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プログラマを目指した経緯。

私は以前、プログラマをやっていました。
遡ること40年前。
当時、中学生だった私は高校進学に向けて受験する高校を
選ぶ時期にいました。
あまり裕福ではなかったため、父親からは
「公立に受からなかったら丁稚奉公に行け」と言われており、
丁稚奉公まではないにしても中卒で工場勤めというのは
それほど珍しくなかった時代でした。

さらに父親は「大学に行かせる金はないから普通科よりも
手に職をつけられる学校に入ったらどうだ。
工業高校なら食いっぱぐれがないぞ」
と工業高校を勧めてきましたが、当時はつっぱり全盛期。
金八先生でいえばたのきんではなく加藤。
そう、腐ったミカンの方程式です。
今でも頭の中を中島みゆきの世情が駆け巡ります。
♪シュプレヒコールの波、通り過ぎていく

私が通っていた中学校はそれほど荒れていませんでしたが
卒業式には怖い業界人たちがスカウトに来ていました。
工業高校ってそっちに行かない人たちが行く学校
ってイメージが強くて行きたくありませんでした。
工業高校出身の方、偏見持ってごめんなさい。

進路を書く用紙を前にどうしようかと思っていると
クラスメートがマイコンの話をしているのを聞きました。
(当時はパソコンなんて言葉、知りもしなかった)
何だか面白そうだと思った私は、
コンピュータなら商業高校だろと近場の学校名を
書いて提出しました。
すると担任の先生から
「その学校はコンピュータの授業が週に1回くらい。
こっちの学校なら毎日のように授業がある」
と聞いたこともない学校名を告げられ、私はその場で
「じゃぁそっちにします」と答えました。
私の進路が決まった瞬間でした。

試験を受けるまで場所さえ知らなかった高校で
FORTRAN,COBOLなどのプログラム言語を習いました。
当時、コンピュータと言えば大型汎用機と呼ばれるもので
パソコンとは全くの別物。
私がパソコンに触れるのはそれからずっと後の話です。

3年生になると、卒業後は専門学校に行こうか
と考えたこともありましたが、
社会人となって遊びに来ていた先輩から
「2年間、金払ってここでやったことをもう一回やるくらいなら
その2年、社会人になって金もらった方がいいじゃん」
と言われ、就職することに決めました。

それからバブルが弾けて右上がりだった業界が傾き
今の会社に転職するまでの約8年。
私はプログラマ(ちょっとだけSEも)として
忙しい日々を過ごすこととなったのでした。

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