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noteが私には合わなくて #21

こんにちは!和泉 まどかです。
私のnoteを見つけてくれて、ありがとうございます!

直近に書いたnoteにコメントが来たのですが、それで気分が不安定になってしまってnoteを書けませんでした。久しぶりに書きます!

それで、最初に報告なのですが、noteの投稿は5月以降に、折を見てやめることにしました。私のnoteを初めて見てくれたあなた何度かnoteを見に来てくれたあなたスキやフォローをくれるあなたのおかげで半年間noteを続けることが出来ました。ありがとうございました!

今回はnoteの投稿をやめる決定打になった出来事についてざっと触れます。特に今回は言葉足らずなところがあり、分かりにくいかもしれませんが、ご了承ください!


本題

noteでコメントをすることってハードル高いと思う。
自分がコメントしたくても、無視されたら悲しいなとか、勇気を出してコメントしたけど、返信がなかったらやっぱり落ち込んでしまう。

最初はスキとかコメントとか気にならなくて、自分の好きなようにやりたいと考えていたのに、いつしかスキとかコメント、フォローを気にしてしまう自分がいて、何か疲れちゃった。これは、noteに限った話じゃないかもしれないけど、Xは気軽さがある感じするし、ヤフーの記事なんかは行けん書きたいんだ!というひとが集まるし、それに賛同したり、しなかったり。

ひとって誰かから承認されたり、肯定されたいって知ってたけど、自分のその一面をnoteで知って、自分気持ち悪いなと思ってしまった。

noteをやめるか悩んでいたけど、冒頭で書いた「コメント」が来て、noteの投稿をやめる決定打になった。

今はもう削除されてるけど、私はどうしても、このコメントに触れておきたくて、でもなるべくこのコメント主のことを悪く言わないように、理性的に、客観的に、冷静に、向き合うことを意識して書きます。


この問題となった記事を書く前に、私はnoteでコメントほしいと書いていました。批判とかご意見じゃなくて、共感とか、ポジティブな感想がほしいという意味だったのですが、コメント欲しいと書いた直後にも別の方からご意見コメントが来ました。そういうことじゃないんだけどな、と思いつつ、明記しなかった自分にも落ち度があり、反省した。

このコメントの、「アドバイス」と思われるところには即座に対応しました。元凶となる引用元の記事は非公開にしたし、自分なりに色々考えなおしました。

このコメントをもらった記事の前に、私生活、とりわけ人間関係が上手く行っていないことですごく悩んでいて、そんなときにこのコメントを読んで、気持ちが落ち込んで、ちょっと泣いたし、本当にどこにも私の居場所ってないんだって追い詰められた気持ちになってしまいました。

煽りの文章を送ろうか、とも考えちゃったけど、結局無視することにしました。指摘、注意、批判、誹謗中傷って線引きが難しいのだと勉強になりました。ちなみに、私はこのコメントは、アドバイス(指摘、注意)ではなく、批判だと感じました。

私も批判とか愚痴みたいなnoteを主として書いていて、自分が書きたいことか自分が読みたいことを書いてます。ただ不特定多数への批判や愚痴を書いて、個人を特定できないようにしているけど、このひとは、私という個人にアドバイスに見せかけた否定的なコメントを書くわけだよね。

でも、それは私の被害者意識が働いてしまったからかもしれないし、他のひとからしたら批判に感じないというひともいるかな、と思って、コメントも載せました。

noteは、文章を読むのが好きな人、書くのが好きな人が集まる場所だけど、だからこそ、全部言いたいことは言葉にしないといけないのだと学びました。行間を読んでもらおうとしないこと。

それが、なんだか私には合わないかもしれないと思うようになりました。

『生きてるってバレたくない』でも書きましたが、自分が生きてるということが過去関わってきた人たちに、バレたくないと強く思っています。

友達いないことで悩んでいることを知り合いに見られても、知り合いも困ると思うし、こんなに悩んでいることを馬鹿にされたり、不思議に思われたりするのも怖くてnoteを知り合いに読んでほしいとも思いません。逆にnoteを書いているひとは、知り合いにも読んでもらいたいひとの方が多いのかな?SNS感覚で「書いたよー!見てね~」っていうパターンもあるかもしれないなあ。

