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現在進行形、若者としての世界「悩み」「成長」

大学時代の友人から「アドベントカレンダー」に誘われた。
一般的なアドベントカレンダーとは、クリスマスをカウントダウンするもの。そして今回のそれは、テーマを決めて、クリスマスの日まで毎日投稿するものらしい。

テーマは「新社会人になってからの21ヶ月で読んだ本」。
ということで今回は、最近読んだ朝井リョウさんの『もういちど生まれる』を読んで考えたことを書いてみる。

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ちなみにタイトルは、読了後の率直な感想だ。
「社会人2年目、まだまだ悩んでいるな」
「なんなら、大学生のときと変わらないな」

もちろん、事実としては大学を卒業し、企業に就職し、「会社員」として勤務している。しかし、この本を読んで実感した。実感させられた。まだまだ自分は「大学生」をしていることを。

「大学生」といっても、想像するイメージは多種多様だろう。飲み会でワイワイしている姿、部活でチーム一丸となり目標に向かう姿、もちろん、研究に昼夜没頭する姿もある。しかしながら、今回の「大学生」はそういう意味ではない(仕事で法務や経営の知識補完のために必死で勉強するのも大学生らしい、といま書きながら気づいたのは別の話)。

本書で朝井さんの描く「大学生(あるいは浪人生、専門学生)」は、悩みながら成長する過程そのものだ。短編集に描かれる主人公たちの性格はそれぞれ。表向きは「普通」の大学生だ(もしくは、それを演じている)。チャラ目な美大生もいれば、クラスの一軍的な盛り上げ役、平凡な日常に「何か思っていたのと違う」と思いつつも日々を過ごす者もいる。

しかし共通しているのは、小さな葛藤を抱えながら生きる姿。別に犯罪とか探偵とか、大きな事件が起きるわけではない(本文中で交通事故にあった描写もあるが、それは本筋に大きくは影響しない)。けれど、本人たちにとっては重要なことで、どうしようもなく辛いことで、そんな毎日に一喜一憂しながら生きている。見ることを避けてきた世界に向き合ったり、複雑な感情に心が締め付けられたり、自分にはないものを持っている姉と比較したり。それは毎日が主人公な小説で、ちょっとずつ、かつ確実に、次の章に進んでいる。そんな姿だ。

最近、後輩の大学生と話すことが何度かあったが、この1年半という期間は短くも長かったことを実感する。地域系のイベントで大学生に会うと「若いね」とつい言ってしまう自分は、数年後、もしかしたら今の自分の年齢をを「若い」と言っているのだろうか、などと小さな恐怖を感じながら、それでも「大学生」と「社会人」の壁は厚く、過去のことだと思っている節があった。少しうらやましい、と感じることさえあったほどだ。それは時間があることなのか、挑戦できることなのか、責任が軽いことなのか、そんなことまでは考えられなかったけど。もう大学生じゃないんだから。社会人なんだから。「社会人」という単語に縛られていた自分が。

けど、実は自分は、まだまだ現在進行形で「大学生」なのかもしれない。日々の業務の出来に一喜一憂し、同期や上司の成果に嬉しくも悔しさを覚え、一般的には「事件」ではないことも自分にとっては「事件簿」なんてことがたくさんある。見えない未来に焦りながら、見たくない現実を直視するまでに時間がかかるような自分。それはまさに、この本で触れられる「大学生」と変わらない。

大学時代からお世話になっている先輩には「shinくんはいつも悩んでるね」なんて言われることも多いけど、最近はそれを自分の個性として受け入れている。悩めるのは、悩む時間があることは幸せなことだと本当に思う。そして、悩みを気軽に「悩みだ」と話せるのも、ある種、若者の特権だ。

裏表紙のあらすじは、下記の文章で締められている。
「みんな、恥ずかしいプライドやこみ上げる焦りを抱えながら、一歩踏み出そうとしている」「若者だけが感受できる世界の輝きに満ちた、爽快な青春小説」―「それ今の自分やん」と思えるのであれば、きっとまだ「大学生」の延長だ。考えてみれば、偶然耳にしたサンボマスターの「可能性」や「できっこないをやらなくちゃ」に後押しされたのもつい最近のこと。若者の感情に共感できるうちは、まだ若者だ。

24歳って長い人生を考えればまだまだ序盤だし、きっともうちょっと「無茶」をやってもいい。まだまだ悩む時期だし、挑戦をしてもいい。会社ではまだ2年も経っていないなのだから、失敗も仕方ない(と、ある程度開き直るくらいが自分はちょうどよさそう)。

1週間後に迫りくる2025年。来年も悩みながら、学び、挑戦する年にしたい。
だって僕らは、まだ若者なのだから。「大学生」なのだから。


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