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観た映画の感想 #37『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』を観ました。

監督、脚本:ジェームズ・ガン
出演:クリス・プラット、ゾーイ・サルダナ、デイヴ・バウティスタ、ブラッドリー・クーパー、ヴィン・ディーゼル、ポム・クレメンティエフ、カレン・ギラン、ショーン・ガン、ウィル・ポールター、チュクーディ・イウジ、他

アベンジャーズの一員としてサノスを倒し、世界を救ったものの、最愛の恋人ガモーラを失ったショックから立ち直れないスター・ロードことピーター・クイルと、ガーディアンズの仲間たち。そんな彼らの前に、銀河を完璧な世界に作り変えようとする恐るべき敵が現れ、ロケットが命を失う危機にさらされる。固い絆で結ばれた大切な仲間の命を救おうとするガーディアンズだったが、ロケットの命を救う鍵は、ロケット自身の知られざる過去にあった。
(映画.comより)

https://eiga.com/movie/95011/

いやー……寂しい。
何が寂しいって、このメンツでのガーディアンズオブギャラクシーがもう観られないってことが寂しいのです。

今までMCUを追いかけてきて「ああ、終わってしまった……」という巨大な喪失感と「こんなに面白い映画を作ってくれて、観させてくれて本当にありがとう……!」という多幸感が同時に押し寄せてきたのは『アベンジャーズ:エンドゲーム』とか『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』とか他にもあったんですけど、それに匹敵するくらいの集大成だったと思います。

そういう時って「あれも良かった、これも良かった」ってスキポイントが後から後から溢れてきて「俺この作品のことこんなに好きだったんだな……」って感慨がきてまた寂しくなっちゃう。長期連載してた漫画とかずっと観てた大河ドラマが終わった時の読後感に近い。Spotifyで有志の方が編集した、劇中で使用された楽曲を集めたプレイリストを聴きながらこのnoteをつけてるんですけど、これまたいちいち泣けちゃう。

良かったところはたくさんあるけど、一番良かったところにして最も重要なのはキャラクターの卒業式として申し分なかったってところです。

ガーディアンズのテーマって1作目から一貫して”仲間”とか”家族”だったと思います。1作目ではそれぞれに傷を抱えたはぐれ者たちが仲間になるまで、2作目では仲間たちがかけがえない家族になるまでの物語。じゃあ今作はどうだったかというと家族からの自立がテーマだったんじゃないかなあと思ってます。そしてそれはとりわけ彼らにおいては、生まれは変えられないけど自分が何者であるか、誰と一緒にいたいかは自分で決めることができるということでもあって。

今作でガーディアンズの面々が下した決断は人それぞれだけど、その全てがこれまでの冒険で得た成長をもとにしたものであって、しかもその全ての決断は他のメンバーも納得してくれていて……これが絆じゃなくてなんだというのだって感じですよ。

ピーターの物語はヨンドゥに攫われたところから始まったわけで、それがああいう形で決着したのも(ピーター的には「実家に帰った」ことにはなるけども)「ガーディアンズオブギャラクシーという家族からの独り立ち」と考えればすごく美しい終わり方だし、

今いるガモーラは「あのガモーラ」ではないので元の鞘になんて収まりようがない。そこをなあなあにしないでラヴェジャーズを新しい居場所にしたのは二人のガモーラに対してものすごく誠実なシナリオだったと思うし、

最初は殺意の塊みたいなキャラクターだったネビュラもどんどん人間味が出てきて、普通に笑うようになったのがとても嬉しい。ドラックスの本質的な人間性に気づけたように、他人のことを見られる余裕が生まれたのも泣ける。飛行ユニットとか左腕のビーム砲形態(?)にエンドゲーム序盤でのトニーとの交流の影響が垣間見えるのも良い……あとダンスも上手くなってましたね

ドラックスとマンティスの関係性もただ「バカとそうじゃないほう」とか「強いやつと守られるやつ」みたいな一方的な力関係じゃなくてお互いがお互いを尊重したがゆえの変化で良かった。でもあのやり取りがもう見られなくなるのはやっぱり寂しい。

