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小寺の論壇:伝統はいつ創られるのか

知財、IT産業、ネット、放送、買ったもの、ライフハックなど、コデラの気になるところを語ります。


宮崎ローカルの話で申し訳ないが、宮崎市内の公立校で普通科がある高校は4つある。先日、この4校を集めて野球の定期戦である「四校定期戦」というイベントが行なわれた。息子が公立校にいるので、大会会場まで連れて行ったわけだが、今年で45回目となる大会は、新聞・テレビ等で「伝統の四校定期戦」と紹介された。

・伝統の野球大会「四校定期戦」 応援の中で熱戦 宮崎市
https://www3.nhk.or.jp/lnews/miyazaki/20240425/5060018027.html

だがちょっと待てよと。つまらないところに引っかかるのが、コラムニストの仕事である。

この四校定期戦、実はこれが始まった第1回目の時に、コデラは高校2年生で、まさに「伝統」と言われる行事の一番最初を知っているのだ。これ、一体いつから伝統になったんだ?

伝統というのは、もうその起源が定かではないぐらいの大昔から始まったものを指すのではないか。もしかして伝統というのは、創ることが可能?

そんなことを考えてみた。

■1回目の紆余曲折

この定期戦がスタートしたのは、コデラが高校2年生の、1980年のことである。今は4月に行なわれる大会も、当時は11月から翌年3月ぐらいまでの間で実施されたはずだ。

それというのも、コデラはこの第1回目で応援団をやっているからである。なぜそんなことになったかというと、その年の9月の体育祭で応援団をやっており、急遽持ち上がった定期戦の応援団をどうするという話になり、体育祭で応援団をやっていた者たちが再び招集されたからである。よって、その年の体育祭よりも後に行なわれたことは確実だ。

この定期戦、最初は三校定期戦だった。それというのも、当時はまだ市内に公立普通科高校が3つしかなかったからである。開催6回目から新設校が1つ加わって、4校になった。

さてその三校定期戦、やるという話がすでに学校側で決まってから、生徒達に降りてきた。元々筆者が通った宮崎西高校は進学校なので野球部も全然強くなく、なんで野球なの? という疑問が多かった。当時バスケット部だった同級生は、全生徒が球場に行って応援するという話に、なんでバスケットは応援に来てくれないんだ、野球だけ特別にそのようなイベントをやるのはおかしいのではないか、と先生に直訴したのをよく覚えている。

つまりそれだけ、当時は反対も多かったものを強行したイベントだったのだ。応援団も、立候補を募っても誰も手を上げないので、じゃあしょうがないから体育祭で応援団やったメンバーを流用して、という話になっただけのことである。

とは言え、中学で一緒だった子たちも各高校にバラバラになっていたので、そこで久しぶりに会えるかも、という期待もあった。当時はスマホもSNSもないので、学校が別れてしまうと連絡手段がないのだ。だがイベント運営として、他校の生徒と個人的に交流するのは禁止、ということになった。

元々は、それまであまり交流がなかった普通科3校の親睦のためのイベントだったはずである。それなのに交流ができないということは、つまりは全校生徒を連れて行って応援だけさせて終わり、ということになる。これは現在も変わっていない。

■応援団にみる「伝統」

なにせそれまで野球の応援などしたことがない。コデラの高校は当時の新設校で、コデラの代でまだ8期生である。甲子園出場経験など1度もないので、そもそも応援団がない。応援団用の学ランもないし、チアリーダーのユニフォームすらない。

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