バレないように、普段他人に言えないような不満、愚痴から気づいたことを書いてきた。私が興味のあること、好きな芸能人の話やドラマの考察など、他人に言ったことのある話題は書けませんでした。でもそっちの方が楽しい話題だし、自分の好きなことの話題を書きたかったけど、やっぱりバレるのが怖くて書けませんでした。

有名人じゃないんだからバレるわけないだろう、と思う自分もいて、自意識過剰だと分かってるけど、それでも何かの拍子に「これってあなたが書いてる?」とか聞かれたら、、、想像するだけで本当に怖い。

好きなこと、楽しいことを書くよりも、知り合いにバレることを避けたかった。次第に自分が楽しいと思える話題はほとんど書けなくて、不満から気づいたことを考えて、言語化して、文章構成を考えるのもストレスになって、noteを楽しむことが難しいと感じるようになりました。


それで、話を戻しますが、このひとのそのコメントをきっかけに、万が一私が人生を自ら終えようとしたって、このひとは責任はとれないし、とるつもりもないだろうね。

自分の言葉に責任を持つことが苦手なひともいる。
だけどね、誰かの言葉一つで、気持ちが軽くなって、活力を取り戻したり、勇気をもらったりするものだよ。一方で、その言葉が文字通り、命取りになることもある。これは考えすぎだと思われるかもしれないけど、考えすぎだと思えるひとは、関わるひとが優しいひとばかりだったか、その人自身に想像力がないか、だと思う。

今は消えたいって思わなくなりましたが、最近まで消えたいって思っちゃうことが多くて、このときも強く思ったけど、そんな他人に消えたいと強く思わせてしまうような文章をわざわざ書く必要ってあるのかな?と思いました。

本人に向かって、直接「気の遣い方が空回ってる」とか、「がんばった過去が報われていないのは、辛いことですが」、「出力70%くらいで」なんて言葉、アドバイスだとしたら出てこないし、書けないと思う。

「気の遣い方が空回ってる」って失礼なこと初めて言われました。ま、自分は気遣い上手って今は思えるから、他人にどう思われてもいいかーと思えます。こんな、普段気遣いし過ぎで疲れちゃう人間に、あなた気遣いヘタね、というひと、むしろ面白いな。

「こういう風にすればいいんじゃないですか?」とか、「こうしたらもっと良くなると思います」とか、本当のアドバイスなら、その「気の遣い方」こそ文章に現れると思います。

他人の気の遣い方を、判定して、その評価がマイナスだったことを報告する、それは必要なことなんでしょうか。

このもらったコメントは本人に、そっくりそのまま返したい!と思ったけど、私は「困ったひとは困っているひと」だと意識しているので、このひとのコメント困るな~と私が思うのは、この人自身が困ってるからだと思って、私が大人の対応をして、本人には何も言いませんでした。

私のnoteを見に来ることはもうないだろうと思って、今は自分の気持ちの消化として書いてます。不快になったら読むのやめてね!


あと、ひとのアドバイスは聞くべきだとか、叱られるうちは花とか言うけど、それって本当にそうなのか、と考えました。私の中の結論は、アドバイスされる側が言っていい言葉であって、アドバイスする側はあんまり言わない方がいいんじゃないかなと思いました。

注意してもらってありがたい、自分の至らぬ点に気づくきっかけができた、と思うことができるひとなのに、このアドバイス聞く必要あるのかな?って思っちゃうなら、自分の心に素直になって、アドバイスは無視するっていうのが一番じゃないかな。

他人のアドバイスは、どんなものでも聞いた方がいいわけではないと思います。

・・・これも若いからなんでしょうか。さっきのコメントに書いてありますが、前半で「若くてかわいい」と好意的だったのに、「かわいい」と思ってる相手に言う内容、言葉で合ってる?と疑問も感じたことも根に持ってるよ!

