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京都時代の中原中也の集合写真考察-2

旧制立命館中学在学中の中原中也が写っている集合写真:前列右端の生徒が中原中也

この写真の撮影場所を調べるにあたって写真から読み取れることをあげてみます。

・服装など
中央の教師は羽織袴で和装の正装。大半の生徒は制帽に制服を着用、一部に外套やマントを羽織っている生徒がいます。尚、前列右端にいる中原中也は帽子をかぶっていません。服装から秋から冬にかけての撮影ではないかと考えられます。ただしカバンや水筒など荷物が見当たりません。撮影範囲外に置いたとも考えられますが持ち物が写っていません。このことから荷物を持っていくほど遠くない場所、立命館中学のあった北大路の学舎からあまり遠くでの撮影ではないのかもしれません。
 
・撮影者は誰なのか
欠席者の写し込みがあることから学校関係者ではなく写真館が撮影、現像、焼き付けしていると考えられます。写真の現物が残存していれば写真台紙や裏書きなどから写真館がわかるかもしれません。
 
・撮影機材について
時代的に写真の機材はガラス乾板やシートフィルムを使う大判カメラまたはロールフィルムの中判カメラと考えられます。元の写真を確認していなませんが、鮮明な写真であるなら中判のロールフィルムからの引き伸ばしでなく、大判のガラス乾板やシートフィルムから印画紙への密着焼き付けの可能性もあります。当時の感材は高感度なものがないため、夕方や早朝ではなく日差しがしっかりとした日中に撮られたと思われます。
 
・どの方角を向いて並んだのか?
写真の右から日が差しており、左側に影ができています。このことから方角については以下の状況が考えられます。
当時のレンズは反射防止のコーティングはされていないことから逆光での撮影だと太陽光でハレーションが出やすいことから北向きに並んでの撮影は考えにいです。
とくに北を向いて並ぶとこの写真の光線状況では西側から日が差し込む夕方近くの時間での撮影となります。秋や冬の夕方の暗くて弱い光線で撮影することになり、当時のフィルムや乾板の感度やレンズの性能からあまりこの条件では撮影に向いていません。
また東向きに並ぶとこの写真では太陽が北側からさしこむことになり不自然です。
そのため教師生徒とも南向きか西向きのいずれかに向いて並んでいると考えらます。
 
・地形からわかること
生徒の並んでいる場所は傾斜地で、左には大きな六角石灯籠、背後にはほぼ垂直な石垣、右上には石の柵のある石垣があります。
右上の石垣は綺麗に整形された石が積まれており、上の段は角が直角であり、下の段は角がカーブして積まれています。石が明るめに写っておりあまり汚れがみられないことやきれいに整形された石が使われていることから、比較的新しく積まれたように見受けられます。
柵には横方向に棒が二本通されています。また柵は途中で途切れている様子が見られ、階段や入り口があるようにも見えます。
背後の垂直な石垣については石の積み方、加工が左右で異なり、境目には縦長の石が積まれています。右側の石垣は表面も接合面も比較的きれいに四角く整形された石が整然と積まれています。一方、左側の石垣は表面は平らに加工されているようですが、右の石垣よりも接合面はきれいな四角には整形されておらず、斜めに積まれているところもみられます。
 
・撮影場所はどこなのか
景勝地などの場所を特定できる特徴的な建造物などは見当たりません。また集合写真を撮るためにひな壇を用意しておらず、斜面の地形を利用して並んでいます。
記念写真なのだから社寺など景勝地で撮るなら鳥居や楼門、拝殿、山門、本堂など特徴的なものが背景に写ってもよさそうですが、そういったものが写っていません。灯籠と石垣のある傾斜した地形、背後の垂直な石垣の上の雑木林以外に特徴が見当たりません。
当時のレンズの光学設計の事情を考えると今のように広角レンズを使用したとは考えにくく、標準レンズを使用していると考えられます。この人数を写すとなると最低でも被写体とカメラとの距離は10メートル近くは離れていると思われ、それなりの広さのある場所で撮られています。

#中原中也 #古写真 #京都 #立命館


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