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A night in CINE-MA Ⅰ 【前編】mitosayaの3年と3人

中山英之(建築家)+江口宏志(蒸留家、mitosayaオーナー)+山野英之(グラフィックデザイナー、TAKAIYAMA inc.)

TOTOギャラリー・間「中山英之展 , and then」
ギャラリートーク「a night in CINE-MA」1

表紙写真=© TOTO GALLERY・MA

mitosayaができるまで

中山英之 今日は雨のなか、足を運んでいただいてありがとうございます。展覧会の準備がすごくたいへんだったので、この全9回のトークは、ぼくにとってはご褒美の時間かなと思っています。なので、ぼく自身も楽しんで、リラックスしたおしゃべりにしたいですね。では、どうぞよろしくおねがいします。今日は3人それぞれがmitosayaでどんなことをやってきたのかを紹介するスライドを準備してきています。江口さん、ぼく、山野さんの順番でやっていきますので、まずはそれを御覧いただきながら話を始めましょう。

江口宏志 展覧会で上映されている映画は、去年の冬から今年の春までにかけてやっていた、収穫作業や醸造したり蒸留したりして製品ができていく過程をぼくの頭にGoProをつけて撮影しています。なので映画には、mitosayaの“今”が写っています。今日は、3人で協力し始めた過去へとさかのぼってみたいと思います。
ちょうど2016年6月、山野さんと中山さんが、ぼくが修行していたドイツの蒸留所に来てくれました。そのときに、帰国したら自分で蒸留所をつくりたいんだと2人に相談しました。そこから3年が経ちました。ぼくがいたのは、スティーレ・ミューレというドイツの蒸留所です。すごく小さなところで、家族とそのほか2、3人だけでお酒をつくっています。スティーレ・ミューレを主宰しているクリストフ・ケラーさんは、長く出版の世界にいた人でデザインや編集をやっていました。求めるものの水準がとても高い人で、彼の蒸留所は、彼がつくっていた本の世界観と合致している。そんな場所にぼくはいました。蒸留所は19世紀ぐらいに建てられたとても古い建物です。もともと南ドイツの農家の屋敷で、そこにあった住宅や倉庫、馬小屋といった建物をうまく蒸留所、セラー(貯蔵室)、発酵室なんかに分けて使っています。ぼくたち家族は農家に住み込みで働いていた人たちが住んでいた家を改修したゲストハウスに住みながら、蒸留の勉強をしていました。
山野さんと中山さんが来てくれた6月は、それほど忙しい時期ではなかったので、いろんな蒸留所を見て回ることにしました。そのとき、なぜか山野さんが先に来て、中山さんは来てなかったんだよね。

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©Hiroshi Eguchi

中山 成田空港にナインアワーズというおしゃれなホテルがあって、どうしてもそこに泊まりたくて……というのはいいわけで、じつは、成田と羽田を間違えました(笑)。終電で空港に行ったら「成田にはナイトフライトはありませんよ」と言われて……。それでちょっと遅れました。

江口 それでぼくらと山野さんでチューリッヒへ行って、その日は蚤の市へ行ったりして、そのあと中山さんと合流しました。

山野英之 このときに、いろんなフルーツブランデーやビールを飲みましたね。

江口 ぼくがつくっているフルーツや植物が原料のお酒のバラエティをいろいろと見てもらいました。近くに湖があって泳いだりしてね。
このとき見学したオーストリアの蒸留所も、ほとんど家族だけで運営しています。ここは、蒸留のほかに酪農もやっていて、お酒づくりもスティーレ・ミューレやmitosayaよりも大規模です。でも自分たちだけでできるように、効率的につくられていて、工程ごとに液体が移動するようにパイプが張り巡らされていて、人間が関わる作業は最小限の手数に抑えられている。蒸留の際にでたもろみのようなものを廃棄するためのタンクも用意されていて、とても勉強になりました。

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©Hiroshi Eguchi

山野 ドイツとスイスの国境を歩いて越えたんだよね。

江口 そうだそうだ、ぼくら家族と山野さん、中山さんと1台の車で移動していたので、定員オーバーだったんですよね。

山野 江口さんが運転して、助手席に1人、後部座席に大人2人、そして膝に子供を乗せて座っていて、まるで移民みたいになっちゃった(笑)。それで、国境で止められたんです。

