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居場所求めてう〜ろうろ

あれは一人暮らしを始めたばかりの頃。
といっても仕事がキツくて躁転したあとのうつがひどくて実家から追い出されたので厳密には一人暮らしとはちょっと違うけど。やれやれ…。
それまでは座ってればあったかいご飯が出てきて、
脱いだものは洗濯されて畳んであるのが当たり前みたいな生活だったのでまっっったく何にもしてこなかった。
それがガラリと変わって何もかも自分でやらないといけない。
座ってても腹が減るだけ。
洗濯したら干して畳まないと着るものがなくなる。
当たり前がいかにありがたいかを痛感していた。
とはいえこっちはうつが抜けてるわけじゃないから気力が湧かない。
でもそんなことはお構いなしに腹は減る。
全裸で過ごさない限り洗濯も必要。
仕方ないから適当に作ったら笑えるくらいマズい。
洗濯にいたってはそもそも起きるのが昼だったりするから干す頃には日が傾き始めてたりする。
こうした慣れない生活のストレスからわしは躁転してしまい湯水のごとくお金を使い始めてパチプロになっちゃったわけですが、
それでも頭のどこかで自分がおかしくなってる認識はあったし、けたたましいパチンコ屋で爆音のRockを聴いていても遠くでセミが鳴いているような音がずーっと聞こえていた。
でも双極症2型だからなのか何なのか分からないけど24時間ずーっと躁転してるわけじゃなくて、
ふとした瞬間に我に返るような時間があって夕方くらいから茫然とすることがあった。
そりゃそうだ。
それまで博打が死ぬほど嫌いだったのに今は生計を立てる術になっているし、頭の中には画期的なアイデアや考えがひっきりなしに、無限に湧いてくる。
ブレーキを踏みたいけどアクセルしかない。
ぼんやりと、ゆるく生きているのが好きなのに自分がそれを許してくれない。
どこかで「止めてくれ!」と叫んでいるけど人類史に名を残す天才だと思っているから助けを求められない。
自分がひどく矛盾した存在になっちゃってる焦燥感と目覚めてから眠るまでひと言も発さない孤独感に包まれた部屋はとても居心地が悪く、夕方になるにつれてその不快感は増していくことが多かった。
そして耐えきれなくなってわしは夜の繁華街へ何度か出かけていった。
余談だけどこの頃、わしはあまりに声を発さなくなったせいで声帯が硬くなってしまい声質が変わってしまい今もそれは治らない(特に歌声)

行き慣れた横浜駅の繁華街は東京に比べたら猫のひたいみたいなもので10分も歩けば住宅地に差し掛かる雑多なエリアで何かあるようで何もない。
他のエリアに行けばいいんだけど頭がとっ散らかっていて選択肢が思いつかなかった。
なのでとりあえずブラブラして本屋を覗いたり家電量販店でガンプラを眺めたり「昼間でもできること」をやっていた。
さらに一人ごはんが苦手なのでどこかに入ることもせずブラブラしていた。めんどくせー奴ですね。
21時くらいまでは百貨店を始め小売店などが開いているので色んな人がいるけど、
それを過ぎると開いてるのは飲食店ばかりになるから酔客が増えてくる。
その時間になってもわしはブラブラしていた。
なんせ行くところがなかったし行きたいところもなかった。
アルコールを受け付けない身体なので飲み屋に入ることはないし夜の蝶がいるお店なんてのは論外。
「つまんねーなー…」と思いながらタバコに火を点けて行き交う人をぼーっと眺める。
…面白くする工夫をすりゃいいんだけどね。
っていうか帰れよって話なんだけど。
酔っ払ってよく分からないけど楽しそうなおじさん集団やお姉さん集団が通り過ぎたり、
何だかため息を付きながら暗い表情の男性が1人でうなだれていたりするのをただ眺めていた。
通り過ぎていく数え切れない人々に共通しているのは誰一人わしに関心を持っていないこと。
まぁキャッチのお兄さんは声をかけてくるけど無視したらすぐにいなくなる。
だからすぐ一人に戻る。
かといって誰かに声をかけることもしない…ってそれは本当にヤバい人がやることだ。
ゲーセンに行けば仲間同士で遊んでいたりクレーンゲームに興じるカップルがいる。
居酒屋からはガヤガヤ言いながら出てくる集団がいる。
街なかにこれだけ人がいてもわしは独りだった。

財布の中身はそれなりに厚いので当時流行っていた出会いカフェなんてものに行けば女の子をひっかけることはできたと思うけど
別にわしは若い女の子とご飯を食べたりセックスを求めていたわけじゃないし、
そもそも恋愛感情のない相手と肌を重ねることに強烈な嫌悪感と不快感を覚えるから全く興味がない。

行くところがない。
やりたいこともない。
友だちもいない。
かといって部屋にもいたくない。
つまりわしはどこからも求められていない。
そんな気持ちで街を彷徨って終電もなくなり、
人の姿もまばらになって何もせずタクシーを拾って
真っ暗で静まり返った海底みたいな部屋に戻ると途方もないストレスと疲れを感じた。
わざわざ疲れるために出かけたようなバカバカしさとゲンナリ感に後悔がトッピングされてどーんとのしかかっていた。
このままシンクに放りだしたドライアイスみたいに消えてしまったとしても誰も気に留めないだろう。
同じような気持ちの人はどれだけいるだろうか? 
その人はどうやって今を生きているのだろうか。
そんな生き方に意味はあるだろうか?
そんなことばかりを考えているうちに朝日がしっかり昇り始めてくるので睡眠薬を使ってベッドで気絶して太陽が沈む頃に目が覚めたりしていた。

あの頃のわしは何を求めていたんだろう?
そんなことを今も考えることがある。
あまりにしんどいので彼女(カミさん)に頼んで同棲を始めたけど何にも変わらなかったし、
実は今でも深く考えると居場所なんてないのかもしれない…とさえ思う。

あれから10数年が過ぎて躁転の抑え込みに成功しているおかげでそこまでは追い込まれないけど、
漠然と不安に包まれることは今でもある。

たぶん、心の居場所が霞むんだろうな。時々。
それが生きるってことなのかな。
不安がない人生ってそれはそれで不安になってる気もするんだよな。
人生は常に無い物ねだりってことかな。

ま…これからも迷いつつ楽しいことを探していこう。
この時のしんどい気持ちを手元に置きつつ。

ってーなところで今日はこのへんで。
長い長いわしの雑文に今回もお付き合いいただきありがとうございました。
アディオース!

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