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コミュニケーションを信じよ(ワンダショイベント感想)


愛しい天馬司よ、私がお前のなかでなによりも愛しているのは、お前が容赦しないということなのだ……。

はい。

私は★4司くんを特訓してLv制限開放したときのイラストを見た瞬間から、「私は……高校二年生になんてことを……」っていう謎の罪悪感に苛まれて人生を送っているのですが、皆さんいかがお過ごし?
なぜ私はデータに並々ならぬ生々しい罪悪感を抱いているのかしら?
いえ、それは仕方ないのよ、天馬司がかっこいいせいなの……世界の真理……私はこれから生涯、この罪悪感と共に生きていくわ……文化庁! 仕事をしてくれ……国宝指定、遅れてるぞ……。

はい。

ということで、満を持してはじまった、プロセカのワンダショイベント、「全力!ワンダーハロウィン!」の感想というか妄言noteです。

ネタバレあります。

いつも以上に正気を失っているのでネタバレというより狂気注意みたいな注意書きのが必要かもしれん。


総論

類くん、まじ健やかに生きて!!!!!!!!!

いや~~~~~~~本当によかった。私は下記のワンダショストーリー感想で触れたように、「自分は好きなことを普通にしているだけなのに、生半可頭がいいから皆が離れていってしまう」という「頭がいい人の孤独」を見られるとは思っていなくて大興奮していたのだけど、その孤独を解消してあげるストーリーで本当によかった。

しかも、同情や共感ではなく、「私はこう思う」の繰り返しによるきちんとした個対個のコミュニケーションで物事を解決していて、本当に素晴らしい。ああ、ワンダーランズ×ショウタイムはいつでも正気なんだ……。

あと、レオニ、ニーゴ、ワンダショ、すべてのイベントに共通するのは「あなたの気持ちは間違っていない」だなあ。
あらゆる感情を肯定するプロセカ、すげえなあ。


彼はもう孤独ではない

類くんから

やりたいことをやりたいようにできると、
こんなにも素晴らしい気分になれるんだね(1話より)

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という台詞を聞けただけで、私はマジで満足です。
そうなんだよ、類はそんな当たり前のことができていなかったんだよ……よかった、よかったよ……。これが人類の相互作用、コミュニケーションだよ類くん……そこは科学技術だけではなんともならんのだ……(科学信者かつ人類のことを嫌いになれないオタクより)

類は自ら友達と馴れ合うことをやめて一人になったのではなく、彼の側としては歩み寄ろうという気持ちがあったんだけど(そもそも歩み寄るモ何も「遊ぼうぜ」レベルでの提案だった)、周りがついてこれず結果として一人になってしまった人間なので、「一緒にやりたい」という気持ちに気づけていないのは当然だよな……。必要があってみんなでやっているだけで、仲間は必須条件ではなかったのだから。そしてその気持ちに、カイトによって気づかされる類。バーチャルシンガー、カウンセラーとしての才能がありすぎる。
まあ、バーチャルシンガー、つまりボーカロイドは「キャラクター」ではないので性格がないから、立ち位置としては対話相手の精神を照り返すものになる。つまり、自ずとカウンセラーになるんだろうな。傾聴と相手の気持ちの言い換えを行う存在。


丁寧なコミュニケーション、そして「与える」のではなく「在る」という救い

ワンダショの魅力の一つは、楽しさとハイテンションのなかで味わえる、理性的なコミュニケーションだと思うのだけれど、今回もその魅力が存分に発揮されていたイベントだった。

例えば序盤で、ショーコンテストの話が出たときに、えむはコンテストについて「一位を決める意味はないのでは」と漏らすが、それに対して司は「コンテスト――おおいに結構ッ!」とあまりに素直に感想を漏らしている。そのあとに続く寧々と類の台詞も、えむには共感していない。それは司の勢いに押されただけとも言えなくないが、少なくともそれぞれ自分の意見を述べている。
「私はこう思う」が健全に働いている、いいコミュニケーションだ……。

(ついでに言うと、イベントストーリーのなかではこの、「順番を決めることはいいことなのか?」に関して、結論のような台詞は出ていない。また、イベント終盤で発表される、中間発表順位でもワンダショは一位ではなく――三位ではない。このあたりのリアリズムも、運営側の善によるバイアスはかけるけどご都合主義にはしないというバランスを感じる。私は好きだ。)