江口 だから別の国境沿いの街に移動して、山野さんと中山さんは車を降りて歩いて国境を越えることになった。
これはまた別の蒸留所で、トーマスという人が一人でやっていて、建物の上下間で液体を移動させるシステムになっていました。小さい蒸留所にはそれぞれ工夫が凝らされていて、面白かったですね。

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© Hiroshi Eguchi

江口 帰国後は蒸留所の候補地をいろいろ見て回りました。長野や山梨、九州も行きました。気に入っていたのは、長野の御代田という場所です。浅間山の麓の森の中に大きな土地がありました。大家さんもとてもいい人で草笛の吹き方を教えてくれたりしたんですが、その直後大多喜の薬草園跡の活用を募集する告知が出ました。行ってみたらとてもよくて、薬草の標本を展示する展示室があったり、和室の宿直室、研修棟もありました。そして、5,000坪の敷地には、薬用植物や果樹が生い茂っていました。薬草園ができてから30年がたち、さまざまな植物が大きく成長していたんです。もちろん古びている部分もありましたが、ぼくはいっぺんで気に入って、2人にもさっそく来てもらいました。

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©Hiroshi Eguchi

中山 なんだかもう懐かしい。

江口 そうだよね、これが2016年の夏ぐらいの話です。裏にキャンプ場があるので、みんなで焚き火を囲んで語りあったりもしたよね(笑)。活用許可が出たのが2017年2月で、そこから中山さんにプランを組み立ててもらいました。ぼくのほかに、植物のことは井上隆太郎さん、醸造のことは朝霧重治さん、計画を進めてくれる石渡康嗣さん、いろんな方にチーフになってもらいながら進めています。
この年のゴールデンウィークごろに、ぼくら家族は引っ越しをしました。最初は、元事務室にむりやり家具を置いて住みはじめました。大多喜町のほうでお試し居住住居を用意してくれたんですが、朝来て夕方帰って、通いながらやっていても全然作業が進まない。それで、住みながら準備を進めることにしました。中山さんが模型をつくったりしてくれて、どんどん改修計画を進めてくれました。もともと公共施設なので、どの扉にも鍵がついていたりして、管理が大変な部分もありましたが、建築物の書類は充実していました。書類管理のための部屋があったぐらい。それがよかったですよね。

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©Hiroshi Eguchi

中山 書類がない場合、実測して図面をつくらなければいけないんですが、公共はそういうところがしっかりしてますね。

江口 その一方でぼくは何をしていたかというと、お酒造りの準備を進めていました。醸造に使うための道具も集めはじめて、そのときに出会ったのが、小豆島のヤマロク醤油さんです。自分たちで発酵のための木桶をつくっている方たちで、彼らに声をかけてもらい、小豆島に木桶を見に行ったりもしました。それから、コエドビールさんの持っていた醸造機を譲ってもらうことになり、そのために旧工場へ行きました。
温室だったところは、手伝いに来てくれた人がご飯を食べたり話したりする場所にしようと言って、自分たちでDIYで改修しました。クラウド・ファンディングもやっていたので、周知のために「Drawing for / from a mitosaya」という展覧会も開きました(gallery fève、2017年9月4日─10日)。そのときは妻の祐布子が描いた植物のスケッチや中山事務所でつくった模型なんかを展示しました。

中山 fèveの展示で過去の図面やスケッチを整理したんですが、今回の展示は大部分がその再現になっています。

江口 無駄なことはなにもないですね(笑)。この展覧会のあと、いよいよ蒸留所の改修工事が始まりました。最初に、いらないものを外に出したらとんでもない量になって、これを捨てることにぞっとしました。けっきょく、できるかぎり知人に声をかけて再利用の道を探り、事務机などは足の高さを調整して自分で使うことにしました。展示室にあった水銀灯も、蒸溜室を照らす照明として再利用しています。
これは、山野さんと内装の色を考えているところですね。構造体のオレンジ色が強かったので、それを違う色に塗る話もあったのですが、最終的に活かすことにしました。

