第六感と呼ばれるものについての個人的考察 その2(体としてのセンサー)

はじめに

お久しぶりです。
約3週間ほど間が空いてしまいました。
こういうこともあります。
しかし気にせず続けていこうと思います。


前回の内容について軽く

前回の記事において、生きていると時折聞く「第六感」。
これが東洋医学で言われるところの「気」ではないか、という話をしました。
「空中のツボ」という単語が神田橋先生の書籍にあるという話もしました。
ツボが経絡の流れの要所であるなら、空中にツボがあるということは人の経絡は体を飛び出しており、人の体の気の流れが体を飛び出していることになります。
そこから発展し、「視線を感じる」という現象は、見ている側の人の気が体を飛び出し、見られている側の人がこれまた飛び出してきた気を気で感じ取っているのではないか。
そんなことを思って前回の内容を書いていました。

体としてのセンサー

現代人のセンサーは鈍りがち

さて、ここからの発展です。
神田橋先生の書籍でよく言われている印象のある言葉があります。
「体にとっての気持ちが良い。気持ちが悪い。を感じ取れるようになってください。」と言った内容のことがよく書かれている印象があります。
「体としてのセンサー」とも書かれていたかと思います。
私が考えるに、現代人は「気持ちが悪い」の感覚を無視することに慣れているように思います。
そうでない人はもちろんいるという前提で、学生時代はずっと机に向かって勉強に勤しむか、もしくはゲームをするなどして姿勢が悪くなりがちです。
前かがみ、猫背です。
首にも肩にも腰にも負担がかかります。
内臓も圧迫されます。
体を真っすぐに維持していないので、いわゆるインナーマッスルも使わず、衰えます。
勉強しなさいと親に言われたり、もしくは周りに置いて行かれることに怯えて強迫的に自ら勉強したりと色々あるでしょう。
ゲームは単純に一人でもみんなでも楽しいからついついやってしまうでしょう。
そうこうして大人になって働き始めると、現代ではデスクワークも多いです。
事務仕事やIT関連の仕事。デザイナーや漫画家、小説家などなど。
何が言いたいかと言うと現代人は椅子に座って机に向かい、教科書やノート、資料、モニターなどとにらめっこをし過ぎているように思います。
そうすると「勉強しなきゃだから」、「ゲームが楽しいから」、「これが仕事だから」と、肩やら首やらに問題が出ても、ついつい目の前の何かに没頭して「気持ちが悪い」を無視してしまいます。
子供の頃からこれが当たり前になってしまうと、大人になってからもこの状態の悪さに気づきにくくなります。
もちろんそうでない人もたくさんいるかと思いますが、それなりの数の人がこのようになっているのかなと。

センサーの鈍り具合と部屋の散らかり具合は似ている

私はこの「気持ちが悪い」を無視するというのは「部屋の散らかり具合」と似ていると感じます。
いわゆるテレビに出るようなごみ屋敷を思い浮かべてください。
足の踏み場もないようなあれです。
体の不調を無視し続けて、「仕事なんだからさぼっちゃだめだ、気合でどうにかやるぞ」とエナジードリンクを飲んだり、ほぼ炭水化物だけの食事で済ませて栄養が偏ったような、そんな生活を続けているのがごみ屋敷状態です。
もちろん睡眠時間なんて短いでしょう。残業だってしまくってそうなイメージですね。
そんな状態で体が新たにちょっとだけ不調になったなんて果たして気づけるでしょうか。
仕事仕事仕事で眠気や疲労もカフェインで誤魔化して、「気持ちが悪い」を徹底的に無視です。
そんなことをしてたら過労で倒れたり鬱にもなります。
これはごみ屋敷で例えるなら床が腐食して抜け落ちたようなものでしょうか。
新たにちょっとごみが増えたところでちょっとしたものだと気づけないのです。
元々が不調過ぎるからちょっと不調が増えたくらいじゃ気づかないのです。
しかし、もし部屋を片付けることができると…。
綺麗に整理されてちゃんと移動の導線も確保され、寝るスペースも足の踏み場もあって、ちょっとしたごみも散らかってない状態を思い浮かべてください。
そしてそこに空のペットボトルが部屋の端に置かれるとどうでしょうか。
カップ麺の容器も追加しましょうか。
一度綺麗になったのでとても気になりませんか?
ごみ屋敷状態だとそんなの片づけても焼け石に水でしたが、一度綺麗になるとちゃんと気づくのです。
体の不調もこれと同じに思っています。
神田橋先生の「気持ちが悪い」を感じ取るというのはきっと、おそらくこういうことだと考えています。
感覚を可能な限り研ぎ澄ませることでちょっとした不調にもすぐに気づいて対処ができます。
ペットボトルが置いてあるのが気になったならその段階で捨てればいいのです。
そうすると先ほどのブラック会社で過剰労働をしているような例えのようにはならないでしょう。
まずそんな会社に違和感を覚えて早々に転職するのが吉だと気づくことでしょう。

