適応障害とわたし@2020/3/14

雨の日は体が重い。
6時に目が覚めたけれど、布団のぬくぬく感から出られずに2時間弱ごろごろしていた。

雨の日になると、小指がジンジンとした鈍い痛みに襲われる。小学生のころ通っていたスポーツクラブで11段の跳び箱に失敗して骨折した。当時はメンバーの中で1番背が高いにも関わらず、体の柔らかさやしなやかさは下の下だった。コーチはできないわたしを全力でサポートしてるつもりだったかもしれないけど、今だったら母親からクレームがくるような指導だった。無理な姿勢のせいで骨や手が痛いことに涙を流してるわたしを無視して「泣くな!やれ!」と松岡修造のように無駄に熱い指導をした。跳び箱の時も、10段が飛べたからその上もイケる!と言われ、明らかに段と段が噛み合ってない状態の11段の跳び箱を飛べと指示された。
骨折の瞬間は、今でも細かく鮮明に思い出せる。
跳び箱に向かって勢いよく走っていき、踏み切り台で思いっきり跳んで跳び箱に手をつく。でも手をついた場所が悪くて小指がゴキっとあらぬ方向に折れた。そのせいで一気に体重を支えられなくなり、さらに段の不安定な跳び箱が崩れはじめ、わたしはバラバラになった跳び箱とともに固い床に叩きつけられた。
当時、泣き虫だったわたしはクラブが終わるたびにできない自分とコーチが怖くて泣いて帰っていた。でも、跳び箱で骨折した時はあまりに痛すぎたのと、何が起きたか頭が追いつかなくて涙は出なかった。
第二関節と第三関節の間が真っ赤になって本来の小指の2倍ほどまで腫れあがり、次第に青紫になり、最終的に青くなっていった。

当時は毎週火曜日がクラブの日だったので、火曜日がくるたびに部屋の角で体育座りをして行くのを拒否しまくった。そんなわたしを無理やり連れて行こうとする母親も、厳しいコーチも大嫌いだった。

さすがに骨折したことで、コーチもわたしの体調に気を使うように接するようになった。でも今度はメンバーからの目線が気になるようになり、完全にスポーツ自体に苦手意識が生まれてしまった。
このころから、日本の一方通行な体育の授業を見直したほうが子どもに負担やいじめも減るんじゃないかと強く思うようになった。学校の体育、滅びてしまえ。

そういえば、ブログでnoteを始めたことを報告してなかったので、お知らせのブログを書いた。
ブログを始めた時は、まったく見てくれる人がいなかった。でも、最近になって読んでくれる人が増えたように感じる。適応障害もうつも、何でもいいから声を上げなきゃ気付いてもらえない。
休職が決定した日からブログを書き始めて本当によかった。ここなら誰にも否定も肯定もされずに自分の思いを吐露できるから。たまに「もし適応障害と言われた時にブログを書いてなかったら?」を想像する。たぶん今のように会社に復帰訓練をする自分もいなかっただろうし、Googleの認定証をもらうために勉強してた自分もいなかったと思う。

12時ごろに、Amazonで買ったインダストリアル用のピアスが届いた。ループ型のカッコいいピアス。はやく開けたいけれど、ニードルがまだ届かない。ソワソワしながら何度もクロネコヤマトの追跡サービスをチェックしてる。
仕方ないので、買ったピアスで開ける位置を調整しながら脳内リハーサルをする。まず保冷剤と消毒液、軟膏、ニードルとピアス、消しゴムを用意する。開ける前に手を洗い、耳は保冷剤で冷やして感覚を麻痺させとく。ニードルは消毒済みのを買ったけど、念のため熱湯消毒してから消毒液に浸けておく。この時一緒に消しゴムも消毒液に浸けておく。コロナで消毒液が不足してるのに、我ながらもったいない使い方してる。でもそんなの気にしない。