実生活だと、私が何か意見したり、提案したりすると年上の人に生意気だと思われて、鼻で笑われたり、嫌味を言われたりしてきた。

それで自分の考えを話すことが苦手になって、というか考えを話して否定されたり、馬鹿にするようなアクションをとられたりすると傷つくからですが、自分の考えを身近な人に言うのも怖くなるときもある。

でもnoteは、年齢を気にせずに「和泉    まどか」として見てもらえて、年齢の呪縛、年齢のみから想定される人生経験で、年長者による知ったかぶりで誤解されることもないんじゃないかと思っていました。

だけど話の流れ上、職業を書いた方が分かりやすいかなと思って書いたけど、プロフィールには年齢で判断されたくないから書きませんでした。

それでも、「若いからかわいい」と許容されて、noteを読んでもらっていたのだと思うと、注目してもらえて、好意的に思ってもらえるのは嬉しい一方で、また年齢で判断されたと心がチクチクする感じもあります。

人間だけではありませんが、生命あるもの、年齢で判断される、判断するのは当然のことですが、そんなに大事なことなのかな。

そしたら結局、何書いたって「若いから」と思われるなら、実生活と同じでちょっとつまらないなと思っちゃった。

それで今回、フォロワーさんからこういうコメントをもらったことから感じた、悲しみや動揺、自分の書きたい話題への自信の喪失感などが決定打となり、noteの投稿をやめようと考えました。

誤解ないようにもう一度書きますが、このひとのコメントがnoteの投稿をやめる決定打になったのではなく、このひとのコメントから得た私の感情や自信喪失が決定打となり、投稿をやめるということです!

私をそういう気持ちにさせたのは、このひとのコメントだけど、でもその感情からどう行動するかという問題は、私の問題で、このコメント主に私の行動の責任を擦り付けたり、なるべく被害者風を装ったりしないように意識して書いています。その辺りが伝われば嬉しい(ToT)

自分が悩んでいることや理解者がいないと感じていることは、確かに事実だけど、それで知り合いを傷つけてはいけないと強く思っている今の間は、あまり発信をするべきではないと思いました。

5月でnoteを始めて半年になります。それまで、1、2回記事を書くかもしれないし、これが最後の投稿になるかもしれません。

noteをやめようか迷っていたのは、私にとって、好きなことを書くのが怖いとか、他の読んでくれる方やフォロワーさんとの関わり方がわからない、という負担が結構あるのに、無料だからです。こんなに負担があるなら、ブログを作ってアフィリエイトでお金を稼ごうとか、違う創作活動などでお金を得たいと思うようになりました。

つまり対価と負担が見合わないという認識がありました。有料noteを書くことも考えましたが、今まで無料で書いてきたnoteで有料の記事を書くことに戸惑いがありました。

急ではありますが、今まで私のnoteを読んでくださって、ありがとうございました!noteの投稿はやめますが、アカウントは残そうかなと考えています。名前の変更も迷っています。

でもnoteをやめようと決めてから、少しストレスが減った気がします!

後ろ向きな理由ではなく、前向きな理由で、もうnoteを書くことが楽しくないし、楽しい話題は書けないし、noteの仕組みが私には合っていないような気がするし、もうなんでもいいや~!と思えました!

未練はありません!私のやれることをやりました!
やってみたいことをやれました!

和泉    まどかを見つけてくれて、ありがとうございました!
記事を見にきてくれて、ここまで読んでくれて本当にありがとう!

関わってくれたフォロワーさん、スキを押してくれた方、気軽に読んでくれる方、みなさんのお陰です。ありがとうございました。

最後まで読んでくれた貴方とご縁があったことを嬉しく思います!貴方にも新しいご縁がありますように!

じゃあね~!


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