類が、「無意識に自分を抑えて演出をしている」ことに関しても、全員が全員として「理解」はするが「同情」はしない。素晴らしい。類の過去をよく知る寧々でさえ、「かわいそうに、仕方ないよね」という態度は見せない。

普通の友達同士であれば、このようなコミュニケーションの在り方は「我の強さ」が悪目立ちしてしまうかもしれない。
しかしワンダショの場合は「よりよいショーを作る」という目的を最優先にできるから、このようなコミュニケーションにしても違和感なく見せることができるのだろう。うーん、設定がうまい。

きっとワンダショの皆は、誰に対しても「かわいそうだね」という言葉はかけないだろう。「私たちが笑顔にするね」と、「私」の存在で相手を照らすだろう。強い。

設定がうまいといえば、司と類が「演者」と「演出家」であるところも、絶妙であると改めて思った。要望を受ける側と要望する側なのだ。大変感覚的な物言いだが、互いの存在の輪郭を相手にあわせて一体化させるのではなく、互いの存在の輪郭の形は保ったまま、はまるところにかっちりとはめていく…といえばいいのだろうか。同じステージを作るが、役割は同じではない。その形は同じではない。あくまで「個」の意見を「個」の能力で打ち返す、そういう関係。

天馬司は公式が「俺様系」というように、我の強いキャラクターだ。自分の意見が何より強い。
だから類に対して「オレはこうする」と言ったときの強度がある。オレがやりたいからやる、その力がきちんと見える。

司「いいか、類! これからもお前は、お前のやりたい演出を全力でやれ! どんな演出だろうが、オレはそれを完璧に演じてみせる!」(7話より)

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繰り返すが、ワンダショの皆に同情は必要ない。同情するよりショーのクオリティを考えよう、観客の笑顔を考えよう、そういう、優しさはあるがじつにドライなメンバーの集まりである(ドライであるという覚悟を背負ったうえで、あのテンションなのがマジで愛しい。強い。好きだ……エンターテインメントを愛している人間の在り方だ……)。

だから今回の類の悩みに関しても、司が与えるものはない。彼は与えない。司はただ、類の演出に従って「演じる」のみである。類の求める演技をするわけではない。彼はあくまで自分の思うまま、演者としてステージに立つだけだ。演者として、ステージの上に「在る」だけだ。

しかしそれが救いなのだ。別に類は与えてほしいわけではない。ただ、好きなようにやりたいだけだ。好きなように振る舞いたいだけだ。
ただ、今回、好きなように振る舞っていいのだろうかと不安になってしまった。司は「好きにしろよ」と言う。なぜならオレも好きにしているのだから、と。何かあってもお前のせいであり、オレのせいだから、と。

えむ「もしかして司くん、類くんにだけじゃなくて、自分にも怒ってたの?」
司「当たり前だろう! 演出家を不安にさせたんだぞ? そんなヤツはスター失格だ!」(6話より)

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ここで「自分にも怒っている」天馬司、最高である。
やっほーーーカリスマ!!! 愛しているよ……。

本当、天馬司が受容ではなく存在で周りを掬い上げているの、私が好きなカリスマのムーブすぎるので、いくら見ていても飽きない。ありがとう、本当にありがとう……。


(ニーゴ…奏とまふゆは、「与える」という救いかなと考えたので、そのあたりの対比はいずれ…いやでも、「与え続ける存在として在る」ことが救いなのかな……。奏と司、個人的には色々と対比させて考えたい概念だ。利他と利己、内と外という点でも、面白い)


余談1:今回のかわいい司選手権優勝は


絶対に行かんわ!(8話)

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余談2:思い出したもの

今回、イベントストーリーを読んでいて一番思い出したのは、「左ききのエレン」番外編、「スタッフリストの質量」だった。

この話のあらすじは以下の通り。

光一の元上司で、"チーム"で仕事をする大切さを教えてくれた男、神谷雄介。彼も、もともとは完全なる個人主義だった。しかし、学生時代に出会った人びとの言葉で考えが変わりーー、神谷の過去が明かされる。

