見出し画像

SKATについて思う事

最近、読んでいる本がある。


SKAT.11だ。


2011年、震災があった年の第49回宣伝会議賞作品集。
私が宣伝会議賞に応募し始めたのが第56回からだから、その7回前の宣伝会議賞である。
驚く事にこの頃の応募は手書きで、ペンネームや共同での応募も可だったらしい。今ある中高生部門もない。

SKAT.11の中にはローラーさんや贈りびとさん、ハマダさんやコピコヒで名前を見た方や後にグランプリを獲られた林さんや田中さんの名前と作品があった。
それだけでなく、阿部広太郎さんや三島邦彦さん、渡邉洋介さんや高橋尚睦さんや嶋野裕介さん、人違いでなければ村田俊平さんや松尾昇さんや山崎博司さん、小堀友樹さんの名前と作品があった。「きのしたたつや」さんは、短歌の歌人の木下龍也さんだろう。

コピーライターになりたくて、あるいはコピーライターとして名前を上げたくてもがいていた頃の作品だろう。名前を見つける度に何だか感慨深いものがこみ上げてくる。阿部広太郎さんはその頃の話をnoteなどに上げているのを読んだ事があるのでひとしおだ。


初めてSKATを買ったのはSAKT.19だ。初めて一次審査を通過し自分の作品が載っている。それを見た時の喜びは2000円という値段以上のものだった。
翌年のSAKT.20も買った。あちこち探してどこに売ってないのを見つけて買った。
ところが次の年のSKAT.21はデジタル版のみになった。
そして今年、SKAT.22は「宣伝会議」を定期購読している人か、9月号と10月号のスペシャルセット?を購入した人しか見られないものになった。定期購読する余裕もスペシャルセットを買う手段もない私には読めないものになった。


SNSは見ていないし見るつもりもないがきっと阿鼻叫喚の嵐となっていることだろう。
自分が応募し受賞または一次審査を通過した作品が見れない。
私も協賛企業賞を受賞しただけに何とも言い難い思いがある。
ただ一方で理解している部分もある。
SKATはおそらく赤字なのだろう。
宣伝会議賞に参加している人間は買っても一般の人が買うとは思えない。
ページ数は膨大で、製本の手間もかかる。利益率がどれくらいか分からないが一般の書籍より低いだろう。


ただ、ただそれでも。

私はSKATを紙の本で出して欲しかった。

紙の本を出してくれたら千円札を握りしめ書店をあちこち回りお金を出して絶対に買う。
私は夜スマホの電源を消してるし、デジタルよりもアナログ派の人間なので紙の本大好き人間だ。
何かを調べたい時やコピーやラジオCMで行き詰った時にめくれる紙のSKATは貴重だ。
SKAT.19はもうボロボロでページは破れ、書き込みも色々しててブッ○オフに持って行っても売れないだろう。

売れないくらいの価値が、SKATにはある。
自分の名前や受賞作や作品だけじゃない、宣伝会議賞に挑み、もがき、あがいた人達の名前と作品が載っているSKAT.22を私は読んでみたかった。



SKAT.11を読んでいて気付いた事がある。
SKAT.11に名前が載っている人のほとんどは、今の宣伝会議賞には応募していない人達だ。
コピーライターとしてステップアップしたり、別の道に進んだり、仕事や家庭の事情で応募できなくなったり、あるいは心折れ諦めてしまったり事情は様々だろう。
でも1年に1回の宣伝会議賞に挑みもがきあがいて書いたコピーが載った作品に、人知れず勇気をもらうのは私だけじゃないだろう。
SKATが見れようが見れまいが紙の本が出まいが私のモチベーションは変わらない。
ただ、やっぱり私は紙のSKATが欲しかった。去年表紙YOASOBIだったんだし、去年紙のSKATを出していたら売れたんじゃないかという思いもある。


もうすぐ、今年の宣伝会議賞が始まる。
2年連続の受賞ははっきり言って難しいだろう。過去を見ても2年連続受賞している人なんて1人か2人だ。でも目一杯やりたい。本気で挑みいいコピーを書きたい。


俺はただ、書くだけだ。

あなたが読みたいと思ってた文章、書きます。