見出し画像

弁証法と未来予測とイノベーション

弁証法とは何か?

弁証法を構成するものは、以下の3つである。
⑴ 命題(テーゼ)Aの提示(正)
⑵ Aと矛盾する反命題(アンチテーゼ)Bの提示(反)
⑶ AとBの矛盾を解決する統合された命題(ジンテーゼ)Cの提示(合)→アウフヘーベンのステップ

つまり、弁証法は、対立する考えをぶつけてアイディアを発展させる、という方法論のことである。

弁証法と歴史

ヘーゲルによれば、これは歴史に当てはめることができる。例えば、ある社会的なシステムA(命題A)があり、それを否定する別の社会的システムB(命題B)が提案され、さらに両者の矛盾を否定する/課題を解決するジンテーゼが登場するように。

これをヘーゲルは、「進化とは、過去の発展的回帰である」と言ったのだ。つまり、新しいものが出てくるときは、古いものの課題を解決する形で回帰、復活している、ということだ。

山口周著「武器になる哲学」では、ICT教育と寺子屋の発展的回帰の例として用いられていた。
寺子屋は、様々な年齢の子供が一箇所に集まって学んでいた(テーゼ)。それによって、個人の習熟度に合わせた教育機会の提供が可能であったものの、効率は下がるというデメリットがあった。そのデメリットを克服する形で、同じ年齢の子供に対して同じことを教えるような教育が一般的になる(アンチテーゼ)。そこで、近年出てきたのが、ICT教育である(アウフヘーベン)。バラバラの年齢の子供たちを集めるという点では、寺子屋への回帰である一方で、リソースを抑えることができる点で効率性を獲得したという発展性が見られる。

つまり、弁証法で未来が予測できる

山口氏によれば、「古いものがより便利になって復活するということであるから、過去のなにがしかが主にICTの力によって効率性・利便性を高めて復活してくる、と考えることができる」。

課題なしには発展もないという意味でもある

「古いものがより便利になって現状のシステムを否定する形で復活する」には、現状のシステムに課題がないといけない。例えば、先ほどの教育の例でいうと「現状の教育では、一人一人の発達に即した機会の提供が難しい」という課題が提示されている。

この課題発見、現代の世の中ではそんなに簡単なことではないように私は感じる。便利な世の中+多くを望まない私のような人間にとって、「不満」「不便」を感じる瞬間が殆どない。つまり、課題の中で、顕在的な強いニーズは相当部分解消済み。

あと残っているのは、「こうなったらいいのに」「こういうものがあればいいのに」と潜在的に思っているようなこと(潜在的なニーズ)であり、そういうところをうまくついたのが、GAFAなんだろうと思う。

未来をつくる(イノベーション)大きな第一歩は、「課題を見つける力」にあるのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?