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「スタッフリストの質量」左ききのエレン|番外編 | 左ききのエレン | かっぴー | cakes(ケイクス)
光一の元上司で、"チーム"で仕事をする大切さを教えてくれた男、神谷雄介。彼も、もともとは完全なる個人主義だった。しかし、学
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神代類は望んで個人主義をとっていたのではなく結果的にそうなってしまっただけで、そもそもチームの良さをわかっていなかった、という違いがあり、結論も「影にいるたくさんの人がいてこその我々だろう」というところなのでルートは違うのだが、立ち位置的には似ているものがあると思う。

ニーゴのユニットストーリー感想のときにも言及した「左ききのエレン」であるが、この作品はクリエイターの物語であり、さまざまな種類の天才とさまざまな種類の凡才が出てくるので、まあそれは響き合うところもあるよね、という感じ。
(ってか、ニーゴの感想で参照した話も、上記「スタッフリストの質量」も、両方原作版「左ききのエレン」の5巻に収録されてた。偶然だけど。)

あとは、まあ、これはTwitterでぽそぽそと言ったり、身内には(わかりやすいので)言ったりしているが、天馬司、マジでアンドレ・ブルトンを思い出すんだよな~~……。20世紀最大の文化活動と呼ばれる「シュルレアリスム」(ダリとかマグリットとか知ってる方も多いはず)の指導者、アンドレ・ブルトンを……。
私は諸事情あってブルトンをこじらせている(作品面ではなくその人柄において)ということがあるが、彼も共感ではなく己の自我の強さで周囲の人を惹きつけるところがあるので……。
(ちなみに、前述した「愛しい天馬司よ、私がお前のなかでなによりも愛しているのは、お前が容赦しないということなのだ」という文言は、ブルトンの、「愛しい想像力よ」ではじまる言葉のもじりです)

余談3:着ぐるみさん出て嬉しかった

着ぐるみさんたくさん出てきて嬉しかった……着ぐるみ、ワンダショにおける「大人」枠なので、大人好きとしては出てくる度にわくわくしてしまう……(余談の余談だけど、ニーゴ・ビビバスでは家族だったり知り合いだったりが「大人」枠として登場するけど(モモジャンだけ未確認/レオニはそういえば、完全に「学校」で世界が完結しているからか、大人出てこないな)、ワンダショは着ぐるみさん=えむのSPという、距離のある存在として大人が登場しているのですよね……最高ですわねオホホ……ナイス距離感!!!!!!!!!!その距離感を有するモブを、私は愛するぜ!!!!!!!!!!!

着ぐるみさん、いつもしげみに潜んで待機しているの、あまりに健気だ……好き……

余談4:クラスメイトモブの部活を考えていたらなんか切なくなってしまった

ワンダショストーリーの5話で出てくるクラスメイト(以下クラスメイトモブ)を私はこよなく愛している(正確にいえば、彼を通じて見ることのできる天馬司の概念を愛している)わけだが、最近、彼の部活は何かな~と考えていた。Twitterアンケートも使ってイメージを固めたところ(半数が運動系と回答)、陸上部かな…という私のなかの勝手な結論に至った。

(これは私がクラスメイトモブをこじらせまくっていることがよくわかるnote記事)

天馬司は元々、「個」として非常に強いキャラクターだ。公式が「俺様系」と称することもあるように。だから陸上部、(サッカーなどチームで点を取り合い勝敗を決めるスポーツと違って)つまり「個」を磨いていく競技を選んだクラスメイトモブ的にも、共感ができて、それも一因で仲良くしていると考えると楽しいなと思っていた。
だけど結局、天馬司は「ショー」という複数で行う道を選んでいるので、結局「個」ではなかった、いや、「個」であるがチームを組める個であったのだ、そこがクラスメイトモブと天馬司の差異である(すべて幻想)という妄想を繰り広げていたので、今回のイベントで「なあクラスメイトモブ!!そういうことなわけ!!チーム!!コミュニケーション!!天馬司はそのなかでリーダーなわけ!!わかる?!?!?」って気持ちになって、世界で唯一無二の情緒の崩し方をしてしまった。個人的にめちゃくちゃタイムリーなイベント内容だった。

うーむ戻ってきたい。普通の世界に……。

はい。

まあ色々申しましたが、言いたいことはですね。

ワンダショイベント、最高~~~~~~~!!!!(見えない仲間達と肩を組んで陽キャのような声をあげる)

はい。

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