カラスノエンドウの天ぷら

あたたかい風を感じられるようになった。どこからともなく白鷺がやって来て田んぼの畔に佇む姿に、春だなと感じる。

晴れ間に蝶が喜んで舞い、散歩道には瑠璃唐草の青い花びらが眩しく、ナズナもいつの間にか大きくなって風にふるえている。
最近、身近な野草の事を詳しく知りたくなり、図書館でポケットサイズの野草図鑑や野草の料理本を借りた。

持ち重りのする本を片手に散歩するのは借り物を落としたらと多少気が引けたので、気になる草花一つ二つを記憶して家に戻り図鑑で確かめた。

そしてさらに野草の料理本に目を通すと、“食べられるのはどれ?”という目線で地面を凝視し始め、更に散歩道の見え方が変わった。
図鑑を優雅に捲るより、料理本を軸に照らし合わせて実践を取り入れた方が退屈しないので、花より団子形式で覚えることにした。

そんな経緯で、味覚から野草に親しもうと試みるこの頃。
最も感銘を受けたのは、カラスノエンドウの優しい美味しさだ。
名前も存在も認識してはいたが、まさか食べられるとは露知らずカラスの食べ物と思い込んでいた。
料理本を参考に作ってみたのは、胡麻和え、お浸し、バター炒め。どれも食べやすく青臭くもなく驚くほど美味である。

今日は新たな料理を試そうと、散歩という名の狩に出た。
農薬の形跡、明らかな私有地、毒草、動物の落とし物、これらを避けるセンサーを大事にする。
狩と言っても草の先をぽつぽつと幾つか摘ませて頂く程度で、片手やポケットに収まるささやかな量だ。
今夜は天ぷらに決めた。

低温でさっと揚げる。味見しながら第二陣を落とし入れ、順に裏返し、新聞紙に取って塩を付けまた口に運ぶ。結局味見が止まらず綺麗に食べてしまうほど美味しかった。ほんのりとある甘みや旨み、春の草の香り。サクサクとスナック感覚で食べられた。
今までこんなに美味しい草を味わう機会をみすみす何十年も見逃していたなんて。

しかも、カラスノエンドウはお金を使わずとも地球が育ててくれて、山菜よりも身近に生えてくれて、人が乱伐しなければ無限で、美味しく栄養もあり、クセもアクもなく料理もしやすい。
自然のままを頂くたのしみは言葉にならないものを齎してくれる。

いつから野草を雑草と呼び、目をかけなくなり時に目の敵にするようになったのだろうとふと思う。
活力ある野草を薬で枯らし、管理され収穫されてスーパーに並ぶ野菜などを買う生活の恩恵もあるが、土や菌や草や虫の営みをずっと無視していれば結局自分の首を絞めることになりはしないかと。衣食住のもとをたどれば全てを産む土にたどり着くからだ。

できれば、私はこんなに美味しいカラスノエンドウのような野草たちを安心してずっと食べられたらどんなにいいだろうと思う。

野草は生命力の塊で、人間より先にこの星で生きてきた先輩だ。かわいいだけじゃなく、強くて優しくて頼もしい存在。もっと野草に親しみたい。
散歩道が美味しく見える春にまた明日も会おうと思う。


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