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© Hiroshi Eguchi

中山 最初、オレンジ色を残すと構造体を強調するように見えるので違和感があったんですが、醸造タンクがブルーだったので、下にカラフルなものたちが置かれると見え方が変わってくるだろうという話をしました。

山野 グレーの候補も2色ぐらいありましたね。最終的に江口さんが気に入っていた色は選ばれなかったけど(笑)。

江口 敷地のなかに東屋があったんですが、これを小屋にしようと思って、自分で焼き杉をつくることにしました。3枚の杉板を三角に束ねて垂直に立て、下から火で炙ると煙突効果で煙が上まで昇っていって、あっというまに燻されます。煙の昇り具合は板同士の隙間を調整してコントロールして、ゆっくりと煙が上がっていくように仕向けるんです。十分に焼ければ横に倒して火を消す。これで焼き杉の出来上がりです。

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© Hiroshi Eguchi

山野 煙が下から上に充満するまでにどれぐらいの時間がかかるんですか?

江口 だいたい30秒ぐらいですね。でも、徐々に焼くようにしないとうまくいかないんです。
そんなかんじで、DIYもやりつつ、蒸留所はプロ(中山事務所)の仕事で進んでいきました。
それから、山野さんとぼくは、お酒のビンのデザインも考えていました。ぼくたちの生産規模では、オリジナルのビンをデザインすることは難しいと考えていたので、既成品から選ぼうと探していたのですが、なかなかいいものがなく、いろいろな会社に問い合わせていました。そのなかで一社、ちょうど蒸留酒用のビンをつくろうとしているところと知り合うことになりました。そこで一緒につくりませんかと声をかけてもらいました。

山野 その会社の製品としてつくるけれど、その企画に混ぜてもらったような感じですね。

江口 そうそう。偶然が重なって、自分たちでデザインできることになったんです。いろいろな形を検討しましたね。

山野 最初は薬草酒ということで、薬ビンにヒントを得た形をイメージしていたんですが、手の小さい女性が持つと大きくて持ちづらい。そこで、角が出るように丸みを削ったり、微調整を繰り返していきました。

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© Hiroshi Eguchi

江口 そんなこんなでプロダクトの準備も少し始めたころ、前年(2017年)から進められていたヤマロク醤油の木桶づくりが佳境を向かえて、小豆島へ自分たちも手伝いに行くことになりました。といっても、行ったはいいものの本格的すぎて遠巻きに眺めるしかなかったですけど(笑)。これは、桶の底の板を切っているところ。板は10cmぐらいあって、それを巨大な丸鋸で切っていきます。

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© Hiroshi Eguchi

中山 今回展示されている「石の島の石」が小豆島にあるので、偶然にもヤマロク醤油は見学したことがあったんです。醤油づくりに使う桶は、ステンレス製の密閉されたものが主流ですが、小豆島には今も蓋のない木桶で作り使い続けているところがいくつか残っていました。開放された木樽によるお醤油づくりは、樽や建物に棲みついた醤油をつくる菌を絶やさず守り育てていくことでもあるのですが、木桶の寿命って100年以上もあるんだそうです。だから一回つくると、次につくるのは100年後のこと。何年か前に小豆島の木桶が寿命をむかえて新しいものを発注しようとしたら、もう技術を持った職人さんがほとんどいないことがわかった。そこで、大阪に一社だけあった木桶職人さんのところへヤマロク醤油の人たちが修行へ行って、次の100年に向けて自身でも技術を伝承しようと活動を始められました。彼らはそうやって発酵文化をネットワークしていきたいという熱い想いをもっていて、その仲間に江口さんのお酒づくりを迎え入れようとしてくれた、という経緯がありました。小豆島へ行ったときにもいろんな人たちが集まってきていて、なかには日本の発酵文化を学びに来た留学生もいました。

江口 このころになると、どんどん具体的な話が進んできました。セラーのほうは、断熱のための吹付け塗装が始まりました。ここの厚みは、かなり細かく調整していましたよね? 通常はこういう断熱材って隠してしまうものだと思うんですが。

