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【BL小説】生者に明日の墓はない1


「墓参り」がテーマの創作BL合同誌に掲載した小説です。
警察官CP(陽キャの部下×ポーカーフェイスおじさんの上司)。
ラブラブという感じではなく、全体的にほの暗い感じ。

 小綺麗な墓の前に立つ。埼玉の都心部から車で一時間弱の場所にあるこの墓地に、彼以外の人影はなかった。六月のはじめにも関わらず湿度は低く、初夏と呼ぶにふさわしい爽やかな風が吹いて、彼の肌を撫でていく。墓地の入り口からここまで歩いてくるまでにほんの僅か汗ばんだ身体の表面が乾いていく。ここが墓地でなければ、思わず目を細めて風の流れを追っただろう。
 彼は墓の横に設置された墓誌に目を向けると、一番右の行に彫られた文字を読んだ。今年の2月の日付と、女性の名前がそこにはあった。彫り跡の新しさが、出来たばかりの傷口のように痛々しい。
 彼は握りしめていた菊やユリが混じった花束の包みを開き、そっと花立に挿した。その間、彼はずっと黙っている。そしてずっと無表情だ。表情を変えることなく、彼は機械のように淡々とその作業をこなしていた。親族が悲しみを耐えながら供えたのであろう、枯れ始めた花はそのまま捨てずに、持ち込んだ新しい生命を添える。生き生きとした花と死にかけの花が混じり、命のモザイク模様を作った。それから彼はズボンのポケットに入れていた線香とライターを取り出すと、火をつけてそっと置いた。
 しゃがみ、目を閉じて手を合わせる。

 終わりました、と心の中で言葉にする。
 貴方を死に追いやった、残酷な犯人は捕らえました。
 これから法に則り処罰されます。

 さざ波をたてていた心が静かになるのを確認して、彼は目を開いた。灰色の砂利に視線を落とす。肩の荷が降りた感覚がある。肩の輪郭に沿って貼りついていた何かが、取れている。この墓参りは、あくまでも自分のためだと、再確認する。
刑事がこうやって、担当した事件の被害者の墓参りにくるなど。どこまでも自分のためだ。この墓の下に眠る少女――彼女は十二歳だった――との関係は、友人や親族ならともかく、刑事である自分には仕事上の知り合いまでにしか成り得ない。逆に、それ以上の関係になるような人間は刑事には向いていないだろう。
 さらに、少女を死に追いやった犯人をこの手で捕らえた今、本来ならば少女との関係は完全に切れている。事件は彼の手を離れた。少女は仕事上、見知った過去の人間でしかなくなった。
 それでもこうして、墓に来てしまうのは、自分のためだ。
 自分が、気持ちの整理をつけるため。
 自分が、死んだ誰かを弔うため。
 死んだものを弔うには、こうして手を合わせることが一番だと思う。位牌や墓に手を合わせるとき、こちらは何も話さなくていい。手を合わせる以外の何のアクションも起こさなくていい。ただ、静かであればいい。積み重なるその静寂は、きっと誰かを失った悲しみを癒していくのに、少しずつではあるが効いていくだろう。微量の薬を飲み続けるように。
 石、という徹底的な冷たい無機物が対象であるのも、こちらの心を落ち着かせるのに効果的だ。
 彼は足元からじゃり、と音をたてながら立ち上がった。
 死んだ者は帰ってこない。その事実を心から消していくために、墓参りというミニマムな行為は続いていくのだろう。
 誰かを失った誰かの悲しみが、世界からすべてなくならない限り。
恐らく自分はこれからも誰かの墓の前に立つだろう。

