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Billy Nomates (UK punk/electro)

しばらく前に Sleaford Mods の楽曲《Mork n Mindy》を介して Billy Nomates という新星を知った。
Ben Wheatley 監督(J. G. Ballard 原作『ハイ・ライズ』ほか)ヴィデオ↓


《No》

何者か気になって次に聞いた彼女のソロ楽曲がこれ↓

 なんと、とんでもない「生身」感と「怒り」の表現にヒリヒリした。Sleaford Mods が彼女と組んだことにも納得。くにゃくにゃカクカクと動く歪なダンス(?)と真正面を指すように見つめる独特の顔つきからは Ian Curtis も思い出した。この楽曲はあらゆる事象に "No" を突きつける。
 以下、中でも特に気になった "No" と少しの "Yes" (個人的解釈):

「"No" は最も偉大な抵抗
 無意味な生存に "No"」(*a)

「"Yes" 私たちは一緒の方が強い
 でも "No" は力となる、いつどんな場所でも」(*b)

「"No" あなたの床の上では死なない」(*aa)

「"No" あなたのポケットには収まらない」

「みんな "me" のためにツイストして
 ほら、膝を外してハニー
 背中を反らせて、お願いベイビー
 "No"」 (*c)

「誰かのちっぽけな踊り子にならないで」

「"夜、恐れを捨てて走ること" に "Yes"
 "No" 必死で痩せようとなんてしない、信じて

 デジタルの言動の消費に "No"
 意味のない比較に "No"
 あの人たちのほとんどは自己嫌悪
 私もそのひとりだった
 嘘じゃない、誓うよ」(*d)


*a, aa: 彼女はこれまで望まない職を転々としており(註1)その体験を反映させたような楽曲が多い。「戦って過労死するほどの重労働ならやめてしまえ」というようなメッセージが読み取れる節(訳は色んな意味で辛かったので省略)もあるし *a は「過労があなたの『生存』を『無意味』にする」と捉え得る。これらを踏まえると *aa の「あなた」は雇用主を指しているのかもしれない。

*b:「一緒の方が強い(stronger together)」という文言は2014年スコットランド独立の住民投票の際に独立反対陣営がよく使っていた。イングランド中部出身の彼女がそれを意識した可能性は低いが、政治的文脈においてよく耳にするフレーズなのでその響きを皮肉っているのかもしれない。

*c=サビ: 「膝を外して」まで無理して女性らしく踊り他者(異性?)を喜ばせる必要はないと解釈するのは深読みすぎるだろうか。そう考えたとき "me" を「私」と訳すと絵が浮かびにくいのでそのままにした。実際ファンから「ダンス」について質問された際、彼女はこのように答えていた。

「私はダンスが下手。踊れない。[…] 落ち着きがないし […] 身体を動かしたいときに動かしている。[…] 女性ダンサーの多くは(身体)能力が高い。男性なら下手でも許されるけど女性はとりわけしなやかでセクシーな動きを期待される。[…] 身のこなしがあまり上手くない女性を皆見慣れていないと思う。女性の多くがたまたま器用に見えるだけなのか本当に優れているのかはさておき、大して出来の良くないものや磨き上げられていないものを見せたいという要素が確かに(私のダンスには)ある。お手本となるような女性を思い浮かべてみたら皆すごく素敵。そこで私が見たいと思ったのは荒削りな人(笑)。[…] だからちょっとラフなことをしたいだけ。どうかな(笑)。」(註2

 対談相手の Jason Williamson(Sleaford Mods)はこの発言に共感し「とても良い視点、興味深い」と反応していた。

*d: いま30歳くらいの彼女にとってSNSの影響は10代〜20代とあまり差がないのかもしれない。「私もそのひとりだった」という告白とともに「信じて」「嘘じゃない、誓うよ(You have my word)」と訴えるところにある種の優しさを感じる。


 この一曲には Billy Nomates のジェンダーや労働に対する憤りとともに、如何にそこから自身を解放するかという思考が凝縮されているようだ。2020年のインタビューで彼女は楽曲の背景をこのように語っている。