「気持ちが良い」について

さて、ここまで「気持ちが悪い」の話をしてきました。
もちろん「気持ちが良い」も大事です。
「気持ちが悪い」は問題の早期発見にとても重要です。
先ほど言ったようにペットボトル1つにもすぐ気づけます。
ネガティブ、マイナスを遠ざけるためのセンサーです。
「気持ちが良い」は自身の心身を健康に保ちます。
ポジティブ、プラスを近づけるためのセンサーです。
寒い冬、暖かい湯船に浸かると気持ちが良いですよね。
夏の製品にスーッと爽快感のあるものが含まれているのも気持ちよさです。
これらは分かりやすい例ですが、他にも緑、自然に囲まれていると気持ちが良いというのもありますよね。
体としてのセンサーとはこの両方を感じるためのセンサーです。
もし、先ほどの過剰労働をしているような人が、落ち着いた自然に囲まれたとしたらどうでしょうか。
私の予想としては、いつも仕事ばかりなので急にそんなところに連れてこられても「落ち着く」ということが分からず、自分だけこんな休んでいていいんだろうか、などと考えてしまいそうに思います。
これはセンサーが鈍っているからです。
「気持ちが悪い」を無視しすぎた影響です。
「気持ちが良い」すら感じられなくなるのです。
そのため、体としてのセンサーはできる限り健全に保つ必要があります。
自然の多いところに行ったりお風呂に浸かったりしても気持ちよさを実感できなかったり、部屋にごみがあふれてても体の不調を放置してても気持ち悪さが大してなかったり、そんな状態ならセンサーがきっと鈍っています。
お気を付けを。
センサーの回復に関しては神田橋先生の「心身養生のコツ」などをお勧めします。

センサーと第六感

さて、ここまで「気持ちが悪い」と「気持ちが良い」を感じ取れる体としてのセンサーの話をしてきました。
センサーが鈍っているとちょっとしたネガティブもポジティブも感じ取れなくなります。
逆に鋭くなるとどちらも感じ取りやすくなります。
このセンサー、第六感にも影響があると考えています。
前回の記事で、「私は霊的な存在に対して割と肯定的です」と書きました。
これは神様などの神聖なものに対しても同様です。
たまに神社のレビューなんかを見ると「空気が澄んでいる」であったり、「気持ちが良い」と書き込まれているのを見たりします。
これはきっとセンサーが鋭い人が神聖な気のようなものに触れているのではないかと思います。
逆に、いわゆる心霊スポットなどに行くと、怪談話でよくある「ここは良くない」や「ここには何かがいる」と感じる人がいるそうな。
こちらはちょっとレビューを見たことがないのですが、やはりセンサーが鋭い人が行くとなんだかゾットするような何かを感じることがある人はいるんじゃないでしょうか。
なので私はセンサーの調子を取り戻していき、どこか一定の基準値を超えるようなことがあると、霊的なものが然るべき場所で見えるようになるのではないか、と思ったりします。
私は信じているが故に心霊スポットに遊びに行こうとはしないですが。
自分がその故人ならそんな自分の悲劇をおもちゃにしてほしくはないですし。

