許すことは難しい

ある面接の最中に「映画鑑賞」という趣味について突っ込んでもらえることがあった。質問に対して「少し硬派ですがスリー・ビルボードというハリウッドの映画が心に残っています」と答えた。

スリービルボードは薄暗い国際線のフライトの中で眠れずに見た。ゴオオという音や乾燥でひりつく鼻の感覚、粗野でくたびれた女主人公の姿、その時ひとりぼっちで向かっていたアメリカという国の、なかなか照らされない南部の景色がリンクしている。クリントイーストウッドのとる映画の空気に似た重苦しさを感じた。何週間か経ってから感想をつづった。

憎しみや後悔や許しというのを浮き彫りにした良作だと思う。
『他人を恨んで生き続けていく方が、自分を責めて生き続けるよりもずっと楽なのだよ』と、何かで読んだ一節*を思い出した。
この世には、憎む相手を許すのと同じくらいに、自分自身を許すのが難しいときがあるんだろう。
相手を許すこと、相手に刃を向けていることに気づくこと、自分自身を許すこと。

(*) たぶん「シンデレラ迷宮(氷室冴子著,集英社コバルト文庫,1983)」

流行りの映画(ボヘミアンラプソディーやグレイテストショーマンやカメラを止めるな!)ではなかった意外性からなのか特にやりとりは続かず、いくつかの質問と返答ののちに面接は終わった。

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