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ゲイだから生き辛いと思ったことはあまりない


ウィークエンド / 2011

ゲイの人たちの中で、いわゆる LGBTQだと自認している人たちには、この世の中が生き辛いと思っている人は多と思う。
そんな世の中では少数派な人たちだった彼らが声を上げていった結果、今では性的趣向で差別するのはやめましょう、という雰囲気になってきた。
世の中の流れが変わったことはいいけれど、とはいえ世界の人間がみんなそれを受け入れるかは別の話で。
やっぱり宗教とか価値観で受け入れられない人はいるだろうし、嫌悪を示す人もいる。
そういう人たちに対して理解をしろとまくし立てるのか、そういう人は何を言っても仕方がないと諦め、理解してくれる人の方を向くのか。
それとも他人に求めないで、自分は自分の世界を突き進んでいくのか。

ゲイの中でも考え方は人それぞれ。
自分はゲイだからといって世の中が生き辛いとか、肩身が狭いとか息苦しいとか、他人と違うことに違和感を感じるとか、そういうことはあまり感じたことがない。
たしかに自分は男が好きだが、表だって言うことでもないし、主張するものでもなければ表明するほどのことでもないと思ってきた。
そもそも他人に言うとか言わないとかの概念すらなかった。
だからカミングアウトをするとかしないとか、自分にとっては大事なことじゃない。
不自由だなと感じることは、男は誰でも手が出せないことだ。
それは誰がゲイで誰がノンケか傍目では見分けがつかないからだ (自分は) 。
オカマのような話し方や仕草をすることもないので、ゲイだとバレたこともない (多分) 。
ゲイだということを隠さずオープンにしている人は、周りから違うということで差別され、自分らしくいられないということで不満や鬱憤がたり、この世の中は生きにくいと思うだろう。
ただ自分にはそういうのがなかったから、特に不便だと感じたことがないのだろう、と思う。

ゲイについてどう思うかってことを、行きずりで知り合った相手と話をするなんてまずないだろう。
ヤりたい相手を見つけて、意気投合したらヤルだけやって、次の日にはじゃあまた今度、で終わりそうな関係。
そこから恋に発展するかもしれないし、相性が良ければセフレになるかもしれない。
そんな相手とゲイを取り巻く世界について話すなんてめったにないだろうけど、そういうパーソナルな部分をさらけ出したからこそ、より惹かれていったのかもしれない。
表面的な話題をするよりも、より個人の内面的な話、普段話さないような難しい話をすることで、相手との距離がぐっと縮まる、らしい。
彼らはそういう悩みも含めてさらけ出したからこそ、週末という短い期間の中で明確に意識することになったんじゃないかしら、と思う。

自分はゲイバーなんて行ったことがないからわからないけど、大体はそこで相手を見つけられるもんなんだろうか。
自分は欲しいような、でも別に急いでないしなくても困らないし、でももっと飛び出したいような、そんなところをゆらゆらと漂っている。
だれか僕の相手をしてくれないかなあ。

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