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C.G.ユングを詠む(002)-自伝

こんにちは。

C .G.ユングについて先回から書き始めたというよりメモり始めた。

読みやすい本がなかなか見つからなかったが、日本では、ユング研究では第一人者だった故河合隼雄先生が表された「ユングの生涯」がよかったのでこれを元にしていく。

ユングのメモを作ろうと常々感じてはいたが、踏み切ったのは先回も書いたように、天外伺朗さんの「運命のシナリオ」を読んだことによる。

「運命のシナリオ」の口絵「無意識層に巣食うモンスターたち」に、ユングの元型の階層が加えられたことが大きい。

それを、僭越ながらモンスターから意識層に着目して書き換えた図を、「意識と無意識の階層構造」として、描いてみた。

天外伺朗さんの「運命のシナリオ」の口絵「無意識層に巣食うモンスターたち」からモンスターから意識層に着目して書き換えた図「意識と無意識の階層構造」

これを描いてみての気付きとしては、世の中には多くの心理学者、心理療法家、精神科医がいらっしゃるが、どの階層まで取り扱っているのか違いがあることが理解できる。

河合隼雄先生の「ユングの生涯」からのメモの続きに戻る。項目名称は底本とは違っている。第1項は前回に掲載。

2.ユングの自伝

ユングは自伝を書きたがらなかった。が、自分個人の体験を遺すだけではなくて人類共通の普遍性を持つと思われる無意識の世界の出来事を書き遺そうとした。

「私(ユング)の一生は、無意識の自己実現の物語である。無意識の中にあるものは全て、外界へ向かって現れることを欲しており、人格もまた、その無意識的状況から発達し、自らを全体として体験することを望んでいる。」と彼は『自伝』の冒頭に記している。
2%(注:電子版なのでページが%表示)

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河合隼雄著[ユングの生涯」

生前のユングを知る人の印象では、著作でしかユングを知らない人の抱く”聖者”という印象からは程遠かったらしい。

彼は感情表現を抑えることはなく、率直に出す人であったらしい。怒ったり、ぶつぶついったり、また、楽しい時はよく笑う人であったらしい。(中略)
「伯父さんの中で、あんな面白い人はなかった!」と、今思い出しても楽しくなるという表情をして言ったのが印象的であった。4%

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河合隼雄著[ユングの生涯」

実存的変容の域に達した人が、聖人というか温厚な人、人当たりの所謂良い人になるかというと違う、内面から出てくるものを抑圧せずに出してしまい、むしろ遠慮ない性格に変わったと思われることと共通していそうだ。

3.ユングの故郷スイスについて

ユングはアーリア人、つまりはドイツ系のスイス人だった。スイスというと永世中立国、直接民主制というイメージが強いかもしれない。意外なことに女性参政権は1971年まで認められなかった。こんな結果もあるが、政治という合法的な戦いを派手に行い、論戦を通じて相互理解に達し、統合を保つ。それが、スイス。

国民皆兵制だから、必ず兵役の義務がある。これが、ナチスドイツがスイス侵攻しなかった理由に挙げられている。

そして、多様性の国。国語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュの4つある。こうした多様性を認めつつ統一国家を形成している。

BBC放送での対談のとき、ユングの思想の根底にはスイス人独特の何かを持っているという点について、ユングは、「スイス人は特殊な独立精神を持っており、つねに自己の判断を保持します。
たやすく人まねはしません・・・・・」と誇らしく語っています。6%

河合隼雄著[ユングの生涯」

ユングの心理学を理解する上では押さえておくといい背景である。

4.両親の影響

無意識についてとなえ始めたことでは先輩に当たるジークムント・フロイトがいる。

フロイトとユングでは、家庭環境、特に両親の性格が二人の学説の違いに大きな影響を与えているという。

アンソニー・ストーがフロイトの両親とユングの両親を対比させていることは興味深い。(中略)この両親像の差が、フロイトとユングの学説の差に反映されていることを指摘している。

フロイトの父は厳格であり、権威者であった、また、彼の母は暖かく見守ってくれる人で、強さを感じさせる人ではなかった。このような家庭に育ったフロイトが、父性原理に基づく深層心理学を建設し、ユングはフロイトに比して、はるかに母性原理を重んじなければならなかった、というのである。

フロイトにとっては大きな意味を持つ、超自我ということは、明らかに厳しい父親像に根ざしているが、ユングにおいては、あまり注目されない概念なのである。 8%

河合隼雄著[ユングの生涯」

それから、1879年には、ユングの母親は離婚別居している。

5,三歳で見た六十五歳まで秘密にした夢

この夢は、ユングが、至高の善の神のイメージを単純に受け入れさせない原因。神も両面性を持つという、生涯のテーマの源になった夢。神は善のみの存在ということをユングは受け入れ難かった。

そんな重要な位置付けの夢なので、丸っと転記する。

牧師館は、ラフェン城の近くに全くポツンと立っていて、寺男の農家の背後には大きな牧場が広がっていた。夢では私(ユング)はこの牧場にいた。突然私は地面に、暗い長方形の石を並べた穴を見つけた。かつて見たことのないものであった。

私はもの珍しいそうに前に走り出て、穴の中を見つめた。その時、石の階段が下に通じているのを見たのである。ためらいながら、そしてこわごわ、私は降りて行った。底には丸いアーチ型の出入り口があって、緑のカーテンが閉ざされていた。

