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ニュース番組を見ながら、自分の仕事に向き合う。

仕事から帰ってきた夫と、時々ニュース番組を見ることがある。夫は片手にお酒を持って椅子の背もたれにだらりともたれ、私はそんな夫とテレビを横目に子供達の園から返ってきた連絡帳の返信を書いたり、クライアントさんに現状確認のメールを書いたりしている。

ピボット、レジリエンス、レガシー…うんぬんかんぬん

今日もテレビからはカタカナが垂れ流されている。

(私が無知だというのが最大要因であるにしろ)伝わりにくい言葉が多すぎないか?


受け取り手にストレスを与えていないか

ニュース番組を聞いていて、第一に感じたのがカタカナの羅列は「?」が頭に浮かんで、「それってどういうこと?」と聞き返したくなったこと。

自分が知りえない言葉を使うというのは、聞いていてなかなかストレスを感じる。その単語自体が分からないと、まずその言葉の意味を調べて理解しないと、紐づけられている話が全く頭にはいってこない。そんな時はいつも、聞いて居る人に伝えるためには、相手の理解度に合わせて話を構成する能力が必須だな、と思う。
つまり、相手に合わせて話を構成するには、自身の伝えたいことを最小単位まで分解して整理しておくことが必要だろう。

そのなかで、目の前の相手に一番伝わるthe mostを選んで伝えることが相手にストレスを与えない伝え方なのかもしれない。

たとえば、お腹がペコペコの人を目の前に、〇〇屋の牛丼が最高にお勧めしたいとき、多くの言葉はいらない。「安い」「うまい」「早い」、だから〇〇屋の牛丼!!とだけ伝えれば、聞いている方もそうか、と思う。

とまぁ、えらそうにニュース番組に文句を垂れてしまったが、私自身も同じだ。

コーチングを学び、どういうものかを体験しているからこそ、いざ誰かに「どんなことを」「どのように」「どれだけ」すると「こんな効果が期待できる」の?と聞かれると、すらすらと答えられないシーンが何度もあった。すんなり答えられたときは、どこかで見聞きした、誰かが言っていた言葉の寄せ集めで、相手もきれいにまとまっているから「ふぅん」と相槌を打ってくれるのだが、イマイチ良さが伝わっていないと感じる。そんな時私は服の前後ろを着間違えたみたいな違和感をもって、どうにかしたいもどかしさを感じる。

理解しようと試みることに全霊をかける

そのもどかしさはどこから来るのだろう。
それはきっと私自身が誰かが言っている事を丁寧に理解したい(と試行錯誤している)し、伝えたいと強く願っているからそう思う。

伝えたいと思う反面、まずは相手の話をしっかり聞きたいと思っている。なぜなら、相手にどのような言葉を投げかけると受け取りやすくなるのかのヒントは、相手の話の中にちりばめられていると思うから。
だから相手を信じて耳を傾けていれば、矢継ぎ早に質問したり伝えようとやっきになる必要などないのかもしれない。

生ぬるいと言われるかもしれないけれど、子どもがすんなり靴を履けなくて(左右も間違っている)もたついている時に、手も口も出さずにじっと待つくらい、待つというのは意外に難しい。私は日々、子育てとコーチングと言う仕事を通して「待つ」場面にでくわす。その度に待つことの難しさをひしひしと感じつつも、これからももっと磨いていきたい、それが私の役回りなのだと、心の中で決意する。

聴いてもらえそうな人がいない…と、もしも1人でしんどくなったら
ぜひ、私にお声がけください。
ざっくばらんにお話しできたら、と思います。


お問い合わせは公式ラインからどうぞ。


最後に以前クライアントさんが送って下さった言葉を載せておきたい。

「こーみぃさんは時間がかかってもつき合って自分で見つけるまで待ってくれる。 それ、凄いことだと思っとる。」

有難い。私とのセッションの間だけども日々の喧騒から離れ、自分で答えを探すことに集中してもらえたら、こんなに嬉しいことはない。

聴くことには静かだけどパワフルな効果がある。これが、私がコーチングの技法の中でも、特に「傾聴」を愛している理由だろう。

お読みいただき、ありがとうございました。私が学んだことや失敗、気づきなどについて綴っています。等身大の様子をお届けしていていくことで、誰かの「私もやってみようかな」のサポートになれたら幸いです。こーみぃ、がんばれ!のサポートもとても嬉しいです。