「私は1年ほど前まで『ノー』という言葉の使い方を学んで来なかった。[…] 『ノー』と言い始めてからは扉が開き始めた。ネガティヴに聞こえるかもしれないけど私にとってはポジティヴな気づきだったんだ。『ノー、やりたくない』と言えることは力。『ノー』が言えるようになれば誰かが注意を払ってくれる。『イエスマン』達の世界で私は『ノー・ウーマン』になるよ、サンクス。」(註3)

《Heels》

こちらもまた彼女の意志表明のような楽曲である。

「私はあなたみたいな服を着て来たんじゃないし
 あなたは私のふりをして着飾って来た訳じゃない
 緊急事態だって誰も教えてくれなかったの?」

「私はヒールは履かない
 そのうえ気候は適正じゃない」

「ブーツ(を履いた足)を上げて、帽子を傾けて
 そんな姿で死ぬのは御免」


 ジェンダーだけではなく主流ファッションへの抵抗も感じる一曲。彼女のパフォーマンスやトーク時の衣装からは動きやすくて自身に似合うものを身につける人という印象を受ける。
 そして「緊急事態(state of emergency)」という言葉にはコロナ禍に対する苛立ちも表れている。この楽曲は2020年12月にリリースされたEP《Emergency Telephone》に収録されている。タイトル曲もめちゃくちゃかっこいい。上記 YouTube の概要欄には「Emergency Telephone は主に私的・精神的・物理的コミュニケーションの崩壊についての作品である。かつてないほど多くの伝達経路が出来たにも拘らず不思議なことが起きている。私たちには直通電話が必要なのかもしれない」と記されている。《Heels》のヴィデオが「Covid 19 のガイドラインの下制作された」と併記されているのがまた何とも言えない。

ブリストルでのEP発売記念・無観客ライヴパフォーマンス↓


 《No》の方は2020年8月にリリースされたデビューアルバム、その名も《Billy Nomates》に収録されており、どちらの盤もコロナ禍のなか完成していることに勇気づけられる(延期は経たらしいが)。どの楽曲も面白いのだが以下は筆者の独断と偏見による選曲とその歌詞・パフォーマンスの部分的読解。

《Hippy Elite》

「ごめんなさい、立ち止まって話してる暇はないんです
 登録はしません
 いいよ、どうせ私はひどい人
 ええ、私もクジラを助けたい
 でもファッキン水曜の午後に私が持ち合わせるのは
 せいぜいキャンヴァスバッグと笑顔くらい

 彼らがすること全てに反対なんてしない
 私の分まで木を抱きしめて、ハグしてあげて
 仕事さえ辞められたら、私もヒッピー・エリートに参加するのに」

「プラスチックを避けることは
 そんなにドラマチックじゃない、でしょ?
 でも家までの長い道のりを自転車で帰ったこともある
 この惑星は私たちにとってたったひとつの星だから
 でも誰にも見つからず、ますます後ろめたくなった
 あれ、私の自転車じゃなかったんだ」
 
「もしポケットに大金があれば
 全種類の地ビールを飲んで、エコ・ロケットに乗るのに」

「女にとって時間と潮は待ったなし
 でも昼休み中に大海原を掃除し切るなんて無理
 オー、ノー」


 彼女はエコに貢献したくない訳ではなくその手前にある経済的不均衡の問題に苛立っていると見受けられるが、何かと皮肉が効いていて笑わずにはいられない……。ヴィデオの撮影地はおそらく現在の彼女の拠点ボーンマス(註4)。

《Mudslinger》

「誹謗中傷する人 、ドアのベルを鳴らす人(Mudslinger, door ringer)
 正しい方法も間違った方法もある」

「空気は分厚くなって、分断された
 熱(temperature)が上がるのに気をつけて」

「周囲は存分に驚かせてくれる
 皆、驚かせてくれるよね」

「誹謗中傷する人、立派な人(Mudslinger, humdinger)」

「これからどうするの? 井戸は枯れてしまったけど
 私は自分以外の皆を非難するんだ
 何でも好きに放り投げればいい
 私はもう抜け出したから
 そしたらあなたは居なくなるかな
 自分の健康について話すこともなく

 あなたの基盤が夜勤中、怒りはその脇を歩く
 熱が上がるのに気をつけて」

「私はあなたの汚点を掘り起こし、あなたは私の汚点を掘り起こす
 そしてあなたの歴史に私を見つける
 あなたの歴史に私を見つける」


 こちらのパフォーマンスには閉めのフレーズ直後に現首相 Boris Johnson の音声が繰り返しサンプリングされている。

(*2022年7月追記:YouTubeにアップされていたものがなぜか非公開になったのですが、現在は以下から一部視聴できるようです。)


