適応障害とわたし@2020/3/13

朝。7時起床。もう二度寝が習慣化してる。
だってまた夜中に目が覚めてしまったから。ウーウー唸りながら無理やり寝付こうとしてたところは覚えてる。まるで洞穴に閉じ込められた獣が解放されたくてもがいてるような唸り方だったと思う。

服に着替える前に、いつも身につけてるお守りを首にかけようとしたら、ブチッと音を立てて千切れた。寝起きの頭で、一瞬なにが起きたのか処理ができなかった。ネックレスじゃなくて、お寺で授与いただいたお守りをチョーカー用の黒い紐で結んだもの。そんなに丈夫な作りじゃないし、力強く引っ張ったつもりもなかった。日本には昔から「鼻緒の緒が切れるのは不吉な予兆」だと言われてるから、一瞬「わたしは今日死ぬのか?」と思った。
慌ててスマホでネックレス(ネックレスじゃないけど)が千切れる意味を調べた。結論としては、不吉なことではないらしい。むしろ運命が変わるようなことがあるとのこと。それマジ?信じていいのか?
所詮ネットの情報なので、あまり信用せず、お守りはリュックの中にしまって出かけた。
あまり気にしないように心がけようとしたけど、起きてすぐの出来事だったし、やっぱり少し気になる。他のことでも考えてやり過ごすことにした。

昨日の日記で、インダストリアルピアスを開けようかどうか迷った挙句、近いうちに皮膚科に病院に電話しようか決めていた。でも、日記を書いた後に料金表を確認したら、麻酔やらピアス代やら込み込みで3万円くらいかかることがわかった。金額を見た時、「自分で開けたほうが安い!」と叫んだ。心の中で。
気がついたらネットでインダストリアルの開け方動画をチェックしてたし、寝る前にもうニードルとファーストピアスを買っていた。もう後戻りできないようにするかのように。「開けようかなー?」じゃなくて「ここで開けなきゃいつ開けるんだよ!」な心境だった。布団の中で自分に後悔してるか問いかけた。でも全く後悔なんてなかったし、むしろ自分の周囲がどんなに度胸を出してもできないようなことをやろうとしてることにほくそ笑んでいた。

仕事中、久しぶりに涙がでた。知らない上司に質問や確認をとらなくてはいけないのに、緊張した体がまったく動かない。そんな自分が急にものすごく情けなくなって、トイレでタオルを噛みしめながら息を殺して泣いた。どうすればいい?どうしたら涙は止まる?どうしたら普通の自分に戻れる?ぐるぐるぐるぐる頭の中を駆けめぐる。
前の現場では仕事の質問をした時の上司の反応がトラウマになっているのだろうか?仕事と関係ないことは普通に受け応えができるのに、仕事の内容になると途端に緊張感と不安が押し寄せる。
しかも、今日はいつも面談をしている上司が現場から本社に戻ってくる。会いたくない。顔も合わせたくない。どうしよう。
そうだ、チャットという手がある。これなら遠くの席まで歩いていかなくても確認がとれるし話ができる。そうしよう。

その後、チャットで作った資料を上司に投げたら、現場から帰社した直属の上司に呼び出された。だめだ、心が折れそう。
具体的に話したのは3つ。進捗状況と体調と部署異動の話。進捗と体調の話はいつも通りの感じで淡々と終わったけれど、部署異動に関しては、途中からフリーズして話を聞いていた。今朝のお守りの紐が切れたのはこのことか。運命が変わるような出来事ってこのことかと思った。マスクの下の空いた口が塞がらなかった。とりあえず、しばらく外に出て作業をする必要はなくなった。本当によかった。
最後のほうでコミュ障を治せ的なことを指摘されたけど、そんな簡単に治ってたまるかと思いつつ、とりあえず「はぁ…」とだけ返事しておいた。こちとら好きでコミュ障じゃないんだよ。

でもこれで、晴れて現場に出向く必要がなくなったし、あの女性リーダーにも会わずに済んだので、バッグに入れたお守りにめちゃくちゃ感謝した。ありがとう。これであとすこしだけ生きのびられる。

帰りの電車は倉橋ヨエコの曲を聴きながら帰る。ヨエコは言語化できない悲しみを代わりに歌ってくれるから好き。
帰りにインダストリアル用の軟膏を買って帰った。これで約5000円で開けられる。

帰ってきてから干しっぱなしの洗濯物と布団を取り込む。長女なんだから疲れてても家事ぐらいやれと母親に言われてるから、嫌でもやるしかない。長女になんか生まれてきたくなかった。きちんと畳んでないと文句を言われる。妹が雑にやっても何も文句を言わないくせに。これだから長女は疲れる。「適応障害になったからって甘えるな!!」と言うなら「長女だからって何でも甘えるな」と言い返してやりたい。

適応障害になった時、母親は「今までいろんなひどいこと言ってきてごめんね」と謝ってきた。母親は昔から、家族に対して明らかに自分に非があっても謝ったことはなかった。堪忍袋の緒が切れると、泣きながら目の前にあるものを片っ端から部屋中に投げつけた。そんな母親を「止めて」と父親に頼んでも、父親は何も言わず自分の部屋に逃げるだけだった。そんな母親と父親を見るのが嫌で嫌で仕方なかったから、なるべく怒らせないように母親の言うことは素直にすべて受け入れてきた。

今でも母親を怒らせると、涙と怒号が家の中を支配する。さすがに大人になると、怒ってる人をまともに相手しないほうがいいことを学んだ。だから何も言わず自分の部屋に逃げ込む。触らぬ神に祟りなし。

今度、母が仕事で家に誰もいない時は、喫茶店にでも寄ってから家に帰ろうか。子供が親の言うことを大人になっても素直にハイハイ受け入れると思うなよ。

軟骨ピアスといい、持病の側弯症といい、抑うつ同然の適応障害といい、何という親不孝な人間だろう。でも、これがわたしの人生なんだから、これだけは仕方なく受け入れるしかない。

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