中山 そうですね。mitosayaの設計前にいろいろ工場や倉庫を見学に行っていたとき、コスト削減のために仕上げ材を省いて、吹付け断熱がそのままあらわになった大きな食品倉庫がありました。大胆な合理性にぐっと来たのと、なんだか洞窟みたいで記憶に残っていた。セラーは断熱が大切なのと、セラーやカーヴってそもそも穴蔵や洞窟って意味だよな、っていう連想が重なって、木造の棚もろとも断熱材を吹き付けて、岩をくり抜いたようなセラーができました。

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© Hiroshi Eguchi

山野 この色は、断熱材の色なんですか?

中山 断熱材はそのままだともろく酸化しやすいので、トップコートを吹いて保護します。このグレーはその色ですね。

江口 棚にはいずれ熟成用のビンが並びます。ビンを下から照らすライトの調整なども、中山事務所総出でやってくれました。均一に吹き付けることはどうしてもできないので、苦労してやっていましたよね。このころ、蒸留器も運ばれてきて設置されました。
酒造免許はなかなかとれず、クラウド・ファンディングの支援者向けのいろんなプロダクトを先行してつくっていました。
すべてが慌ただしく進んでいきました。それはなぜかというと、お酒はまだできていないけれど、蒸留所ツアーをやることになっていたからです。いまから1年ほど前のことですね(2018年6月30日)。それまでに、マップ、サイン、ロゴなどを用意しました。それぞれこだわるところが違いましたね。山野さんはネオンサインがあったほうがいいといって、自分でネオン屋さんを見つけてつくってくれたり。ぼくはぼくで、受付を入り口につくりたいと思って、前日の夜にステンシルで受付の看板をつくったり。みんな細かいところに気になるポイントがあるんですよね。
ツアー当日にはたくさんのお客さんが来てくれました。まだ何もなかったけれど、山野さんと中山さんに話してもらったり、いろいろとコンテンツはありました。
その後、ようやく酒造免許を取得し、ようやくCINE間で上映している映像につながります。いまは徐々にお酒づくりを進めていて、映画に出てくる作業以外に、いろいろな生産者さんを訪ねて、お酒づくりの材料を集めています。

