ただしさ、出口のない円

自分のしていることは正しいのだと頭の先から爪先まで微塵も疑っていないひとと衝突した。
大変に疲れた。
実際その人のやったことは、正しいか、正しくないかでいえば正しいし、
その態度は、ルールというものを遵守しようとする高潔なものだと思う。

ただ私は、彼のその姿勢・言動のあまりの正しさに追い詰められてしまう人がいるんじゃないかと、諸手を挙げて受け入れることができなかったのだ。
彼の発言に恥をかく人のことを思うと、まるで自分が傷つけられたかのように鼻の奥がうずいてしまったのだ。

結局、こういうことはやめてほしいと伝えたものの、正しいことをしているのだから、やめろという意見は受け入れられないとピシャリとはねつけられた。
あまりのとりつくしまのなさ、冷酷に思える態度に、怒りがこみ上げ、冷たいのどをふるわせながら、人の気持ちを考えて欲しい、あなたの言動に恥をかかせられる人がいるのだと伝えた。
彼の目を直視することもできずに。

私は自分のことを正しいと思っている一方、あんまり正しさを振りかざしたくないのだ。

私のことを理不尽に傷つけてきた人たちは、だいたい正しさを振りかざす人達だった。
彼らのいうことはだいたい、世間という尺度に照らせば正論だった。
正論に言い返せることなんてないので、私は傷つきながらもそんなそぶりを見せずに謝罪したり笑ったりした。
家に帰ってからめらめらと怒り、悲しんできた。

ただしさは時に暴力になるし、人のことを殺すとさえ思っている。

大人4人ぐるみで同僚をいじめてた例の事件だって、たぶん主犯格の人は自分のことを正しいと信じて疑わなかったんだと思う。
自分は正しく、まっとうだから。
その自分の目にかなわない人間は、正しさから外れた、悪しきものだと。
嫌悪し、排除すべき対象なのだと。
それが自分だけじゃなくて周りの人すべてのためになるのだと。

彼を見て私は出口のない円という逸話を思い出す。
欠けた円じゃないと人は追い詰められちゃうというのを、彼に知って欲しいな、と思う。
それが今後の彼のためだけじゃなく、周りの人のためにもなる、と思う。

そういう自分の正しさが怖くて私は彼の目を直視できない。
彼の目を見ないことで、せめて欠けた円であろうとしたことを思い出し、心底ぐったりする。

大変に疲れた。

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