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木曽川越える「トキトキ」 今も変化する方言

「トキトキ」という方言があります。意味が分かる方は、愛知県の名古屋近辺に暮らす人か、過去に暮らしたことがある人かもしれません。擬声語(オノマトペ)の一つで、「鉛筆などを削ったときに、先が鋭くとがった状態」を指す言葉です。言葉の用例としては「明日の試験に備えて、鉛筆、トキトキに削らんといかんよ(いけないよ)」といった具合でしょうか。この「トキトキ」には類語もあって「トッキントッキン」という場合もあるようです。別の地域にはまったく違った表現もあって、例えば愛知の隣の三重県では「チョンチョン」といいます。これも用例を示すと「トッキントッキンにとがったクギが刺さった」とか「チョンチョンにとがった竹串」となります。

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一部が愛知と岐阜の県境となっている木曽川。対岸は岐阜県で、鉄橋の右上に岐阜市の金華山が見える(愛知県一宮市)

トキトキが岐阜に伝わったのはこの20年

私が暮らし、取材している岐阜県南部の美濃地域ではこのところ静かな変化が起きていたようです。若い世代を中心に「トキトキ」が、愛知県尾張地域と岐阜県美濃地域にまたがる木曽川を越えて、この20年の間に岐阜市内などに入ってきたというのです。この話を聞いたのは、岐阜県の方言を研究している岐阜大学の山田敏弘教授からでした。山田教授が岐阜大学に赴任した2001年には、まだこの言葉は同大学の学生の間であまり話されていなかったといいます。ですが、次第に「トキトキ」の表現は広がり、2010年ごろににはかなり普及するようになったといいます。

「トキトキ」が広まる前には岐阜市やその近辺にはどんな言葉があったのでしょうか。岐阜市出身の山田教授によると「トントン」とか「ツンツン」といった言葉がもともとあったといいます。それが学校に通う若者を中心に、名古屋に人が行き交う中で、岐阜県側にもたらされたのだといいます。山田教授によると、「トキトキ」の語源は「研ぐ」といいます。包丁などを研いでとがらせる行為がトキトキという言葉へと変わっていったようです。

方言にはかつて京の都から同心円状に広がり、残った言葉が多いと知られています。日本列島の離れた場所で同じような方言が話されているのはそのためです。それと同じことが名古屋を取り囲む狭い地域でも起きているのです。山田教授の調べでは、愛知県の名古屋では、若者らが自転車のことを「チャリ」と呼ぶ一方、30㌔ほど離れた岐阜県美濃加茂市などでは「ケッタ」と呼ぶそうです。かつて名古屋でも自転車のことを「ケッタ」と呼んでいたといい、方言が変化していることの現れとなっています。

名古屋市の大学に通う女子学生に本当にそうなのか聞いてみました。「チャリは男子学生が時々使ってますね。でも、学生たちの間で方言はあまり使われていなくて『自転車』と呼ぶのが一般的な感じがします。ケッタも意味は分かりますが、周りは全然使わないですね」と話していました。彼女の説明は名古屋での、ある時代における方言の変化の瞬間を映しているのかもしれません。つまり、山田教授の研究以降にも状況は一段と進んでいて、いずれは「チャリ」もあまり使われなくなりつつある可能性があります。さらなる研究が期待されます。

方言の変化を記録する意味

山田教授の研究に興味を持った私は、これまでいくつかの記事を書いてきました。この中には地元の岐阜の人から想像を超える反響が寄せられたものもあります。自分の話す言葉への思いがいかに強いかを知りました。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36553970W8A011C1000000/

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36474140U8A011C1000000/

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23418220T11C17A1CN8000/

首都圏にいると、例えば東北の人、関西の人、九州の人はそれぞれ同じような方言を話していると考えがちです。ですが、実際に地方に住んでみると少しの距離で微妙な言葉の違いもあることが分かります。方言も狭い範囲で伝わり、どんどん変化していることが分かります。こうした方言を記録する研究が地道に続くことを願っています。それは地方の人々が地域で生活したあかしになるからです。言葉の研究は話者である地域住民への尊敬にもつながるはずです。少子化の進展で、方言の話者は減っていきます。方言の変化を記録するのは、文化を後世に伝えていくという点で文化財保護にも通じる作業にもなるはずです。