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袋の中の気持ち

⭐️これは、新卒で働いていた頃の事を、20代後半くらいに懐かしんで振り返りながら書いた散文になります。今には無い感覚です。今は自分の中で、もっと色々な事柄に「どうにかなる」と達観していたり、ふてぶてしさがある気がします。こんな事があるから、やはり書くことは続けていきたいです。
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 Lちゃんは、何も言わず折り紙の鶴を差し出した。鶴は涙で濡れ、手で持っていた部分は紙がすれてしまい、白い部分がむき出しになっていた。

 Lちゃんは、私が幼稚園教諭として受け持ったはじめてのクラスの子どもである。とても賢い3歳児だった。髪の毛は栗色にカールし、瞳は黒目が大きく、その目からは毎日涙があふれていた。

 4月、保育室にはまず入ろうとしない。廊下で座って室内を泣きながらのぞいているのだ。トイレにも行こうとしない。トイレに行こう、と促しても
「嫌だ!」
 と、泣いてあばれ、しかし尿意は我慢できず、毎日スカートはびしょびしょに濡れ、それでも着替えも嫌、床を拭く事も嫌、と拒絶する。何ヶ月も同じことの繰り返しで、こちらが何か言葉を掛けようものなら
「ばかやろう!」
と、いう言葉とともに足蹴りがとんできた。
もう1人の担任(同期)にも体当たりでぶつかったり、叩いたりという事が続いた。私と同期は2人で悩み、毎日どうしてだろう、という事を日誌に書き、園長に相談したりしながら対処の仕方に悩んでいた。悩みながら、一方通行になりながらも、
「おはよう、Lちゃん、今日は髪の毛2つに結んできたの?可愛いね」
「Lちゃん、金魚さんにエサをあげるんだけど一緒に見に行かない?」
 と、語りかけることを忘れないようにした。
「自意識が高いのかもしれないわね、間違ったり分からなかったりする事が不安なのかもしれないわね」

 と、園長が言った。Lちゃんを見ていると泣いて1箇所に座りながらも、皆が何をしているかを捉えるかのように目が忙しく動いているのを見てとることが出来た。クラスの友だちがいっせいに動く時にはLちゃんの体も、それに反応しているのがわかった。一緒に行動したいのだ、という事を感じた。家庭では、園の様子をたくさん話すという事、トイレにも行くし、もちろん友だちともよく遊ぶという事を、Lちゃんの母からも聞いていたので、それらの事はLちゃんにとって不可能ではないのだという事を確信した。

 夏も過ぎた頃、Lちゃんが玄関のすみで、指をくわえ、こちらに背を向けながら、しかし視線は私を追っている事に気付いた。どうしたの、と見ると手には折り紙が握られていた。その日から毎日Lちゃんから折り紙で作ったコップやら、ふうせん、丸や三角をかいた手紙などを貰うようになった。Lちゃん袋というものをつくり、私と同期は2人で貰ったつくりものをその中にとっておくことにした。

 その袋が、いっぱいになる頃、Lちゃんは進級し、生まれ変わったように、活発になった。いまでも、その袋は大事にとってある。袋の中を見ると、Lちゃんの涙いっぱいになった瞳を思い出す。それと同時に力強い何かが体の中からわいてくるのが、わかる。見えないものも、たくさんLちゃんから貰ったのだという事を何年も経った今でも実感するのだ。今ならあの時のLちゃんの気持ちがわかる気がする。ありがとう、とつぶやく。Lちゃん、今なにしてる?

こんな夕陽を見てしみじみとする時がある。

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