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自己肯定感と自己評価

私は、少しでも気に入らないことがあると大泣きする癇癪持ちな幼少期、人の言葉や態度を勝手に悪い方に解釈して自分も相手も不愉快になる学童期、PMSでイライラしがちな思春期以後、という、ろくでもない人格が年齢と共にちょっとずつ丸くなって今に至る。
このような性格なので人間関係は苦手で、度重なる遠方への引越しもあり、小学校や中学校からの付き合いが継続している友人など一人もいない。でも、読書と勉強は割と好きで、究極的には誰とも付き合わなくても一人で楽しく生きていけるし、という自負だけは物心ついた時からずっとあった。これは『自己肯定感』。
読書は周囲の大人が認めたり感心することだから、自分は間違っていない、と思えたのだろう。これが「ケンカに強い」とか「おねだり上手」だったら微妙だったのではないだろうか。
一方で、自分よりハイスペックな人が世の中にはうんざりするほどいるし、彼らの凄さと彼らと対等になれない自分の実力もよくわかってる。だから、『自己評価』はとても低い。職場で管理職にしてもらえたのも何かの間違いか、判断した人がすごい博打をしたのか。

自己肯定感が無いと、「自分を肯定してくれる人やもの」に依存しがちだと思う。
私は心理学とか精神医学のことは知らないけれど、依存症の人に限らず、職場で不満を溜めがち/言いがちな人も、自己肯定感が無いのだと思う。

仕事で少々嫌なことがあっても、私は「足りない能力なりに今日もよく働いた、お疲れ自分!」と缶ビール一つでリセットする。

一方、自己肯定感が無い人は「あれもできなかった、あの場面ではどう言えば良かったのか、そもそも周りがこうしてくれたら」とぐるぐるしてストレスを増幅させる。根底には「もっとスマートにできるはずの自分」という自己認識があるのだろう。つまり、自己肯定感が低くて自己評価が高い。

事実は簡単には変えられないのだから、ぐるぐるするだけ無駄、ということだけでもわかると、ずいぶん楽になるような気がするのだけど、どうだろうか?

自分はこんなに能力もあるしこんなに頑張ってるのに待遇が悪い、と文句を言うルンバさんも、本質的には自己肯定感が無いのだと思う。能力あるんでしょ?貢献もしてるんでしょ?すごいじゃん。良い仕事をしている自分をまずは自分が認めてあげようよ。自分が自分を認めてあげないから、周囲に評価を求めちゃうんじゃないのかな。それってキリがないというか、能力の方が無限に伸びるわけじゃないから、いずれは頭打ちだ。褒め言葉だって、毎日言われたら、効果が薄まる。自分が自分を認めれば、効果は無限だ。その代わり、ダメな自分、できない自分とも向き合うけれど。私は不機嫌だった若い自分に会って言いたいよ。周りに甘えて期待するのをやめて、いる物も欲しい言葉も、自分が自分に与えるのだよ、と。