(16:46あたり〜)
「あなたの人生における機会や家族のあり方は本国のどの地域で育ったかによって左右されるものです。そのことを受け入れてください。」

 Billy Nomates の出身はイングランド中部レスターの地方都市(註3)。現在の拠点ボーンマスも規模が小さい(註4、5)。Johnson 首相の発言はそんな彼女に相当忌々しく響いたであろう。そしてこんな大胆な演出をしてしまう彼女と欧州メディア ARTE に拍手を送りたい(註6)。
 次に歌われるのが《FNP》= "Forgotten Normal People"。上記の発言は「誹謗中傷する人」のエピローグと言うより「忘れ去られた普通の人々」への導入だったのか。ちなみに《FNP》では「そう、私たちは生まれながらにして平等じゃない」、「この世界に私の所有物なんてひとつもない」等とシャウトしている。直接的で分かりやすいメッセージだが、そこには非常に今日的な売り言葉も含まれている。「何が欲しい? 血って? 私はポジティヴ(陽性)」
 また《Happy Misery》(=幸福な惨めさ)には「サッチャーの英国は困難で残酷だった」という一節もある。サッチャーが首相だった頃 Billy Nomates はおそらくまだ生まれていないが、この楽曲の主人公は「81年の夏を覚えている」という設定だ。彼女自身は実際に体験していなくても上の世代から苦労話を聞かされて来たのかもしれない、等と勘ぐってしまう。サッチャーの名はイギリスのメディア、映画や音楽において未だに頻繁に言及される。特に労働者階級にとってはトラウマのような存在なのだろうか。

《Call in Sick》

「仮病の電話をするんだ
 無理って言うだけ
 電話を手に、台本と、計画も書き出した」

「仮病の電話をするんだ
 なんだか吐き気がしている
 こんな仕事やりたくもなかった
 今にも主治医が電話するかも
 分かったよ、隠さない
 そんなことしたくはないけど
 食堂中に毒を撒き散らすことだって出来る
 だから、だから、家にいるべきでしょ」
 
「でも罪悪感はないの? デビー、どう?」

「残酷な世界
 どうして私? 
 どうして今?
 (咳)」

 きっと彼女の実体験に基づく歌詞なのだろうがコロナも意識していることは明らか。咳で終わる効果は大きい。こちらも ARTE でのパフォーマンスの見応えあり。

《Supermarket Sweep》 Ft. Jason Williamson 

「7番通路を掃除せよ
 バリーがまた耐え切れず嘔吐した
 シリアルの上に飛び散り
 苦情の声が上がり始める
 彼は決してこんな人生を望んでいなかったかもしれない
 しばらく冷凍食品から外されることになった

 "単調はここに居座るのかもしれない" と彼は思った
 先のない仕事、先のない街ばかりで」

「覚えてる、つい先週あの角で
 大量の "ハッピー・ポテト・フェイス" の中に彼が倒れたのを
 私たちは皆、彼が冷えに侵されているのを感じた
 それは事実だから」

(Jason Williamson)
「肉片を跳ね飛ばしてやる、お前が何を思おうが気にしない
 職場で一度も手洗いしないから、俺の手はいつも匂ってるんだ
 俺は心底自分が憎い
 この仕事が嫌でたまらない
 このコーヒーも大嫌い
 上司も憎くてたまらない
 俺は霧の中を漂う……」

「"単調はここに居座るのかもしれない" と彼は思った
 先のない仕事、先のない街ばかりで
 "単調はここに居座るのかもしれない" と彼は思った
 先のない仕事、先のない街ばかりで」

