性のある人に対しては訂正することもあり、多くの場合はそれで改善してくれるのだが、改善されないこともあることは事実だ。何度も間違えてくる人に関しては、たとえどんなに優秀な人であったとしても、あまり一緒に働きたい、何かをしたいとは思えなくなる。

3、名前は互いの信頼を獲得する第一歩

たかが名前。されど名前。
もちろんここで挙げたような感情はあくまで個人のものであり、人によっては名前を間違えられても特に何も感じない人もいるだろう。しかし程度の差はあれ、多くの方は名前を間違えられることに不快感を持つのではないだろうか。

名前はその人を表すことばの一つである。名前を間違えることは、その人個人を軽んじるととらえられる可能性もあるだろう。

逆に言えば、名前を正しく表記してくれるだけでも、僕の場合はその人に好感を持つ。間違えてはならない部分を間違えないことは最低限のことではあるかもしれないが、それがなかなかできない人が多いのも事実だ。

手紙やメールを送るとき、今一度相手の名前に間違いがないか、確認してほしい。その1秒で、君への信頼が大きく変わる場合もあるのだから。

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