「あっ、的場さんどこ行ってたんですか? 所轄に資料取りにいくって話、したじゃないですか」
 直属上司である的場徳一郎が部屋に入ってくるのを見つけた玉木功好(のりよし)は、すぐに立ち上がり不満を述べた。警視庁刑事部捜査一課。おそらく国内で一番知名度のある警察のセクションにいる我々に、捜査上の単独行動は許されていない。原則、二人一組で仲良く動く。玉木の相棒はここ二年の直属上司である的場で、的場がいなければ外出できない。
「午前中は事務処理で席を外すと言っていなかったか?」
「言ってませんよ、あー朝早く出勤して損した~」
 玉木は的場が席に着くのと同時に椅子に座り直すと、書類を広げていた机の上に突っ伏した。と同時に、的場が昨日「午前中はいない」と言っていたことを思い出した。が、今更なので記憶を隠すように顔を腕にうずめる。向かいに座る同僚が失笑するのが聞こえた。一拍遅れて、隣の的場のため息が続く。
「――言っていなかったなら、すまなかった。以後、気を付ける……しかしだな、その態度は何だ」
 的場の言葉の語尾に指導の雰囲気を感じた玉木は、すぐ上半身を起こすと、折り目のつきかけた書類を一生懸命伸ばした。
「上司が無事に出勤して、大変安心しただけであります!」
 的場は玉木の方を無表情に見つめると、ふいに視線をそらした。冷たい態度に見えるが、彼の無表情は“いつものこと”だ。的場のポーカーフェイスは刑事部の人間ならば大抵知っていて気にしないが、所轄の人間や取り調べられる人間には怖く映るらしく、怯えて予想以上の情報を与えてくれることが時々あった。的場の容姿は精悍でも強面でもない。それでも相手が勝手に情報を差し出してくる――そういう意味では、的場は刑事に大変向いていると言える。実際、的場は優秀な刑事で、つい先日も少女が強盗に殺害された事件を解決したばかりだ。一課の前は二課に所属していたということだが、実は公安部の人間だったとも噂されている。そこを明らかにしたところで玉木に何の関係もないので、確かめてはいない。
 書類を書き進める澄ました顔の玉木の肩に、ぽん、と手が置かれた。的場の席がある側の肩だ。見ると的場が立ち上がり、玉木の肩に触れていた。
「何ですか?」
「所轄に資料を取りに行くんだろう」
 やはり無表情でそう言う的場に、玉木はそうでした、と頷き、続けた。
「お昼はラーメンが食べたいです」
 時刻は十一時四十五分、お昼前の一番お腹が空く時間だ。


「ぼくはあの店のラーメンが食べたい気分だったんですけどね」
 助手席でカツカレーが消えた容器の底へプラスティックのスプーンの先をぶつけながら、玉木は愚痴った。カツカレーが消えた先は無論玉木の胃袋の中である。すっかりラーメン体勢を準備していた己の胃が、どうしたことだと文句を言っている気がする。
運転席の的場は食べ終えた唐揚げ弁当をコンビニのビニール袋にしまうところだった。
「仕方ないだろう、お前の行きたいラーメン屋は、所轄へ向かう道のりにないんだ。行くなら少し寄り道をしなければならない。退勤後ならともかく、今は勤務中だ」
 的場が差し出してきたビニール袋を受け取り、カツカレーの容器をその中へ収める。キュッと口を閉じて後ろの座席の上へ置いておく。
「行くぞ」
「ちょっと休憩してからじゃだめですか?」
 玉木の言葉を無視し、的場がシートベルトを止め始める。玉木はこれ見よがしにため息をつくと、シートベルトに手をかけた。車で出かける際は運転を部下の自分に任せきりにしないし、頭がいいから訳の分からない命令をされることがないのは助かるが、七三の前髪が示すように――的場はとにかく真面目だ。かっこいいでも優しそうでも気弱でもなく、真面目。一言で済ませてしまえば「真面目な中年」だ。悪意を込めて言えば堅物。霞が関ならどこを歩いていても違和感がない、そんな顔だ。そして、担当する事件に対しての向き合い方も真剣である。表情筋を母親の子宮のなかに置いてきたのかと思うような無表情を除けば、彼はドラマに出てくる、正義の刑事像にぴったり当てはまるのだった。まあ、無表情も、最近のドラマで顕著な過剰なキャラ設定の一つだと思えば、それこそドラマの刑事なのかもしれなかった。
 同僚に「刑事っていうより、若手のカリスマ美容師みたい」と謎の揶揄をされるような「相棒(たまき)」がついているのも、ドラマっぽいといえば、ぽいのかもしれない。たしかに髪先は肩につくほど伸びているし、行きつけの表参道の美容院で髪をベージュブラウンに染めてもらっているが、そこまでだろうか。俳優やモデルというなら喜べるが、カリスマ美容師とは一体どういうイメージだ。
 車が動き出す。
 玉木は伸びてきた前髪を指先にくるくると巻き付けて弄びながら、昨日から鞄に入りっぱなしになっていた資料をめくった。
「でも本当に、この殺人もA案件のものなんですかね……」
 今から所轄――光が丘警察署に取りに行く資料は、三カ月前に四十代の主婦が道路で刺殺された事件の捜査資料だ。まだ犯人は捕まっていない。主婦の持ち物が周囲に見当たらなかったことから、所轄では強盗目的の殺人とも考えているようだが、的場の見解は違うらしい。
「まあ、推測の段階でしかないが。A案件ではなかったとしても、犯人の捕まっていない事件だ、何か解決のヒントが見つかれば、それでも大いに結構だろう」
「ですかねぇ」
 A案件――ここ半年、警視庁を悩ませている事件群の総称だ。不連続殺人事件、と言えば坂口安吾よろしくかっこよく聞こえるだろうか。
 現在、A案件扱いとなっている事件は、今のところ五件。