 この楽曲をはじめて聞いたとき、個人的にこれまで出会ったイギリスの「労働者階級」の人々のことを鮮烈に思い出し、泣いてしまった。
 Sleaford Mods の Jason Williamson(以下 Jason)が途中ラップで参加しているがここの歌詞はどちらが書いたのだろうか。Jason は以前鶏肉工場で働いていたらしいので(註7)「肉片」という言葉は彼の経験から引き出されているような気がする。なお、この「俺」は「バリー」の印象より逞しい。これらに鑑みると Jason は「バリー」という役柄を演じているのではなく、自身の当時の体験や思いを反映させて語っていると考えられる。
 全編過酷な情景が浮かぶ内容だが Billy Nomates のコーラス、ひとりハーモニーはこの上なく美しい。ちなみに ARTEのパフォーマンスは完全ソロヴァージョン。Jason の部分では夜のスーパーのことが語られており、サビの前の一節が特に痛々しい。

「あなたがどのスープが良いか選んでいる間に
 バリーの魂はポップコーンと一緒に掃き去られていった」


Billy Nomates メジャーデビューの背景

 ここまで活字に起こしてみると少し硬くなってしまったが、インタビュー映像等見ていると彼女がとてもチャーミングでよく笑う人だと分かる。
 そんな Billy Nomates の本名は Tor Maries 。ステージネーム命名の背景は次のとおり。彼女が鬱で行き詰まっているときにサウサンプトンで Sleaford Mods(以下適宜 Sleafords または SM)のライヴがあった。ろくに外出もしていなかったが Sleafords のファンだった彼女はなんとかチケットを取りひとりで足を運んだ。すると会場でぶつかった酔っ払いに "Billy no-mates!" とからかわれ、その響きがステージネームを探していた彼女にしっくり来て採用したとのこと(註2、3)。Billy は一般的に男性の名前や愛称で、"no-mates" は「メイト(友達)がひとりもいない」という意味 。日本語にしたら「友達おらん太郎」という感じだろうか。このエピソードについては複数のメディアで触れられているが Jason(SM)との対談でこの話題になったとき、彼の反応がかわいくて面白い 笑。
 Tor Maries は20代の頃色んなバンドで試行錯誤してきたがどれも上手くいかなかったという。ひとりで音楽を作り始めた時期に体験したこのライヴの影響は大きかったようだ。(註1、2、3、8)
 その後は Portishead の Geoff Barrow のレーベル Invada Records に所属。Geoff Barrow は彼女の作品にミキシング等で参加している。Billy Nomates を同氏に紹介したのは Jason(SM)の奥さん Claire だった(註5)。更に経緯を紐解きたい。なんでも Billy Nomates が自宅の居間で Sleafords の楽曲に合わせてパフォーマンスしている動画を Andrew Fearn(SM)のインスタグラム・メッセージに連投していたのだという。それが Andrew の目に留まり Jason にも見せたところ、ふたりとも「なんじゃこりゃ!?」と関心を持ち、彼女の過去のセルフリリース楽曲も聞きつつ実際に連絡を取り合うようになった。最終的に Sleafords のマネージャーでもあった Claire に Billy Nomates のマネージメントを任せることになったらしい(註9)。
 Billy Nomates(Tor Maries)の音楽・言葉の力だけではなくガッツや人となりも垣間見られるエピソード……。彼女の創作物の魅力は、例のダンスも含め総合芸術的なものなのだと感じる。彼女ほどエネルギーがほとばしるパフォーマーにはなかなか出会えない。
 音楽はひとりで制作しており、ブリストルで Geoff Barrow が関わるまでにアルバムの楽曲も宅録でほぼ完成させていたという(註1)。今もデモには GarageBand を使っているらしく(註1、5)、彼女を見て・聴いているとお金が無くてもひとりで出来ることの可能性にわくわくする。現在はセカンドアルバムの制作に勤しんでいるようだ(以下のツイートはブリストル発と推測される)。


 Sleaford Mods, Claire, Geoff Barrow の先見の明と、鬱から脱け出し力強いパフォーマンスと作品を世に解き放ってくれた Tor Maries, a.k.a., Billy Nomates に感謝。


Billy Nomates 公式ウェブサイト

https://www.iambillynomates.com/
(メイリング・リストの登録欄に "Let's be mates"「メイツ(友達)になろう」という一言が添えてある 笑。)


関連詩:Not All Peacocks Cannae Be Pretty (Caledonian Blues for Asians)