ブローケードのような織物で作られた、大きな重いカーテンでとても贅沢に見えた。後ろに何が隠されているのか見たくて、私はカーテンを脇へ押しやった。私は自分の前の薄明かりの中に長さ約10メートルの長方形の部屋があるのを見た。

天井はアーチ型に刻んだ布で作られていた、床は敷石で覆われ、中央には赤いじゅうたんが入口から低い台にまで及んでいた。台の上に素晴らしく見事な黄金の玉座があった。確かではないのだが、多分赤いクッションが座の上にあった。9%

素晴らしい玉座でおとぎ話の本当の王様の玉座だった。何かがその上に立っていて、はじめ、私は約四から五メートルの高さで、約50から60センチメートルの太さの木の幹かと思った。とてつもなき大きくて、天井に届かんばかりだった。

けれどもそれは奇妙な構造をしていた。それは、皮と裸の肉でできていて、てっぺんには顔を髪もないまんまるの頭に似た構造があり、頭のてっぺんに目がひとつあって、じっと動かずにまっすぐ上を見つめたていた。(ボールドは筆者)

窓もなく、はっきりとした光景もなかったが、頭上に明るい光の放散があった。微動だにしないにもかかわらず、私はいつそれが虫のように、玉座から這い出して、私の方へやってくるかもしれないと感じていた。私は怖くて動けなかった。

その時、外から私の上に母の声が聞こえた、母は『そう、よく見てごらん、あれが人喰いですよ。』と叫んだ。それが私のおそれを一段と強めた。目覚めると、私は汗びっしょりでもうすこしで死なんばかりだった。

その後幾晩かにわたって、それに似た夢をまた見るのではないかとそれが怖くて眠れなかった。」10%

河合隼雄著[ユングの生涯」

この恐ろしげな、“人喰い“はファルロスという地下の神と説明されている。「ユングの生涯」の後に読むつもりの「ユング自伝」に詳述されているらしいのでここでは割愛するが、悪神である。

ユングとしては、ことさら神は至高善としてだけ捉えることに疑義があったということ。よくドラマなどで「なぜ神は私だけに不幸をお与えに。不公平ではないですか。」に類似したセリフをよく耳にする。それは、ネガティヴなこともありうることに触れないできていることが誤解を多くの人に与えていると思う。

ユングとしての結論は、誰の心の中にも、世の中にも悪もいるということでしょう。

私も小学生の頃、同じ怖い夢に起こされる経験があった。相手は背後から追ってきて姿が見えない。気配だけ感じる。最後は壁が現れてそこに何か満月のような顔が現れて目が覚める。何を意味しているのかは、わからない。10歳ごろまでの夢で今はもう見ない。

代わりに40歳ごろまで見たのは、卒業した大学の教務課から電話がかかってきて、卒業単位が足らないので、ドイツ語だったかの授業を再受講して試験をパスしてくれないと、卒業を取り消すというもの。これも意味がわからない夢。

どうでもいいことを書いてしまった。話を戻す。

「私(ユング) の中には、デーモンがいたのだ。その存在は結局のところ決定的なものであった。それは私を圧倒した。私が時に傍若無人であったとすれば、それはデーモンによって駆り立てられたからである。私が何かに到達した時。そこでとどまることは決してできなかった。

私の幻像(ヴィジョン)を認めることができず、彼らは先を急ぐ一人の愚者を見るに過ぎなかった。」と記している。11%

河合隼雄著[ユングの生涯」

あと後の章でも触れるが、ユングの世界観、意識の構造に対して、ゲーテの戯曲「ファウスト」の影響は大きいと「ユングの生涯」にかかれている。で、私もゲーテのファウストを読んだ。

確かにゲーテは、この戯曲の中で、神に「人間も悪魔も神の子だ。悪魔が憎いと思ったことはない。」と言わせている。

この考え方は、キリスト教のすべての宗派も認めることなのか、ゲーテとユングだけの考えなのかは、私にはわからない。多分、後者であろう。

東洋思想の陰陽論とか太極論的な考えを持ってすれば、私には容易に受け入れられる。

6.ユングの子供時代の秘密

8〜9歳ごろ、ユングは心を傷つけられたり、父親のイライラに悩まされたりすると、定規から作った6センチメートルほどの”人形”と、ライン川から拾ってきて絵の具で上半身と下半身を塗り分けた”石”を屋根裏部屋で見ることで、癒していたという「秘密」を持っていた。

ユングは『自伝』の終わりの方で、「人間にとって大切な『個』としての感情を強めるには、その人が守ることを誓った秘密を持つことが一番いい方法である」と述べている。
八から九歳の年齢で、子供は子供なりの『個』を確立するのではないだろうか。12%

この年齢の時に、うまく「秘密」が持てなかったり、心無い大人―両親であることが多いがーによって、秘密が暴きだされ、不適応に陥る子供が案外にいるものである。 12%

河合隼雄著[ユングの生涯」

なんでも秘密を共有したり暴いたりは決して、アイデンティティを保つにはよろしくないようだ。

今回はここまで。私のバイアスのかかった気づきなので、わかりにくかったり、初歩的すぎるところはご容赦願いたい。ご興味を持たれたら、河合隼雄先生の「ユングの生涯」を手にされたい。

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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: https://teal-coach.com/
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