 半年前の、四十二歳男性殺人事件。
 五カ月前の、三十歳女性と六歳少年殺人事件。
 同じく五カ月前の、五十五歳女性殺人事件。
 二カ月前の十四歳少女殺人事件。
 十日前の、十八歳少年殺人事件。


 共通項といえば、被害者が人間であること。絞殺や刺殺など、死因からして他殺である可能性が高いこと。そして、被害者の周囲に殺意を抱くほどの人物が――いないことだ。
 年齢も、職業も、殺された場所も都内各地でバラバラであるこれら五つの事件は、強盗や何かトラブルに巻き込まれたゆえの他殺だろうとそれぞれ捜査を進められていた。しかし、どの事件も、被害者の周囲を洗ったところで、容疑者になりそうな人間が出てこなかったのだ。つまり、そしてそれぞれの事件に関わる警官たちは、一様に形容しがたい違和感に襲われていた。
 まるで交通事故にあうように――。

 さりげなく、死にすぎている。

 一人がそう口にすると、「そう、そうなんだよ」「俺も何か変だと思ってた」と警視庁刑事部捜査一課および所轄の刑事課から次々に同意の声があがった。皆、形容しがたい違和感を、消化できなに何かを、胃の底に溜めていたようだった。
 何を隠そう、最初にその違和感を表明したのが、隣でハンドルを握る的場徳一郎、その人である。
 的場が輪郭を与えた違和感の存在に、都内各地の警官が動いた。そして、犯人の目星がつかず、あまりに普通に――つまり、暴行の跡も抵抗の跡もない事件をピックアップしていった結果、半年前から十日前までの五件が浮かび上がったというわけだ。
 誰かが、脈絡もなく、人を殺している。都内の刑事たちは、勘に過ぎないが一様にそんな思いを抱いていた。殺人につきもののマイナスな要素が、状況にも被害者の周囲にも見つからない、日常の一動作のような殺人。
 不連続な、一貫性のない連続殺人事件。だから誰かが「不連続殺人事件」という小説の作者、坂口安吾のAをとって、A案件と呼び始めた。そもそもが名前をつけられるような特徴のない事件群だ、皆、なんとなくそれを採用してA案件の呼び名は使われ続けている。
 ただし、事件を並べ、名づけたからと言って、犯人に近づけるわけではない。おそらく、一つの事件を解決すれば、芋づる式にすべての犯人がわかるタイプの事件だ。だから、A案件にカテゴライズされたところで、その事件に関わる刑事のやることは変わらない。目の前の担当事件の犯人を捜すこと。それだけだ。

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