mitosayaをつくるためにやったこと

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© TOTO GALLERY・MA

中山 江口さんありがとうございます。飛行機に乗り遅れながらドイツに辿り着いた時点では、ぼくは蒸留と醸造の違いもわかっていないような素人だったので、江口さんに建物や装置の働きをひとつずつ案内してもらいました。その日の夜、忘れないように書いたメモが残っています。見たものがどう連動してお酒になっていくのか、途中でどんな廃棄物が出るのか?というようなことも含め、設計に関係ありそうなものを書き留めておきました。書きながら思ったのは、蒸留酒の製造工程はシンプル、ということです。もともと南ドイツのフルーツブランデーは、地域に育つ果樹や、つくりすぎてしまって商品にならないものの活用として盛んになった一面があると思います。だから、やかんのような装置で家庭でつくる文化もあるし、農家がつくったものが地域のスーパーで売られていたりもする。それを上手にブランディングしたクリストフ・ケラーさんのような人まで、いろんなレベルがありますが、基本的にはシンプルで素朴な地域文化なんですね。だからというか、江口さんの蒸留所も、どういう種類でもいいから、その場所らしさがある場所になるといいな、と漠然と思っていました。さっき江口さんが言っていた長野の御代田はぼくも一緒に行きました。ゆったり傾斜した南斜面の雑木林で、ご近所さんも素敵だし、ドイツのことを思い出すような場所だったのですが、自分たちで道を通し、インフラを整え、全部の建物をゼロからつくり……。何億円出してもつくれないような大がかりなものになってしまう。「江口さん、ぼくらのお財布では足りないよ」と。その少し後に、江口さんから大多喜にある元薬草園はどうだろうと連絡が来ました。いくつかの建物が既にあって、試しにドイツでとったメモにある機能を当てはめてみると、嘘みたいにぴったりだった。浄化槽も大きいのがある!とか。それで、江口さんこれはすごいよ!となった。でも、初めて見に行った時は、正直ちょっぴり違うような気がしました。立派な鉄門を抜けて、車でアスファルトの道を登っていくと、──いまは見慣れてしまいましたが──、なんだか謎デザイン(笑)の建物が建っている。立派な施設に来た感じが強くて、ドイツの農家を改修した蒸留所で想像していたお酒づくりの場とは全然違っていた。一方、建物の裏手に広がっている薬草園や温室に続く小路はかわいらしくて、そっちのほうが好きでした。そんなとき、正門の脇にあった大きな受水槽を、市が撤去に応じてくれることになりました。水道の圧力が上がったので不要になっていたんですね。片付いた場所を何気なく見に行った時、ひとつの発見がありました。正門から少し外れた場所に、受水槽のメインテナンスのための小さな階段があったんです。その場所へは敷地の中からも管理動線がつけられていて、あいだの受水槽がなくなることで階段とひと繋がりになった。改めてその小さな階段から敷地に入ってみると、その道は森を抜けて薬草園を通り、はじめは裏手だと考えていた温室の前へと続いていました。そちら側から歩くと、敷地全体の裏表がひっくりかえって、メインエントランスが裏動線に思えちゃう。蒸留所は求められる機能に最低限の性能を与えていったくらいで、江口さんがDIYした温室や東屋のほうが空間としてよっぽど素敵です。だからぼくが建築家としてやった一番の仕事は、この道を見つけたことかもしれません(笑)。実際、先ほど話したように、今回ぼくは新築をひとつもしていません。生薬の展示室と事務室の入っていた平屋には工場機能が、薬科大の研修に使われていた2階建ては1階をオフィス兼倉庫に、2階を江口一家の住居にする。倉庫はハーブを乾燥させたり果物を洗ったりするところ、温室はショップにできる。もうひとつある細長い温室は将来ホテルにすればいいんじゃないかと密かに思っているんですが、いまのところ江口さんはピンときてないみたい(笑)。

江口 温室のボイラー設備はいつかうまく使えたらいいよね。

中山 湿地コーナーとか東屋とか、まだまだ手付かずの可能性がたくさんありますね。少し話を戻します。ドイツの小規模蒸留所はどこもおおらかというか、中も気軽に見学させてもらえてとても楽しかったのですが、日本の衛生基準は厳しくて、ゲストを工場内に案内するのはなかなか難しい。せっかく素敵な道を見つけたのだから、来てくれた人が製造工程を見られるような場所を用意したいと思いました。蒸留所の中も、なるべく既存をそのまま転用することを心がけていましたが、工程ごとに求められる室環境が違うので、室と室のあいだに扉が必要となります。いろんな検討をしているうちに、既存建物のホールを少し作り替えて丸くして、そこに扉を集めるだけで、扉の先にある元のままの諸室がそれぞれの工程にそのままあてはまることに気づいた。この丸い部屋は室間のバッファーとして機能上も有効なものですが、中を見ることのできる窓のついたドアの並んだおあつらえむきの見学室ができました。
この部屋で平面計画が解けたのですが、同じ場所にもうひとつ、換気と採光の機能も持たせています。蒸留器からは高熱の蒸気が発生するので、熱を逃がす必要があります。そこで、丸い部屋の天井を勾配のついたガラスにして、元々あった排煙のための高窓から熱を抜く経路にすると同時に、ホールに自然光を入れる断面計画になっています。予算が限られていたこともあって、こんなふうに一手で三因を解決するような工夫で、既存はそのままに、その意味だけが変化していくような方法を積み重ねていきながら、薬草園はだんだんと蒸留所になっていきました。
何かを発見したら、簡単な文房具でいいからその場でなるべく絵にするようにしています。建築は何かを思いついたり考えたりすることよりも、それをほかの人と共有することのほうがずっと大事だと思います。
そういうやりとりの相手として、今回は山野さんがいましたね。

【後編に続きます】

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2019年6月7日、TOTOギャラリー・間にて。
テキスト作成・構成=出原日向子

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