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推しより先にグッズが出るとさすがに自己肯定感が高まる

ここ数年で「自己肯定感」という言葉を聞く回数が増えたけれども、たしかに自己肯定感が高まると多少失敗しても「まあたまにはこういう失敗もするよね」とあっけらかんとできるというか、物事に対していい意味で深刻にならない。

初回の記事にも少し書いたが、(とてつもなく幸福なことに)会社の先輩・後輩に恵まれ、面白コンテンツの視聴には事欠かない社会人生活を送っているのだが、彼女たちは面白いだけでなく、とても優しくて私のことをそれこそ生まれてきてくれて有難うというレベルで肯定してくれるので、私の自己肯定感はここ数年で五倍くらいになった。


少し前にも、先輩に突然、「日曜日の夜に、なんか楽しいことないかなと思って、なかつさんが楽しく話しているところを見ながら飲みたいと思った。ということで飲みたい」と、こんなにテンションがあがる誘い文句はあるか? という誘いを受けたので、それならば最強のセッティングにしましょうと、私が愛してやまない膝栗毛の後輩二人(上記の記事参照/膝栗毛の二人ってなんだ……)も仲間に入れて飲んだ(がやがやしていないところで)。
四人で会社のエントランスで待ち合わせをして、予約した店に到着し、席に案内されておもむろに着ていたコートを脱いだところで――私以外の三人の胸元に、缶バッジがついていることに気付いた。見覚えのある絵柄だ。

以前、会社のデザイナーが描いてくれた私の似顔絵じゃん。

「作りました」と、端的に後輩の一人が告げ、透明なビニール袋に入った私の似顔絵の缶バッジを取り出した。私の推し(FGOのダストン)より先にグッズできたんだけど、どういうこと?

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これは自己肯定感が高まるしかないではないか。私の缶バッジをつけて、楽しそうにしている彼女たちを見たら。バッグのジッパーに缶バッジをつけて、ジッパーを上げ下げするだけで喜んでいる彼女たちを見たら、私の仕事の悩みなんざまったくもって些細な問題となる。
その夜はとても楽しく話して帰った。(缶バッジはもちろんもらった)(なお、親に「自分の缶バッジ作ってもらった」と報告すべきか、未だに悩んでいる。すでに後輩の親には報告されているが。)

SNSによって本来ならば人生で出会うはずのない人の動向を知ることができる世の中に、私たちは生きている。面白いことをより多く見ることができるようになったが、同時に、自分にはできなかったこと・自分より優れていることを見る機会も増えた。隣の芝生は青いというが、本来なら目にするはずのなかった世界中の芝生を、私たちは見ることができる。つまりは自己劣等感を感じる機会も増えた。

私も例に漏れず、「この人は私と同い年なのに、◯◯ができている。それに比べて、私は……」と憂鬱になることがある。そういうときに自己肯定感があると、「でも私もそれなりに頑張ってるしな」と、やはりあっけらかんとやり過ごすことができる。

思えば、私は社会人になってから、1ヶ月に3日くらいは「会社に居る全員、私のことが嫌いなんだ」と思いながら生きてきたのだけれど、少なくともこの2ヶ月、その気持ちはでてきていない。これも自己肯定感が高まったゆえだろう。

と、うだうだ書いたが、結局この記事は、会社の先輩・後輩と楽しい思い出を語ったものだ。
自己肯定感が高まると、こんな風に無駄に話を広げても、平気でいられる。

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