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忙しいのは幸せなのか

近頃、私は加速化するであろう未来について推察をした(以下リンク)が、それと関連付けて「忙しさ」について考える。

今日は仕事で忙しい、アルバイトで忙しい、家事で忙しい、勉強で、遊びでなどなど。時たま人は自分が忙しいということを人に伝える。ここでこの伝える意図には大きく分けて2つのパターンがある。
一つは忙しさを肯定して言うパターン。
もう一つは忙しいことを嘆くパターンだ。
ここでは大雑把なパターンにわけて考える。

1.忙しさを肯定する人が充たし得る特徴

①今自分がしている仕事にやりがいを感じている
②人生を歴史としてとらえている
③忙しいことを良いことだと考えている

2.忙しさを嘆く人が充たし得る特徴

①忙殺されて余裕がなくなっている
②なんとなくで労働することをしている
③忙しいことがひいては生きることがつらいと思っている


解説と結論

1-①,②は多数派であろう。やりがいを感じているということは人生を数直線的な持続性あるものと捉えている。

1-③は注意だ。それは盲信であり盲目の戦士となり得る。
長くは続かないでしょう―――。論理的な説明を試みることが必要だ。

2-①の人は得てして過ちを他のせいにする。忙しいのはあなたたちが私をそうさせたからでしょう。と。人でなくとも背後にある何かを恨んだり、自分の役割に対して不満をもったりする。(cf.役割相対主義)
このようなひとにはまずは自分の思考体系を冷静に分析する必要があると考える。
そのためには時間をつくる→周りをよく見る→差異に気づく→自分には気づけて相手には気づけない部分を見つける→差異を愛し育む→その差異をもとに行動していく。ことをするだけでよい。

2-②危険。いつか③のように生きることに対しても何も感じなくなるであろう。(cf.ニヒリズム)
それがよいか悪いかはさておき一つ確実なことはあなたが楽しんでいないということである。
2-②,③対処法:運動・好きだったことでもして自己の本能を呼び起こしましょう。失ったワクワクを早急に取り戻してください。それも嫌というのなら何かのコミュニティに参加しましょう。(もちろん怪しくないコミュニティに)つまるところ人とは繋がりがあれば生き延びていける生物なのです。

結論としては1-①、1-②を共に充たす人にとって忙しいことは幸せである。といえよう。
条件を満たした人は周りを巻き込まなければならない。
それが共通項を探すことにもつながるのだ。つまり世界を変えるということだ。


column

 忙しいことを肯定的に捉えられるのならばその方が自信にとって負担も少ないことから、私は1のパターンの方がよいのだろうと思う。
 
 では忙しさを否定的に捉える人はどうすればよいのか。私は日ごろ人に教えるうえでこんなことを言う。
「今から教えるのはある局面で、はたまた人生にとって大切なことである。
私はこれを『引き際の三箇条』と名付けた。

つまらん
くだらん
けしからん

この3つのどれかを少しでも感じたのなら、あなたはその土俵に立つべきではない。すぐさま立ち去るか、自己の世界に撤退するべきだ」

是非とも諸君にはこの3箇条を唱えながら踊り明かしてほしい。なんならええじゃないかくらいのブームを巻き起こしてほしい。
――話が逸れた。

いやしかし、年がら年中踊り明かすくらいのあの狂った勢いが日本にもう一度戻るのならば。

そんなに嬉しいことはないと私は現代の世の中を見て嘆くのである。






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