グルートは1作目の頃から身を挺してメンバーを守ることが何度かあったけど、それはやっぱりガーディアンズが彼にとっての家族だからに他ならなくて。だって元々はロケットと彼の二人しかいなかったわけだし。今回誰かを抱えたり、抱きしめたりするシーンが一番多かったのはたぶんグルートで、台詞からは分からないけど実はガーディアンズで一番愛情深いのは彼なのかもしれない……と思ってたら最後のアレですよ!! そんなんずるい。

そして何よりもロケット。
トム・ホランドのスパイダーマンが『シビル・ウォー』での変則的な初登場から『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』までを使って”MCUのスパイダーマン”の長ーいオリジンをやったのと同じで、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』という作品群も終わってみれば”MCUのロケット・ラクーン”の長ーいオリジンでしたね。ロケットの過去話があまりにもシリアスすぎて「これMCUか……?」って思うところは多々ありましたけど、

デッドプールさんもそうだそうだと言っています

アイデンティティをしっかり認識して、かつての自分と同じ境遇の動物たちを救おうとするまでの流れは正しくヒーローオリジンだし、自分一人だけでは手が足りないって時に仲間が力を貸してくれるのはガーディアンズがヒーローチームであることの証左でもあって。で、最後の最後に流れる曲がアレ! なんて綺麗な締めなんだ!!


正直なところ、どうしても擁護できない粗さとか雑さがないといったら嘘になります。

まずはメインヴィランのハイ・エボリューショナリーが終始小物にしか見えないところ。当初はこいつどうやったら勝てるんだ?ってくらい強大だった敵が実は小物だった、って展開はよくあるものだしそうなること自体に文句はないんですが、今作に関して言えばメッキが剥がれるのが少し早すぎた気がします。出番は少なくなかったと思うんですけど、なんか思い通りにことが運ばなくて怒鳴り散らしてるところばかりが印象に残っちゃってるんですよね……ただロケットを捕らえ損ねたアイーシャを叱責するシーンで部下に用意させた踏み台に乗って目線を底上げしてたのはすごく良かった。態度は尊大だし随分ご立派な理想を持ってらっしゃるみたいだけど実態は創造物(ロケット)の持つひらめきにも及ばずに激しい嫉妬心を燃やす小物、っていう実態があのシーンに凝縮されてたと思う。エリザベス・デビッキが身長190cm以上で本当によかった。

あと、本格的な出番は恐らくこれからだというのは抜きにしてもアダム・ウォーロックがいくらなんでも噛ませ犬すぎるというか、良いところがまるで無さすぎませんでしたかね……? 満身創痍でガーディアンズの前に現れたと思ったら気を失うって流れが2回ありましたけど、もうちょっと見せ場があって欲しかったなあ……

一番気になったのは今回ピーターが一度もマスクとジェットパックを装備してなかったことで、終盤のあの展開とか正直マスクとジェットパックがあれば何の問題もなかったわけですよ。2作目でも同じような理由でヨンドゥが死んでますけど、あの時はジェットパックはドラックスに貸してたしマスクはエゴの攻撃で壊れてたんで、使えない理由がストーリー上きちんとあったわけです。でも今回はそういうのが一切なくて、単にアダムが人命救助するというヒーローの第一歩を踏み出すためのご都合展開にしかなってない。これは明らかに大きなマイナスだと思います。あとはやっぱりスターロードと言ったらあのマスクだろうがァン!? という気持ちもある。

ただこれもすでに加点方式で2億点くらい入ってる上での100点くらいの不満なので、こうなってはもう事実上誤差みたいなもんです。たぶん。

こんなに心に残る幕引きを見せてくれて、製作陣には感謝しかありません。
ありがとう、ガーディアンズオブギャラクシー!

そしてジェームズ・ガン監督、DCユニバースでの更なるご活躍も本当に楽しみにしております!!



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