さぁここからが正念場だ。
予めマーキングしておいた耳をアルコールで消毒しておく。消毒したニードルには開けやすいように軟膏を先端に塗りつけておく。
準備が整ったら、早速開けていく。開ける側の反対側に消しゴムを当てて、その消ゴム目掛けてニードルを一気に刺す!迷いがあると手が緊張して位置がずれるから、開ける時はとにかくリラックスして根性を見せつける。(誰に?)
無事に消しゴムまでニードルが刺さったら、消しゴムを抜いて、今度は二つ目を開ける準備をする。こちらも先ほどと同様に、反対側に消しゴムを当ててニードルを刺しこんでいく。刺せたら消しゴムだけ抜きとって、ニードルの尖ってない方からファーストピアスを入れて、一緒に開けた穴からニードルを抜いていく。ニードルが抜けて、ホールにピアスが入ったのを確認できたら完成!長い!まだ開けてないのに!
ピアッサーで開ける時は、マーキングと位置の調整に時間がかかった。開けるのは一瞬ですぐ終わったのに。たぶん今回もめちゃくちゃ時間がかかるから、覚悟して取りかからないと。

ピアスの脳内リハーサルをしていたら、さっき消したストーブの熱がきれいさっぱり消え去って、寒さで指が震えてることに気がついた。寒いしお腹もすいた。
母が朝の買い物で買ってきたサーモンの握り寿司を食べる。おいしい。ちなみにわたしはわさびが食べられない。もっと詳しく言うと、5年前くらいまでは普通に食べられたけれど、ある時ワサビ入りの寿司を食べたら舌が痺れて体が震え、口の中がビリビリし始めた。後になって看護士を目指してた親友に相談したら、アレルギーだと言われた。それ以降、ワサビを見るだけで舌が痺れる感覚が出るようになってしまったので、一切合切ワサビは口に入れないことを決意した。(たまに知らずにワサビがついてる料理を食べて泣きを見ることがある)

お昼を食べて、カフェオレを飲みながら録画したアメトーーク!をみて、少しだけ昼寝をした。
その後、しんちゃんとドラえもんの時間まで、Amazonプライムのナイトスクープを観て過ごした。「カラスが盗んだゴルフボールの行方」が興味深すぎて必死すぎておもしろい。レイテ島からの手紙も感動した。戦時中にお互いを思う夫婦の愛が息子さんに伝わって本当によかった。
クレヨンしんちゃんを見ながらAmazonで本を3冊買った。コミュニケーションの本とか心理学の本とか。とにかく今のどうしようもない自分を打開したくて役に立ちそうなものを買った。買ったらすぐに読む。

ドラえもんの「地球製造キット」、現代の学校にあったらいいのに。先生が一方的に教える教育法がなくなれば、自分で考える力が身につけば、もっといじめもなくなるんじゃないかと思う。ちょっと飛躍して考えすぎかもしれないけど。
同じ制服を着て、同じ授業を黙って聞いてノートに写すだけ。休み時間は気に入らないやつを排除する。いじめられる側は身を守る術を知らないから誰にも助けを求められない。
わたしは小中高でいじめの経験がある。その時は誰にも助けてもらえなかった。助けを求めたくても、声のあげ方を知らなかった。当時わたしと仲よくしてくれてた人間は、いじめられているわたしを見てるだけだった。不幸にも親友は違うクラスだったから、わたしがいじめられてる姿を見てなかったし、困らせたくなくて何も言わなかった。もちろん親にもいじめのことは言わなかった。今でもいじめられてたことは話してない。
今思うと、大人になっても話しかけるのが苦手だったり、人と浅い関わりしか持たなくなったのも、いじめられてた経験が少なからずあるのかもしれない。人と深く関わると、ろくでもないことが降りかかると思い込んでしまっているのだろう。

そんな自分の自信の無さや人間の心理に対して、最近すごく興味がある。心理学を学ぶことで、少しでも今の社会的に不利な立場から脱することができるかもしれない。

先週まで死にたくて死にたくてたまらなかった。頭痛薬を軽くODして、会社や家族から逃げようとした。飲み忘れた薬をため込んで、何かあったら今度は本気のODができる準備をしていた。
今でも少しだけ、この世から消え去りたいと思ってしまうことがある。
でも、そう思うと同時に「もう少しだけもがき苦しんでみてもいいんじゃない?」と問いかける自分もいる。何をもってそう言うのかは分からない。
朝井リョウ氏の「何者」じゃないけれど、きっと死ぬまでわたしは「何者にもなれない人間」で居続けることしかできないのだろう。デキるOLだったり、ブロガーだったり、youtuberだったり。「〇〇のmarina*」になることはできないのだろう。

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