註・参考資料

註1:「Billy Nomates 『希釈されたヴァージョンの自分でいる必要なんてない』- Sleaford Mods のゲスト編として彼らの最近のコラボレイター Billy Nomates のインタビューをお届けする。国内で最もエキサイティングかつオリジナルな新鋭は実は今やメイツ(友達)がいっぱい……」『The Book of Men』誌(更新日不明、最終閲覧日2021年6月7日)
https://thebookofman.com/mind/culture/billy-nomates/

註2:Independent Venue Week Take 5: Jason Williamson との対談(2020年7月7日更新)

Billy Nomates と Jason 曰く Spotify はアーティストにほとんど収益が発生しないが Bandcamp では7割が作者に還元されるらしい(Bandcamp 公式ポリシーには約8割とある。いずれにしても相応の額が支払われているようだ)。お金があれば2組ともレコードを買いたい……。

註3:「Billy Nomates『イエスマン達の世界で私はノー・ウーマンになるよ、サンクス』- Geoff Barrow のレーベルと契約し、すでに Sleaford Mods の友達。Tor Maries が満を持して Billy Nomates 名義のデビュー盤を放つ」『NME』誌(2020年7月16日更新)
https://www.nme.com/blogs/nme-radar/billy-nomates-interview-tor-maries-radar-2708995
同記事では階級についても触れられている。
「Maries は自身を崖っぷちの労働者階級と認識しているが、音楽業界における多様性の欠如に嘆いてもいる。『どんな芸術分野でも労働者階級の人を目にする機会は多くない。必死で探さないと。でもそこにいればすぐに気がつくよ。彼らの声のトーン(迫力)は届いて当然、皆長い間耳にして来なかったものだから。』近年の例で最も明白な例のひとつとして Sleaford Mods が挙げられる […]。」

註4:イングランド南部。筆者は留学中に1年間この街で暮らしたことがあるがビーチ以外特に何もない場所と感じた。もっとも海は美しいが、夏でも水温はかなり低い。留学生仲間で海に入ろうとした者はひとりもおらず、我々は冷水の中楽しそうにジャブジャブしているイギリス人の心臓の強さに驚愕していた。皆それほど夏と娯楽を渇望しているのかもしれない。そしてこのヴィデオを見て Billy Nomates も強心の持ち主に違いないと思った。
(ヘッダーと以下の写真は2005年頃筆者がボーンマスで撮影したもの)

画像2

註5:Billy Nomates - Underground Artists: John Robb によるインタビュー(2020年7月31日更新)https://youtu.be/ZC7nR07eA-I
しかもコロナ禍でバイトは首になりツアーもキャンセル。収入が無くなり父親の家に引っ越したのだとか。

註6:ARTE は欧州の多言語文化メディア。本社はフランスにあるようで当ヴィデオもフランス製作。外国運営のチャンネルだから政治的規制が緩かったのかもしれないが、イギリスのメディアは政権批判や社会風刺に比較的寛容なので国内でも同様の演出が成し得るはず。Billy Nomates のようなアーティストが頭角を現すのも、少々過激な表現でも国民がそれを受け入れ、むしろ楽しむ土壌があるからではないかと筆者は考える。

註7:映画 Bunch of Kunst: A Film about Sleaford Mods(Christine Franz 監督、2017年)ちなみに監督 Christine Franz は ARTE ドイツ支局の音楽記者
映画公式ウェブサイト https://www.bunchofkunst.com/
冒頭約15分(英語字幕付き) https://youtu.be/xLeduvzebXM

註8:「注目ミュージシャン - Billy Nomates:ブリストルとボーンマスで活動する『ノーの旗揚げ者』こんなに思い切りよく真っ直ぐなアーティストはめったにいない」『The Guardian』紙(2020年8月1日更新)
https://www.theguardian.com/music/2020/aug/01/one-to-watch-billy-nomates

註9:Idler TV: A Drink with Jason Williamson of Sleaford Mods(Jason 単独出演、2021年1月15日更新)
https://youtu.be/wyJsEMeCftM

歌詞参考:

*当記事における歌詞などの引用は全て筆者による翻訳と解釈であり、個人研究を目的とします。各作品および歌詞などの権利はその作者と演者に帰属します。
*I don't own any rights to the original works quoted above.

(約9,300文字)

Bournemouth, England 2005 / 35mmフィルム (c) Nozomi Matsuyama


最後まで読んでくださり多謝申し上げます。貴方のひとみは一万ヴォルト。