水とセンサー、および霊障について

さて、更なる考察です。
以前面白いポストが流れてきました。
以下のポストを見てください。

正直オカルトであるというのは置いておきましょう。
神田橋先生のお話から派生している以上、既にその領域であることは覚えておきましょう。
前提です。
「「感じる力」が育ってくる」と書いています。
水を口に含むことで感じる力が育つそうです。
なんだか先ほどのセンサーの話と繋がりそうじゃないですか?
そして先ほど霊の話をしましたが、よく霊と呼ばれるものは水場に出ると言われます。
家だと風呂場やトイレ、洗面台です。
私はセンサーと水に何らかの関係性があるのではないかと感じています。
水は空気中にも存在します。
特に湿気がこもったりするとなおさらです。
霊はトンネルにもよく出ると言われますね。
あそこも空気の通り道が限られるので、空気がこもりそうです。
また、盛り塩があります。
古くからありますが、場を清める効果が期待されています。
この塩、ナメクジにかけると退治できますが、あれはナメクジの体の水分を奪っているからです。
つまり塩には水分を吸い取る性質があります。
空気中の水分を吸わせて湿気を落とすことで、霊障を和らげるような発想なのでは?と最近考えています。
この発想で行くと湿気取りでも霊対策になる訳ですが、近い話で「幽霊 ファブリーズ」で検索するとどうやら効果があるらしい話が出てきます。
昔の霊障と思われていたものの中にはカビなどが原因だったものもあると言われているようで、それに効いているのではと考察されたりしています。
霊障とカビなどの関連性についてはまだあまり調べたことがないので今後調べてみたいですね。

霊障や東洋医学の現代翻訳

また少し話は変わり、最近部屋の換気がとても大事だと個人的なできごとから感じました。
冬場なので暖かい空気を逃がさないために締め切っていた訳ですが、そうするとなんだか重苦しい空気が体を絡めとるような嫌な感じがずっとしていました。
それが当たり前になっていたのですが、ある時換気をしてみるとものの1時間しないうちに体が軽くなりました。
おそらくあれは二酸化炭素濃度などが高くなって、要は空気が淀んでいた、新鮮ではなくなっていた、そう考えています。
あれもまるで霊が取り付いているようだとも言えそうな体の重さでした。
先ほどのファブリーズ話もそうなのですが、過去霊障と思われていたものや、気の流れが滞るといったような東洋の考えは、現代科学に翻訳するとカビや二酸化炭素と言ったものが正体なのかもしれませんね。
もちろん、本物がいないという証明もまた難しいので、私は完全に否定はしたくないのですが。

おわりに

さて、そんなこんなで、今回は「体としてのセンサー」の話から、センサーを研ぎ澄ませると霊が見えるようになったりするのでは、と言う話になり、そこから水と体のセンサーの関係、霊と水やカビの関係へと移り、霊障や東洋医学の現代翻訳について軽く話しました。
文章を書くのは好きなのですが、分かりやすくまとめる技術はまた別です。
以前書いたようにあまり推敲する時間は設けないため、雑なままかもしれませんがこのままの投稿とさせていただきます。
ぱっと見で気づくのでわざわざお知らせすることかは分かりませんが、アイコンをフリーイラストのものに設定し、noteとX共にプロフィールを簡素にですが整えました。
名前も少し変更して苗字をつけるような形にしました。
ひらがなですがそういうものということで。
とりあえず整えただけで今後Xをどう運用していくか、どういった人をフォローしていくかは未定です。
記事のネタはあるのでまた近いうちにでも書けるようなら投稿します。
それでは。


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